文さんの映画をみた日

 

亀も空を飛ぶ」(2004年バフマン・ゴバディ監督)

深みへと届く力
 どことは名ざせない自分の内の深みを、静かにでも思いがけないほど強く強くうつ映画だ。子供たちをとおして世界が描かれるから、いろんなことが痛いほど剥きだしになる。心臓が鷲掴みされ叫びだしそうになる。錯綜する中東、絡まりあった民族や国家の軋み、そこに介入し侵攻する米国。翻弄され痛めつけられて暮らさなければならない子供たちの、人々の、それでも生きていく現在が描かれる。
 戦争や悲惨といった素材やエピソードによってではなく、表現の地鳴りのようなものでみている者を大きな力で揺するから、そこにことばでない共振が生まれる。ドキュメンタリーという形を取らずにこんなにもあるがままに人々を描けるのは、登場する人々が当事者であり、その眼差しや身体、しぐさにも深く染みついた哀しみと怒りがあるからだろう。もちろんそれを引き出し結実させる製作する側の力も大きい。でもそれは技術や才能などの問題でなく、世界をどう捉えるかといった根源的な、考え方や生きる態度の問題であり、ドキュメンタリーとフィクションの違いというようなことが様式や<現実>の違いでないことも知らされる。既成のことばや考えをなぞる限り、たどり着く先は同じだ。
 抑圧され続けるクルド人、イラン-イラク戦争での悲劇、今も続くイラク戦争。そういったことを前提にし、個々のことがらも語りつつ、映画は事象を超えた場へといつの間にかわたくしたちを連れて行く。世界をまるで初めてのように、直に見ているかのように。自由というのはそういうことなのかもしれない。
 映画のなかで悲劇的な結末を迎える少女の底なしの絶望を前に誰もがことばを失うしかない。けれども不思議なことに、こんなにも深い絶望と共に、それを受け止める力も映画はそっと差し出していて、わたくしたちは知らないまにそれを受けとっている。終わった後に、勁さや明
るさの印象さえ持つのはそういう力ゆえだろう。世界はこんなにもでたらめで酷たらしいけれど、そこにはわずかであれ喜びも美しさもある、その両方で成り立っている以上、今は両方を取るしかないんだと穏やかに諭すかのように。
 亀も空を飛ぶ、わたくしたちも冷たい水をくぐっていく。希望とか未来とかいう期限切れのことばでなく、まだ見えぬ知らぬ、でも誰もが持っている新鮮であたたかなものに支えられて。世界は生きるに値するんだよと何かがそっと囁く。

 

成瀬巳喜男監督映画祭

制度としての恋愛、結婚
 生誕100年記念ということで清水宏監督に続いて成瀬巳喜男監督を取り上げる企画や特集があちこちで組まれている。福岡市総合図書館ホールでも昨年の12月に第1部があり、今年3月に第2部が予定されている。誰もが先ず名をあげる彼の代表作『浮雲』の他にも『妻よ薔薇のやうに』『鶴八鶴次郎』『めし』『流れる』『女が階段を上る時』『放浪記』等など。そうそうたる俳優陣であり、衣装や日常の小道具の細部が豊で、当時の建物や路地も丁寧に写しとられている。往年を懐かしむ年輩の方々が観客席に多いのも頷ける。
 小津安二郎ホームドラマ、成瀬のメロドラマという言い方もされたりする。極端な言い方をすれば、生活というのはそれで全てなのかもしれない。誕生と死の間にある、恋愛、結婚、新しい家族。そうやって近代は生の再生産と社会的個人をつくりあげる仕組みを、各個人にはそうと自覚できないまでに実に精緻に、圧倒的な力と構造で組みあげてきたのだろう。そうしてその仕組みの耐用年数が切れつつある現在、恋愛や結婚という性の制度もその限界から自由ではない。
 男とか女という概念が本質的にあるものではなく社会的文化的につくられるものであり、性別さえ生物学的で絶対的なものではないだろうということもすでに語られ始めている。効率的な次世代の確保を保証してきた一組の男女による生殖と養育の家庭という形が揺れる時、恋愛-結婚だけでなくそれからはみ出す性も含めたシステム全体が揺れる。かつての映画のなかの、平凡で安定したあたたかい家庭や金銭さえ絡む打算や出口のない愛憎と、最近のそれに拮抗するかのような純愛も、同じ制度の違う面でしかない。
 制度のなかみは絶えず変遷するだろうけれど、その底にある、現代では恋愛や家族愛として現れている、他を愛したり慈しんだりする思いは、絶えることなく人のなかに脈々と流れ続けていく。些細な特権や怯えを捨て、制度そのものにしがみつくことを止めた時、初めて新しいつながりの形が感じ始められるのだろう、愛にも性にも。

 

2005年『亀も空を飛ぶ』の勁さ

クルドという視点が開くもの
 2005年、今年も多くの映画が上映され、世界の、人と人のつながりの、喜びや哀しみを描きだした。福岡でも単独上映館を中心に積極的なプログラムが組まれ、映画の収集も行っている福岡市総合図書館の映像ホールでは様々な特集の上映を続け、各地で映画祭が開催された。
 なかでも、イラククルド地方の現在を描きしたバフマン・ゴバディ監督『亀も空を飛ぶ』は、衝撃的なまでの強い印象と長く消えない余韻を多くの人に刻みこんで圧倒的だった。フィクションでありながらドキュメンタリーを超えてリアルな今を、その下に重なる歴史や無意識も含めて描いていき、不思議な明るさやあたたかみさえも生みだしていく。映画のなかの悲惨を生き抜く子供たちが、人々が、スクリーンのこちら側も巻き込むほどの骨太さを持っている。思いもかけない深みでなにかが突き動かされ共振し、そうしてそんな穏やかな勁さが自分のなかにもあることを感じとらされる。
 生きるなかで人が持ちうる慈しみとか智恵、力といったものへの信頼があり、性急に答を求めないし創らない静かな持続や、痛みや死を受け入れる強靱さがあり、それが映像という表現のなかに浮かび上がってくる。
 国々を、人々を、自国の生きづらい人たちをも容赦なく攻撃し続ける、傲岸でかつ神経症的な「アメリカ」に対しての、おそらく初めての、対米国といった狭い枠のなかに閉じない、そこを突き抜けて、世界や生の希望をみる可能性を開こうとする映画だろう。頑なに閉じてしまっている米国、そこでの内側からの対抗や相対化の動きは、自身の弱さを正面からみられない、負けることを受け入れられない集団ヒステリーの前に無力なままだ。耐えられずに、なんとか答をだそうと探る誠実な試みは、ヴィム・ヴェンダース監督の『ランド・オブ・プレンティ』等のように、神や無垢といった今までも語られてきた概念のなかに収束されてしまうかのようにみえてしまう。
 この冷え冷えとして薄い空気のなかを喘ぎながら、でも誰をも踏みつけずに生きていくことはもちろん可能だと映画は語る。<生>という現象はもっともっと開いていけるし、どこまでも広く深いし、とても単純なのだからと。

 

