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2018年
菜園便り350
10月1日
先月号の「芸術新潮」の特集が「新しい三十六歌仙」だったので、気になって開いてみると、額田王から始まった36人の最後がなんと塚本邦雄だった。そうか、彼の人ももう歴史上の人物なのかと驚きつつ、「超前衛」も半世紀たって誰もの愛唱歌になったのかとも思ったりする。
そうだろうか。
最初に出会ったのは1971年、それは友人の部屋のドアに貼りつけて残されていたという
ロミオ洋品店春服の青年像下半身無し***さらば青春 <日本人霊歌>だった。
とにかくかっこよかった。伝統的定型詩つまり保守的で画一的としか思っていなかった短歌に***(アステリスク)が入っているし、通俗の極みみたいな「さらば青春」なんてことばを平気で使い、しかもきちんと抒情を成立させ、どこかしら強く惹きつける力もあって驚かされた。なんというか哀しみとでもいうものすらにじんでいた。小さな店頭、明るい色の軽やかな生地、まだまだきちんとした服は仕立てる時代であり、夏物冬物間物と揃えていた時代だったのだ。
それから折にふれ読んでいった。
革命家作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ <水葬物語>
馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋わば人あやむるこころ <感幻楽>
固きカラーに擦れし咽喉輪のくれないのさらばとは永久に男のことば <感幻楽>
シェパードと駆けつつわれに微笑みし青年に爽やけき凶事あれ <水銀伝説>
蕗煮詰めたましいの贄つくる妻、婚姻の後千一夜経つ <緑色研究>
あれこれ愛唱するようになった。読み解くようになった、というほうがあたっているかもしれないけれど。
久しぶりに引っ張り出してきた歌集などをめくっていると、こんな歌にぶつかった。ああ、塚本もこういうことも歌っていたのかと納得させられる。
屠殺者の皮の上着に春の雪にじめり重き慈愛のごとく <装飾楽句>
特集にとりあげられて載っていたのは、<日本人霊歌>のなかの
日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも
短歌には調べがあり、歌謡曲にはメロディーと感傷的な歌詞があるから、人の心にくいこんでくるのだろうか。