ランド・オブ・プレンティ』(2004年 ヴィム・ヴェンダース監督)

憎しみを捨てる勁さ    
 ヴェンダースは答のでないことがらを、静止しない動き続けるなかに、つまり生きた現在のなかに、人と人の愛とか友情とかいったつながりとして浮きあがらせようとする。いつものようにどこかミステリアスな雰囲気のなか、少しパセティクで感傷的な色合いに染めて。今回は信仰、民族、9/11、ヴェトナム戦争といったことがらをとおして「アメリカ」を語ろうとする。そうすることで現在を、自分の位置を測り確認し、そうして未来への希望を築こうとする。それは誰かへの、世界へのメッセージとしても届けられるはずだ、そんなふうに。
 そういったことは、例えばアメリカを定義するとか叙述するという発想を捨てなければ始まらない。国家とか国民とかいうことが、特定の民族や人種の集まりでさえない、恣意的なものだということは近年の東欧などの争いで変わっていく国境をみるまでもなくはっきりしている。そうして殺しあうほどにもつのってしまうその呪縛の大きさも。もちろん今の日本とか日本人とかいう概念も同じだ。以前、日米の首長会談を見ていた人が「この人たちは国をまるで自分のもののように語る」と評していたが、わたくしたちも自分を「・・人」「・・族」と規定することで、そういう代理する(代表する)という発想を裏から支えているのだろう。誰かを(例えば国民や民族を)代理することから虚が始まる。
 アメリカで生まれ10歳まで育った後、アフリカ、中東に暮らし母を亡くした人が、二十になってロサンジェルスに戻ってくるところから映画は始まる。喜びや安堵感の後の驚愕。彼女のなかの、かつてのアメリカはもう存在しない。ロサンジェルスの貧民地区での伝道・救援活動で知る貧困、差別、ドラッグ、銃、殺人。探していた、かつてヴェトナムにいた叔父は戦争の後遺症で異様な行動にはしっている。そういったことを激しい痛みと共に受け入れていく素直さや穏やかな勁さを持つ人として、ほとんど無垢な存在として彼女は描かれる。永遠のやさしさ、だろうか。
 病んだ叔父をとおして、「ヴェトナム戦争に勝利した」ということばが唐突にでてくる。「冷戦全体としては」という注釈が後で着くが、それがアメリカの本音でもあるだろう。負けることを受け入れるあたりまえさを持てない脆弱さや怯えが、どこまでも歪な強さを求めてしまい、肥大し続ける自我、自負。<弱さ>という勁さがあるということすら思いつかないあり方。そうしてそれは彼国だけでなく世界中を、全ての人を覆っていくかに見える。でもそうでないと、映画のなかで語りかける。9/11の犠牲者は酷いめにあったけれど復習を望んではいない、と。映画のなかで、神や信仰は特定の宗教ではない、神と呼ばれてきた、ある大いなる存在みたになものとして語られ始めようとしている。


「モンドヴィーノ」(2004年)

味覚の政治性、馥郁たる錬金術
 ワインにまつわるドキュメンタリー。先ず語られるのはワインのテイストやスノッブな蘊蓄ではなく、現在世界を席巻しているかに見えるワイン業界のマーケティング戦略醸造元の経営学とでもいうもの。いかに米国型のグローバリゼーションに巻き込まれ、操作されているかがみえる構成になっている。
 米国で百点満点評価のワイン評がでてから業界は激変、売上に直結するその評価に誰もが振り回され始め、醸造コンサルタントがその味や好みのワインを、極端なまでに手をかけて創りだす。長い伝統の著名なフランスやイタリアの醸造元も素早く変身し、大成功した米国の会社と合弁し売上は鰻登り。
 味覚に関する手っ取り早い解答やセンスがほしい、美味いものをのみたいという人々の欲望を利用し、味を「客観的」数値に換算し単純化するのが、ワインに関する今までの空疎な言説をうち破る革命であり、消費者の民主主義だと米国で豪語される。「帝国」フランスの反論者は皮肉に満ちて傲岸なまでに辛辣だ。でもその鋭い舌鋒が共感を呼びにくいのは、そもそもワインというヨーロッパで創りあげられた特異な酒とその味が植民化と共に世界化され一元化された上で、現在小さな違いが競われているに過ぎないからだろう。ワインや味覚の一元化が多くのものを押しつぶした歴史を抜きにしては、「どんな地域にも固有の食や酒の文化がある」という地域性や個性強調のことばの説得力は弱い。
 驚かされるのは、かなりの有名なワインや醸造元がごく新しいこと。土地や長い伝統と経験だけが創りあげる微妙ででも確固としたワインといった幻想は吹き飛ぶ。味や香りといったものもあくまで時代や地域のなかで創られ、メディアによって増幅され流布され、一時的な共同の思いこみになっていくということ。流行と同じで味覚も移ろっていくというだけでなく、身体に直結し生理そのものだと思われている<味覚>も、そう呼ばれている観念でしかないということだろう。
 でも饒舌や口論だけでなく、全ての源である大地の営みとそれが産むもの、わたくしたちを生かしめているものへの愛おしみも撮しとられていて、こつこつと積み上げるように作る情熱や、労を惜しまず多くを求めないあり方もみえ、効率主義やグローバリゼーションの悪酔いを微かに晴らしてくれる。


輝ける青春

慈しみと憎しみと
 イタリアの、60年代後半から70年代半ばにかけて青春を謳歌した世代の、その家族を含めた物語。6時間の上映で、ローマから始まりシチリアからトスカーナまで、当時の若者の聖地でもあったノルウェーも含んで、美しい自然を盛り込みながら、激変する社会のなかの愛や友情や死が描かれる。美しく達者な俳優陣、飽きさせない脚本、過剰にならないでもしっかり笑いも涙も誘う演出、小さな刺激を与え続けながらよどみなく滑らかに物語は進み、魅力的で強い人々の成功と寛容と愛とで締めくくられる。
 60年代末の大学や街頭での闘争、さらに世界を震撼させた「赤い旅団」もでてくるのだけれど、それは時代のエピソードのひとつでしかなく、映画のなかにごつごつした歪みを起こさない。理解不能な、しかし誰ものなかにあるかもしれない異様なものを探る試みの方へは向かわず、正義感や自負から赤い旅団に参加してしまう主人公の「連れあい」も、最後には温かく寛容な家族の物語に取り込まれていく。人にとって最も大切なもの、慈しみとしか言いようのないものが語られようとするのだけれど、それは<家族愛>とか<恋愛>とか<友愛>だとかに切り縮められ、変容してしまう。
 今わたくしたちがいちばん知りたいこと、人は何故人を虐めたり憎んだり殺したりできるのか、ちがう生き方は不可能なのかといった切迫した問いは丁寧に避けられる。この映画の登場人物や日本の同世代の異議申し立てや理想が、何故「純化」され過激化して爆破や暗殺へとつながってしまったのかには目が向けられない。いつの時代にも、何かを性急に求める人の心を鷲掴みし閉ざさせてしまうもの、すでに記憶からも薄らぎかけているオウム真理教の殺戮行為にもつながったなにか。そしてそれが<愛>と地続きであるかもしれないという畏れにも触れられない。
 もちろん誰にも即答できる答などない。できるのは、ことばを溢れさせ論理化して性急に正解を得ようとすることを止め、噴きだしてくる情動に身を任せることなく、それぞれの生きている場で常に問いを持ち続けることぐらいだろう。でも人が必ず持つ他者を慈しむ気持、そういうありふれた思いを、例えば<愛>だとか簡単に名づけてしまわずに、そっとでもしっかりと持ち抱え続けることは今も、誰にも可能なはずだ。

 


『エレニの旅』2004年 テオ・アンゲロプロス監督

悲劇を超えていくもの
 骨太な構造、常に広がりを持ちつつとよどみなく流れる画面、圧倒的な印象を与えた『旅芸人の記録』(一九七五年)で劇的に登場したギリシャアンゲロプロス監督の新作。エレニと呼ばれる女性の半生をとおして、バルカン地方ひいては世界の、近現代の錯綜した民族や国家、政治の悲劇が、左右対称、深々と強調された奥行き、今までよりさらに極まった様式美のなかで演劇的に描かれている。
 二十世紀初頭のロシア革命後、ギリシア人の街オデッサを出て難民としてたどり着いた故国で、バルカン戦争、第一次世界大戦、軍事政権、第二次世界大戦、ドイツの侵攻、抵抗、解放そして激しい内戦に巻き込まれる。バラバラになっていく家族は、アメリカから沖縄まで広がっていきながら次々に亡くなっていく。大きな枠組みとしての国家や政治の軋みと、その下での個々の苦しみ悲しみが、瑞々しくそれ故にいっそう無惨なものとして積み重ねられている。
 それらの苛酷なできごとの間を抒情的、情動的な音楽が埋める、世界と人々の痛みを慰撫するかのように。大枠としての社会的制度と、それに拮抗する勁ささえ持つ人の豊かな内面、情感。相反するこのふたつが、でも奇妙なことに互いに入れ子状になり補完しあっているように見えてくる。個の愛や哀しみが、対立しているようで実は枠組みを支えているではないかという戦慄すべき思いに囚われる。
 それはわたくしたちが歴史と呼ばれるものを現在の視点から、現在の考え方で再構成しながらみているからだけでなく、そもそも歴史(時間)を、ほとんどの人に共有されているかにみえる今の考え方で、つまり不可逆で一方向的な線的なものとしてみる時にどうしても起こってしまうことだろう。でもそういう固定化された世界観から自由になっていけるのだろうか。
 翻弄されうちのめされつつも、この映画のなかのエレニがそうであったように、人はけして他者への思いやりや自分を支える勁さを失うことはない。大きな枠組みと対になった、ことばになり社会化された「愛」ではなく、かつても今もあらゆる場所に在り続けている、慈しみ、みたいなものを改めて信頼し掴むことから悲劇を超える模索が始まる、きっと。

 

時には<美術>の映像で

刺激的な視点や発想
 今回は映画というより、映像と呼ばれている表現から。福岡市アジア美術館で開催されているトリエンナーレ(3年に一度の国際展)では、映像が多用される現代美術界の動向もあって、多くの映像作品が展示されている。様々なサイズのモニター上にヴィデオやDVDで上映されるもの、スクリーンに映写されるもの。美術作家の表現としてつくられているから通常の映画の約束ごとから自由、時にはとりつく島もないものもあるけれど、思いがけない視点に出会えたりもする。映画の文脈だけでなく、「芸術」の制約からも自由になろうとしているから、新鮮で真摯な輝きが放たれる瞬間がある。
 台湾のゼン・ユーチン(曽御欽)は、3つに区切られたそれぞれのブースの中、たった3枚の静止画像でユーモアもある家庭内の物語を創りあげるが、そこには本人や世代、さらには台湾の歴史が挟み込まれているだろうことも思わせられる。私的でかつ社会的でもある回想と、現在の家族のあり方への問いとが、暗い中でみる人のなかに広がっていく。
 シンガポールのザイ・クーニンはマレーシアからインドネシアにかけての海で暮らす人々を尋ね、記録としてでなく自分との関わりとして、個の視点から撮していく。体の前で交叉させる2本の櫂で自在に船を操る彼らの闊達な動きが、青く広々とした海を背景に生活のにおいも含めて映しだされる。複雑な民族の歴史やアイデンティティーの在処にも思いは向けられているのだろう。
 中国のツァオ・フェイ(曹斐)は舗道で毎朝、歩く人に向かってダンスをくり返す中年男性を撮っているが、それを自身のテーマであるコスプレという文脈で捉え直す発想そのもの先ず驚かされる。「変身」願望だけでなく、実際にコスプレや異性装が欠かせないものになってもいる現代。楽しげに腰や腕を使って踊りつつ手を伸ばす人、つながろうとするように、祝福するように。それは作家が語るように一時的な変身による疎外からの逃避や慰安であり、また遠く隔たってしまった他者に近づきたいという願望なのだろうか。
 他にも黒潮を追って志賀島能古島を訪ねた記録なども含め、実に様々な映像が繰り広げられている。全く別の視点や発想に触れることで、今までと違う世界との関わり方の可能性を感じ始めることができるかもしれない。

 

『三池 終わらない炭鉱の物語』(2005年)

地の底の声は届くのか
 大牟田市大牟田市石炭産業科学館の企画製作によるドキュメンタリー映画。1997年に三井三池鉱が閉鎖され、かつては日本最大規模を誇った大牟田の炭鉱は全てなくなった。しかし様々な関連施設、建物はまだ残っているし、そこで働いた人々とその思いはスイッチを切るように消えていくわけはなく、今も怒りや苦しみ、誇りや懐かしさが続いている。
 映画では、三池炭鉱の概括や歴史が、囚人労働、朝鮮、中国からの強制連行、三池闘争、大爆発事故、CO中毒等も含みつつ、記録フィルムや人々の証言を積み重ねながら、そこで働き生きた人々、特に女性たちからの視点に重点を置いて描かれている。いかに地の底深い闇のなかでの労働だったかもかすかに窺い知れる。上映時の熊谷博子監督の挨拶どおり、三池も炭鉱も知らない人を対象にした映画として手際よくまとめられている。
 激烈だったあの三池闘争からでさえ40数年が経ち、当時の組合分裂工作などの裏話も出てきて驚かされる。時代が動いて、歴史のなかのこと、当然のこととして語れるようになったということか、死ぬ前に語っておこうということか。実際、多くの人がすでに亡くなっている、のみこんだことばと共に。
 上映会場には当時を生き抜いた人たちの姿もあり、あの闘争時に炭労が全てを中央に白紙委任するという過ちさえ犯していなかったなら、もっと実りある結果になったろうし先へと進めただろうという発言がでる、まるで昨日のことを振り返るように。
 あまりにも多くの命や心が、石炭が、野放図なまでにまき散らされ使い捨てられたこの近代という時代。そうして今も、方向さえないままやみくもに突っ走っているわたくしたち。映像やことばの奥から、声にも形にもできないものとして静かに立ち上がってくるものに耳を澄ませ、目を凝らすしかない。響きは届いてくるだろうか。

 

ジャンプ!ボーイズ(2004年)

超絶技巧の遊戯で
 9月16日から始まる「アジアフォーカス・福岡映画祭2005」で上映される、台湾のドキュメンタリー作品。体操選手だった監督の兄がコーチする小学校1、2年生の体操チームの、全国大会をめざす練習の日々を描いている。体を動かし、転がり、跳び回る子供たちは、まだ幼くて華奢な体で、お遊戯の延長にしか見えない、鞍馬や鉄棒、吊り輪とすごい技をやっているのだけれど。痛くて悔しくてすぐ泣くけれど、全然深刻にはみえない、「今ないた烏がもう笑った」だ。
 誰よりも張りきっているのは鋭い目のコーチ。体操を捨ててバイクを乗り回したワルの時代も語られる、復帰して成功し、一族で初めて国立大学へ入学した名誉と共に。金魚のフンのように兄についてまわって疎んじられた弟の屈折と尊敬はナレーションで。かつての教師が栄光の日々の写真を指しつつ語る体操チームのその後は、教師、コーチ、フライドチキンの販売、服役中(?!)と様々だ。
 公立学校のチームだけれど、教育とか学校の制度への問いかけなどは出てこない。「国家のためにもオリンピックをめざして子供たちの技術を向上させる」と生真面目に話すコーチの向こうで、じゃれ合い喧嘩しては泣く子供たち。模擬試合には必ずお菓子の賞品があり、文字どおり飴と鞭だ。壊れそうな体を駆使しての大胆な演技、弾んだ動きの柔らかさ軽やかさ、体の内から溢れ飛び出してくる力の魅力はすばらしい。
 コーチがくり返す、試合で上手くできなきゃ意味がない、採点のことを先ず考えてやれといったことばに象徴的なように、その自由でのびのびとした動きは、競技スポーツに特有の定められた道具や場所といった枠内での、審査(採点やタイム)だけを目的とする型にはまりきったものへと切りつめられ、鋳型にがっしりと組み込まれていくのだろうか。そうしてオリンピックの体操競技等での、あの異様な堅苦しさや緊張感につながるのだろうか、超絶技巧と共に。まだ世界のなかに抱かれたままの、技術や精進や栄誉や孤独や苦悩や絶望やに取り憑かれる前の、威圧的な筋肉に鎧われる前のしなやかな体と底抜けの表情はどこへ喪われるのだろうか、そんなこともつい思わせられる。

 

「ウィスキー」(2004年)

ひっそりとしたおかしみ、ささやかな嘘
 激しかった夏も翳りをみせ、まだ終わりはみえなくてもでもどこかにひんやりとした空気の塊が感じられる、そんな季節。そこにも思いがけない波風は不意に立ったりもする。人や人生もそんなふうに巡っていくのだろうか。「ウィスキー」というウルグアイの映画がひっそりと公開されている。まだ30代はじめのフアン・パブロ・レベージャ、パブロ・ストール監督。淡々と無表情な、でもどこかおかしみもあり微かな甘さも挿まれている、まるでこの世界のどこか目立たない片隅でくり返されていることそのままに、そんな映画。
 固定されたカメラの前、くっきりとした構図のなかで、登場人物たちはことば少なに行き来する。決まりきった地味な日常を、倦んでしまったことさえとうに忘れてしまうまでくり返してきたけれど、まだ仕事からも人生からも退場するには早すぎる年齢。父から受け継いだ、今は3人しかいない旧い靴下工場を細々と経営し、母の介護で結婚もしなかった頑固で不器用な兄、その工場で長く働いてきた地味な上にも地味なマルタ、そこに母の墓のことで帰ってきたブラジルで成功している如才ない明るい弟。兄を慕っていて弟にも好感を持つマルタを中心に、今までの生活からすれば破天荒ともいえる、嘘や非日常で彩られた数日が描かれる。
 ラテンアメリカ的な要素が強調されることはなく、どこにでもありそうな風景や街、ホテルや住まいのなかで映画は進む。カウリスマキ監督を彷彿とさせるむっつりしたユーモア、黙りこくった喧噪とでもいうような不思議な雰囲気もある。
 耐用年数をとうに過ぎた機械、商品、人々、人生。劇的な展開はもうありえないが、強引に断ち切ることなく、多くの人々がそうであるように、決まりきった挨拶と食事を繰り返し、時に些細な嘘をつき、新しい歌を覚え、お決まりの約束ごとのメロドラマをみる日々。特別に大きな喜びではなくても、他人を傷つけることのない生、見えない所でゆっくりと何かが熟し、知られずに産まれる、そんな場や時間なのかもしれない。
 マルタの思いは成就するのか、小さな秘密にも彩られた3人の関係はどうなっていくのか。あれこれあっても全ては続いていくしなるようになるというかのように、そしてそれは祝福であるというように、映画も答をいそがない。

 

第14回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(下)

カミングアウトを巡って
 アイスランドのドキュメンタリー『マイ・ファースト・カミングアウト』(2003年)はセクシュアリティに関してカミングアウトした十代の若者たちへのインタビュー。自分がまわりと「ちがう」ことへの戸惑いや驚きからの混乱、恐怖に始まり、名乗らないことは嘘をついているとか隠していることだと、いつの間にか思いこまされているマイノリティーたちの苦悩を、彼らもそっくりなぞっていき、家庭や学校でカミングアウトを始める。窒息しそうな閉塞感に押しつぶされそうになり、家出したり反抗したりしつつ、痛々しいまでの生真面目さで勇気をふるって「クローゼットの中」から出ていくことは、当人を重荷から解き放ち自由にさせる面も確かに持っている。映画のなかでも、自殺にも至る絶望の直前での捨て身なまでの蛮勇や居直りでカミングアウトし、自分を立ち直らせ、家族や友人にあたたかく受け入れられる喜びも描かれている。もちろん他方ではあいかわらずの差別や攻撃を結果として生みだしてもいく。
 しかしこういう偏見や差別の基になっている異性愛-同性愛といった区分けは、あくまで社会が「正常」を創りあげるために「非正常=異常」と名づけて境界を引き、隔離しようとすることでしかないのに、その社会で育ち同じ価値観に染められ、彼ら自身も、自分がまちがっているとか「異常」だとか否定的にしか捉えられなくなっている面もある。
 自分にとってほんとに切実なことだけを真摯に考える、痛くも痒くもないことをあれこれ外から語ったりしないことを大前提に、当事者ということの重さをしっかりと掴み受け止めつつも、でもそれは今の時代に自分がたまたま遭遇した偏見のひとつでしかないという視点を、少なくとも「カミングアウト」の後に持つことは大切だろう。おおらかさや勁さの方へ向かうこと。つまりそういった、区分けし境界を引くといった考え方自体から自由になること。そうでないと、他のマイノリティの問題にも通底するけれど、自身が当事者にさせられていることを確認する=確認させられるカミングアウトが、結果が肯定的であれ否定的であれ、同情や奇妙な英雄視も含めて、その人をその属性の枠組み(今現在の、ある特定の地域での概念でしかない枠組み)に、自他の力で永久に閉じこめかねないことは忘れられてはならないだろう。

 

第14回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭①

性の制度
 今年もセクシュアリティをテーマにした映画祭がボランティアの力で5日間に渡って開催された。接する機会の少ない表現を公開し共に考えようというだけでなく、映画祭自体が祝祭的な楽しさを持ち、日頃はバラバラで孤立してもいる同じような立場にいる人たちとの出会いやつながりを確認する場にもなっている。
 公募の4作品も公開。大阪の○○監督を中心にした「ヘテロ薬」制作実行委員会の『ヘテロ薬』(2005年)は、多様な視点からのセクシュアリティに関わる困難や疎外感、カミングアウトのことなど。とにかく語りたいという切迫感と共にユーモアも含まれていて、今の状況は正直しんどいけれどなんとか距離を取ろうと試みられている。上映後に監督などの挨拶があり、そこでもセクシュアリティの問題を当事者として社会に向かって積極的に語りつつもなんとか相対化していきたいという思いが感じられる。誰もが、「みんなも「社会問題」としてもきちっと考えてほしい、でも当事者はそこに留まってしまわないで、閉じないで」と願っているのが伝わってくる。マイノリティー問題とか差別問題のなかで終始せずに、当事者というあり方そのものを開いていき、あらゆることがらについてまわる当事者性ということそのものを相対化できる視点も問われ始めている。
 別会場でドキュメンタリー上映とティーチインも開催され、セクシュアリティの問題に関してだけでなく、もっと広く、社会と個が絡みあった性の制度としての愛や結婚、家族も討議。『誓いますか/誓います』(ジム・デ・セブ、監督2004年)では、「同性婚」が大統領選の焦点のひとつにもなった米国での、現在の揺り戻しの動きを追いつつ、法的権利がない故に、伴侶を喪った後に住み慣れた家から追い出され、「遺族」から家賃まで請求されるといった生々しいできごとも描かれる。法律で規定される結婚という性の制度をどう考えるかは様々だし、同性婚を求めることの否定的側面も忘れてはならないが、先ず、相続や病院の面会といったことがらから「当事者」をはじき出さないシステムが考えられなければならない。その戦略としての「結婚」ということもあるのだろうが、映される結婚するカップルの喜びに溢れた表情は特別に輝いてもみえ、心うたれる。

 

アメリカ 家族のいる風景」(2005年)

喪失と家族の物語、再び
 ヴィム・ヴェンダース監督の「ベルリン・天使の詩」(1987年)は彼自身の最良の作品いうだけでなく、多くの人に称讃され長く愛され続ける映画だろう。空を見上げたり風を感じたり、子供を抱いたり、手を水に浸したり、横顔に見とれたり、真っ赤な嘘をついたり・・・そんな人間界に憧れ、女性に恋をして地上に堕りてくる天使。
 抒情に溢れユーモアもあり、なにより人の思いや慈しみ、勇気ややさしい怠惰に満ちていた。子供の無垢を語る冒頭から、のびやかで自在な俯瞰シーンが続き、人々や家族のうちに秘められたささやかな喜びや哀しみを、天使の視線で捉えながらゆっくりと巡ってい
くシーンは、多くの人に今も焼きついているだろう。
 屈折し錯綜した家族の関係や愛を描いた「パリ、テキサス」(1984年)を最も印象深く覚えている人もいるだろう。そうやって友情、恋愛、家族といった人と人のつながりの貴重さと難しさを描き続けてきたヴェンダースの新作「アメリカ、家族のいる風景」。感傷的なまでに胸に迫る音楽、あざといほどにもみごとに切り取られた西部の乾いた光景、エドワード・ホッパーの絵画を具現化したような街。そんな背景のなかを、自分の子供の存在を初めて知らされた、今は落ちぶれたかつての西部劇映画のスターが、家族の物語を取り戻そうと彷徨する。
 初老の男の、人生そのものに感じる虚ろさや深い喪失感、ひとりで息子を育て生き抜いてきたかつての恋人の勁さはリアルだけれど、家族というあり方はうまく浮きあがってこない。ひとつには舞台に選ばれた米国の現実がそうであり、世界がそうあるからだろう。家族を考えるときにわたくしたちはどうしてもこれまでの「家族」と呼ばれた関係から始めてしまう。それ以外に知らないからあまりにも今の家族に囚われてしまう、血縁による最も深いつながりといったように。それが近代の「個」というエゴの核と重なり合って、私の家族、私の国・・・と固定化され続けていく。子供という絶対的なまでの無垢な存在に注がれる無償の慈しみは、私の子供とか私の家族といった回路に閉じこめられることなく遍在しているはずだ。家族という形で表わされていた人と人のつながりや愛は、今、ちがう形で現れ出ようとしている。福岡市シネテリエ天神などで上映中。

 

セルゲイ・パラジャーノフ(1924-90)

<時代>の底を潜って
 ゆきづまると人は急に懐古的になる、今を直視したくないから。その気持はよくわかるけれど、それがたかだか百年くらいの、しかも近代の底の浅い効率主義にまつわること、例えば明治時代やそれ以降の「文明」開花とか「近代化」、そこで創りだされ「伝統」になったものの讃美だったりすると、聞いていて哀しくなる。ほとんど絶対的とも言える規範になっていた「欧米」ということに関しても、もっと多様で自由な捉え方ができることはすでに自明なことだ。現代が新しいものを創りだす能力を枯渇させ喪ったのでなく、「新しい」というような発想の貧しさにやっとわたくしたちが気づいたということだろう。
 グルジア(当時はソ連邦)の映像作家、セルゲイ・パラジャーノフ(一九二四年-九十年)を時々無性にみたくなる、何よりその激しいまでに鮮やかな色彩と不思議さに惹きつけられて。豪奢な美しさに満ちながら、滑稽で暴力的で質朴でもある映像。ソ連邦時代には難しい生き方を強いられ、逮捕、投獄等で長編は4本しか残していない。そのひとつ『ざくろの色』は18世紀アルメニアの詩人の生涯を辿りながらも、そこから遠く離れた所へみる人を運んでいく。ことばや論理による解釈を拒み、整合性を踏み抜いていくその奔放でめくるめく映像にただ身を委ねてしまうしかない。生みだされる力が生き生きとしているのは、撮されている大地や建物、人々の表情や仕草が、長い時間の堆積のうえに、近代ヨーロッパなどよりずっと遠い歴史や文化の重なりの上にあるからだろう。些細な文様ひとつにも<神>も大地も人の思いも閉じこめられており、それをことばに翻訳せずに、おぞましさと共に引き出してこようとする、乾いた陽光の下で。
 歴史を恣意的に解釈して今につなげたり、異質な文化から活力を奪ってくるようなことではなく、わたくしたちが持たされているちっぽけな合理よりずっと深い所にあり、かつ現代の日々の生活にも溢れているはずの、まだ喪われずに残っている豊かさや力を探り、手に取る試みを再度始めるしかない。彼の作品はDVD等でしか接する機会がないが、総合図書館ホールが収蔵しているパラジャーノフに関する記録映画『私は子供の頃に死んだ』で断片的だが引用されている。

 

「略称 連続射殺魔」(1969年)

若松孝二足立正生、一九六十年代の風景
 若松孝二監督の新作「17歳の風景」のパンフに足立正生監督が真摯で辛辣な一文を寄せ、そこで永山則夫を描いた彼自身のかつての映画に触れながら風景について語っている。どんな映画だったのだろうと思っていると、「17歳・・」をみた友人からそのビデオが送られてきた。「去年の秋、四つの都市で同じ拳銃を使った四つの殺人事件があった。今年の春、一九歳の少年が逮捕された。彼は連続射殺魔とよばれた」が正式タイトル。それもまたとても60年代的だ。
 徹底して連続殺人を犯した少年の視点を辿ろうとすることから始まる映像。無音で、わずかなナレーションとフリージャズだけを背景に、まるごと時代を掬い取ろうとするかのように延々と風景が映し続けられる。つましい家々、祭、通過し続ける列車、港、停泊する船、都市、街路、群れる人々、疾駆する車、駆け抜ける自転車、牛乳配達、自衛隊、米軍基地、ホテル、神社、タクシー、路地。そういった風景を見、そのなかで生きていた少年。彼に突然殺害された人たちも同じように見、そしてそのなかで暮らしていた風景。距離をおいて撮られていても、積み重なった時間が剥き出しになってきて、重たく存在のある風景として立ち上がってくる。
 外側からの殺人者の分析や時代・社会の解析でなく、自身の過剰に引きずられ流され続けた少年のあり方を内在的に探り、常に外に立ちはだかり彼を閉じこめた風景を浮かびあがらせる試みでもあったのだろう。そこで掴めるもので時代や社会を斬り返そうとでもいうように。
 家出や密航、どこにも留まれず移動や転職をくり返す不可視の少年の視線を、彼を捉えていた視線を、執拗に追い続けるカメラ。凝視していると、自分が見られているような奇妙な感覚に入り込んでいく。見ることと見られること、映画と現在が地続きになっていく。視線の先で起こること、例えば殺すのも、殺されるのも自分である、放り込まれた風景のなかでそんな地点まで辿ってしまう。この映画からでも37年が経ち、97年に永山則夫は死刑執行された。風景は積み重なり重層化していったのか、バラバラに風化し続けたのか。「略称 連続射殺魔」はタゲレオ出版からビデオで発売中。

 

再び出会う映画のなかの日々

名画座とよばれた映画館があった
 時代の変化や技術の発達、次々と新しい映画がつくられる。そういった表現が生む新鮮な驚きや発見もあるが、今までつくられてきた映画で繰り返しみたいものも少なくはない。ヴィデオやDVDでなく大きなスクリーンがいいけれど、なかなかその機会がない。
 以前は名画座とよばれる映画館が大きめの街には必ずあった。福岡にもセンターシネマ、ステーションシネマ、東宝名画座、中央映劇、天神映劇、冨士映劇、キノ、小倉の有楽、昭和館等など。封切りの後の再上映や古今の名画の特集、安くて入れ替えもないから何度でもみれた。貧乏性のせいだろうか、そういう場所でみると落ち着く。美術業界には「目垢が着く」というような言い方があるが、映画はより多くの食い入るような視線に曝されることでいっそう豊になっていく。複数の人に同時に共有される表現であり、それによってさらに力を発揮していく。時間が余ったから映画でもみるか、といった時間のつぶし方もあった。「古典」を勉強しようという若者や、見逃した映画を押さえようというマニアックなファンはまだいるだろう。
 かつての時を瞬時に蘇らせる力も映画にはある。生理にさえ食い込むほどにも映像と音が焼きつき、時のなかで発酵し変容し、その人にぴったりとあう形となって長く保存されるからだろう。新しい芸術の形式には新しい果実が惜しげもなく盛られ、その果肉を食べ尽くすのもまた若く柔らかい感受性だった。そうして相応の年齢になって、吐き捨てられた種子の固い殻の内に秘められていたものを初めて感じとり、わかることができることも多い。往年の心ときめかした俳優や彼らの演じた愛の諸相に、心ざわつかせた活劇や任侠映画にも、人は今また同じように感応してしまう。
 福岡市総合図書館ホールでは多様な映画の特集も多く、4月の「大映映画史」で「王将」「羅生門」「雁の寺」「おとうと」などが上映予定。一昨年の勝新太郎映画祭には「悪名」や「座頭市物語」がかかって、珍しく座席が埋まっていた。馴染みがなくて初めて訪れた人も多かったのだろう、映画が始まってからも厚いドアをバンと開けて入ってくる人をみていると、そうだった、映画はそんなふうにもみられて愛されていたんだと、キャラメルの味までも甘酸っぱく蘇ってくる。

 

「ある子供」(2005年 監督:ダルデンヌ兄弟

痛ましいまでの幼さ
 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の前作「息子のまなざし」は、ほとんどそれと意識さえしないまま子供が子供を殺してしまう悲惨を、殺された側の家族と罪を犯した子供のその後として描いて衝撃的だった。誰もが直視できない、もう裁くことも許すことも意味がない悲劇をそのままに掬い上げていて、みる者は、投げかけられた問いだけが反響し続ける答のなさのなかにとり残された。
 今回も、対象から距離を取りつつも執拗に追い続けるドキュメンタリー的な視点で撮られていて、人も建物も都市も息苦しいまでに生々しい。働くことを厭い、ひったくり等でその日暮らしをしている二十歳のブリュノ。恋人のソニアが産まれた子供と共に病院から帰って来るところから映画は始まる。本人自身がまだ子供でもあるブリュノにとっては、恋人も生活も子供もきちんと向き合う切実なものには感じられていない。次々と関心が移っていって、結果として全てに無関心になってしまうように。言われるままに出生を市役所に届け、そうして翌日には子供を売り飛ばしてしまう、「またつくればいい」。それを知った衝撃で失神するソニアを前に、初めて事の重大さに気づいて取り返しに走る。
 誰もが「子供」のままだ。子供のまま反抗し社会に関わり子供としてあしらわれ、子供のまま子供を産み、必要な時だけ責任ある「大人」として利用される。しかし大人になりきれないのは映画のなかの彼らだけではない。今は誰もが成熟できず大人になれないと言われる。確かにそうだろう。わたくしもそうだ。大人になれないのではなく、「大人」という意味(役割)が時代のなかで変質しただけでなく、そういった「大人-子供」といった概念自体が成立しなくなっているのだろう。「家族」が成り立たないのと同じように。
 この映画のなかでも描かれる、恋人への、赤ん坊への、年少の相棒への思いやりや慈しみは、名づけられないまま、「家族」や「愛」といった概念の内にも閉ざされることなく様々な形で今もどこにでもある。誰かが誰かに赤子のようにしがみつくこと、つまり受け止め受け止められるものがあるのを知ることから、また生まれ育つものもある。そういった希望を語って、映画は前作よりもやさしく勁い場へと抜けていこうとする。

 

「世界」(2005年 ジャ・ジャンクー監督)

回り続ける舞台の上で
 2000年、山西省を舞台に中国の今、今の若者たちを、その屈折や哀しみ、ささやかな喜びや憧れと共にみごとに掬い上げた映画『プラットフォーム』。そのジャ・ジャンクー賈樟柯)監督の新しい作品は、世界全体が急変するなか、さらに速い流れに放り込まれ異様なスピードで変わっていく北京が舞台に選ばれている。他の国々と同じようになりふりかまわず驀進し続ける中国、その象徴のような大都市のなかの人々が描かれる、さり気なく取り込まれた過去の映画と共に。
 世界の名所、建築などを縮小再現して寄せ集めたテーマパーク「世界公園」で、ショーのダンサーや警備員として働く地方出身の若者たち。慎ましい望みや壮大な夢想、愚かさと初々しさ、感傷や打算の渦のなかを必死に走り続けながらもどこか虚ろで、すでに倦怠や諦念の淡い皮膜にも覆われている。
 圧倒的な社会の力を前に、表層だけの衣装や制服を着けて軽やかに踊り、うまく立ち回ってみても、所詮使い捨てられるだけの役割からも、その階層からも抜けらない。出稼ぎに来た朴訥とした同郷の若者の、建築工事現場でのあっけない死としてあからさまに語られるように。かつて切々と描かれた、生きていくうえで時として持ってしまう粗野な暴力や卑劣さと表裏にあった底深い無償の思いやりや慈しみは喪われてしまって、もう現れえないのだろうか。
 一日で世界がみて回れる公園という卓抜な設定。憧れながら諦めながら、役割を取り替えつつ日々くるくると回り続けるだけだ。空っぽでチープな張りぼての世界からの出発は永遠にない。時代や世代のそんなストレートな比喩は、でも彼らだけでなく、わたくしたちの世界や生そのものの喩えでもある。
 <世界>に溢れているのは、どこにでもある大型建築であり都市であり人であり掻きたてられる欲望でしかない。そしてまた、ありふれているのにその度毎にあまりにも新鮮で心ふるわせる愛やつながりであり、そうしてくり返され続けわかりきっているのに、けして慣れることのできない死の唐突さと痛みでもある。

 

「炭鉱に生きる」(2004年)

山本作兵衛が描いた炭坑
 一八九二年(明治二五年)に飯塚に生まれ、炭坑での仕事を続けた山本作兵衛さんの絵画をもとにしたドキュメンタリー。63歳で解雇された後、警備員となった頃から92歳で亡くなられるまで、一千点とも言われる膨大な作品が驚異的な記憶力をもとに描かれた。残されたノートと絵画で彼の半生を辿りながら、当時の炭坑の様子、仕事や機械、長屋住宅(炭住)での生活と現在の炭坑跡や人々が撮されている。
 とにかく炭坑や坑夫の生活を語りたい、伝えたい、残したいという作兵衛さんの思いに満ちた、説明の文字も溢れる独特の作品がスクリーンに映しだされる。彼の地元である飯塚を中心に据え、時代も彼が従事した時代、五十年代半ばまでに限定することで、まとまりのあるものにおさまっている。だから炭坑が崩壊させられていく過程や、そのなかでの三池闘争やガス爆発とその後遺などは、具体的な形では描かれない。
 関連の施設などが次々に取り壊されるなか、各地の資料館に様々な形で資料が残されていることも知らされる。それらを説明する、炭坑に関わってきた人々の今も生き生きとした、時には生々しいことばや表情。絵画のなかにも丁寧に描かれた当時の生活の様子は、炭住独自のものも含みつつ、時代そのものの記録でもある。描き終える毎、慈しむようにそっと画面を撫でたという作兵衛さんの思いもこもっている。それは映画のなかの今の人々の生活とも重なりつつ、様々なことを伝えてくる。違いはありつつもそういったものはどこにもあったし、見えなくなりつつも形をかえ今に続いている。労働や生活が厳しければ厳しいほど、人がとてつもなくやさしくなりうること、助け合うことも。そうして一方にはそういったささやかな生の上で繰り広げられる経済や政治の底なしのゲームや闘いがあり、現在もますます拡大され続いている。
 上映会場の福岡市総合図書館ホールはいつになく大勢の人で埋まり活気に満ちている。多くは炭坑やこの映画をつくるのに関わりのあった人たちだろうか。それは映画のなかの、すでにない炭坑や炭住、かつての生活を懐かしむ集まりの雰囲気にも似ている。苛酷な現場を生き抜いて退職した人、今は全くちがう仕事で暮らしている人、懐かしさだけではないどうしても混ざる苦いもの、こみあげてくるものもまたある。

 

送還日記(2003年 キム・ドンウォン監督)

信念、愛、憎、つながり
 私的な思いを語る形をとった監督自身のナレーションから映画は始まる。そういう、個的な距離の取り方でしか、この複雑に錯綜し捻れ積み重なったことがらを語りとおす方法はないのだろう。今も南北に分かたれ、冷戦、朝鮮戦争独裁政権の深い生傷を負い、日本の植民地時代の傷も残る韓国の「非転向長期囚」とその送還を描いたドキュメンタリー。
 戦争捕虜やスパイとして逮捕拘留され、90年代に入って特赦により釈放され始めた人たちの服役年数、29年、34年さらには45年といった数字に、ただ呆然としてしまう。その長さにだけでなく、その間の暴力的な拷問や懐柔に耐えて「非転向」が貫かれるということにも。何が人をそんなにも強くまた頑なにさせるのだろうか。それはこの映画の底を流れ続けるもうひとつの問いでもある。
 釈放される先は南の「敵地」だ。老いて、当座の帰還のあてもなく、「アカ」の悪罵に曝され、近所の人や市民運動に助けられて貧しい生活を続けつつ、でも希望を捨てず、「祖国と人民のため」に闘うという志は揺るがない。今の社会では希有な「純粋さ」、毅然とした姿勢、尽くす生き方に多くの人が惹きつけられもする。今も「無謬の党」が中心に存在し、送還前の親族との最後の宴で主義を蕩々と説き始める人もいる。一方には、南出身で北の軍に加わった兄弟を徹底して拒絶する家族。獄中で「転向」させられた元服役囚は、尊厳も踏みにじられ帰還すらできず、しかもそれを自分ひとりで引き受けるしかない。
 スクリーンに現れる人々の背後にはもっと多くの服役囚がいるし、北にも多数の囚われ帰還できない人がいる。まして戦争で亡くなった人の数の膨大さ、誰もが暗澹たる思いに胸塞がれる。でもこの映画のトーンは明るい。同じ顔、同じことば、同じ苦しみを受けた人たちが、ここまで遠ざかり、憎みあってしまうことの無惨さと共に、しかし「敵地」のなかで同じ顔、同じことばで市井の生活を送っていける不思議とあたりまえさを掬いとる。そういう場、あり方をじっと見つめ、一人ひとりを、そのつながりを時間をかけて写しとろうとすることで産みだされるものが、確かにある。福岡市シネサロン・パヴェリアで上映中。

 

馬賊(1985年)

生きることと死ぬことと
 アジア美術館ホールで開催された「中国映画フェスタ2006」での田壮壮監督作品。山並みが続くチベットの高原。荒々しい鈎型の嘴の猛禽が羽を広げ空を舞うシーンから始まる。ラマ僧たちが座って読経し、群がった鳥が啄む向こうに、血の色が見え隠れし骨が散らばる。弱いものは押しのけられ、激しく嘴や首を動かして肉が引きちぎられる。
 雄渾な映像の力で、鳥葬という異様に思える光景もみる者に静かに受けとめられていく。人が死に向きあう形をとおして生の形も浮かびあがってくる。畏れや汚れとして死を彼岸に押し隠すとき、生もどこかで切り断たれ歪み捻れていく。現在、生と死の境界線が恣意的に決定されることでかえって生も死も曖昧になり、命の深い不思議は遠くなってしまう。
 インドやネパールでは、死者は人々の眼前で焼かれ砕かれ河へと遺棄される。木の上で風に曝すのも、電気炉で焼却するのも、棺に入れて埋めて腐敗に任せるのも、その地域や時代やの決まり事のひとつでしかない。そういう営みが、風景や世界観の違いを越えてあたりまえのこととして受け入れられるのは、積み重なる時間の厚みと人の持つ生きる勁さのゆえだろうか。
 映画のなか、子供をかわいがり寺へ参り、寄進もまめにし、荒い毛皮を着て馬を巧みに操る男は盗人であり、奪い傷つけお上の寄進にまでも手をつけ、ついに村から追放され息子も失う。苛酷な自然、ヤクと羊の群れ、寺院、儀式。再び子を授かり、そうして河餓鬼の仕事に就き、穢れたと蔑まれ、母も死に、再び馬泥棒をして殺される。大きな鳥が空を旋回する。
 長大な叙事詩のように、ゆったりと雲は流れ、雷が轟き、そうして雪は斜めに吹きつける。疫病が流行れば家畜たちはバタバタと倒れ、人は山を下りる。高地に短い夏が来、川は流れ草が芽吹き、慌ただしく季節はくり返され、祭事は祈りをこめて執り行われる。人は生活の、生の難しさを宗教の教えや共同体のしきたりに従うことでかろうじて乗りきろうとし、次世代へ希望を託していく。誰の、何のための、どこへ向かう希望かは問わずに。生活のなかで、温かい一杯の茶、うまいバター、流れを受け継いでいく子、愛しい家族といったささやかな喜びに満たされつつ。

 

第28回ぴあフィルムフェスティバル 「水蒸気急行」(1976年)

疾走するリリシズム
 新人を対象にした公募による映画祭、ぴあフィルムフェスティバルが北九州、大分、福岡でも開催され、入賞作品だけでなく、特別企画で衣笠貞之助監督の「狂った一頁」やこの8ミリ映画「水蒸気急行」も上映された(上映はDVDによる)。
 電車を撮るだけで映画になってしまう驚き。ただただ電車とそこから見える風景が写し撮られ、編集され、ラジオから録られたニュースや音楽だけが重ねられているだけなのに、疾走する快感や喜びから、緊張や不安、そうして感傷やリリシズムさえ生まれてくる。時代的な背景をいっさい振り捨て、社会性や政治性をみじんも取り込まないよう、軽やかでポップに、一瞬も止まらずに走り続けるのに、すごく時代的で、世代的なものが透けてみえてくる(もちろんそういう見方そのものが「世代的」なのだけれど)。
 撮ったのは当時26歳の森田芳光。まだ「家族ゲーム」も監督していない。全くの無名で、学校を終えたのに仕事もなく、ただ撮りたいという抑えがたい思いだけ。
 撮られたのは70年代半ば。エネルギーが噴出した60年代がもう遙か遠いことに思われ、連合赤軍の衝撃が、残っていた政治的過激さの残滓を一掃するだけでなく、どこかにあったあっけらかんとした元気さも消し去ってしまった、奇妙な空白の時。焦燥感がつのってじっとしていられないのに、何をするか、どこへ行くかは全く見えてこない。
 無色にしようとしても、国電や地下鉄、その駅舎にはまだしっかりと近い過去の記憶が焼きついている。羽田、新宿騒乱、東大-お茶の水、日比谷。大きなデモンストレーションの度に電車はストップし、駅舎は閉鎖され、そこに群衆が雪崩れ込み、機動隊が追撃する。もちろん、小津安二郎をだすまでもなく、映画のなかには電車や駅舎、そして行き交う人々の記憶が積み重なり、溢れている。
 そうやってその時点で8ミリフィルムに定着された風景が、記憶に直に働きかけて思いがけないものを蘇生させるかのようにいろんなものが立ち上がってくる。受けとる側はその年齢や生活の場のちがいから様々に解釈しつつも、色褪せないもの、核にある混沌や情熱とでもいったものの全部を、生真面目さからいい加減さまで、凛々しさ粗暴さ繊細さ初々しさ弱さ甘さをも、まるごと受けとることになる。

 

カポーティ(2005年)

嘘や弱さをも引き受ける勁さ
 米国の作家、トルーマン・カポーティの作品はすぐれた表現がそうであるように、多面的で深い奥行きを持っている。卓越した文体、きっちりと構成され破綻がなくシンプルにさえみえるのに、複雑なひろがりがあり、奇妙な暗い翳りがまとわりついている。「ミリアム」や「夜の樹」といった心の底の不安が結晶したような作品から、「草の竪琴」や「クリスマスの思い出」の無垢さまでの幅広さも持っている。
 映画の始まりに、嘘とか愛とかいったことが、パーティの虚ろな喧噪のなかで語られる。ことばにすること、創作することといった意味合いも絡めつつ、真実とは、愛とは、人と人のつながりとは、といった問いが見え隠れしつつ最後まで続く。
 カポーティが深く関わり「冷血」という作品に結実させたカンザス州の殺人事件、その事件の犯人と関わる数年間。不幸な生い立ちや母親との愛憎という、似たような境遇のふたりの人間が、今や牢獄とニューヨークでの成功というあまりにも遠くかけ離れた場所にいることの痛みや不思議さも込められた交流。
 関わりのなかで生まれた犯人への愛情と、早く決着を迎え最期を見届け、ノンフィクション・ノベルという新しい形式の作品を書き終えたい、成功したいという欲望の間で揺れ、湧きでてくる慈しみと冷たく突き放す冷酷さ、嘘や駆け引きとが同居する。あまりにも作家の創作の苦悩といった常套句に傾き過ぎるけれど、葛藤のなかで、カポーティが刑の執行に立ちあうに至る必然も描かれる。絞首刑を見据える蛮勇と、でもそのことに叩きのめされてしまう脆弱さの両方を抱え持ち、平凡だけれど安定したバランスを持ち得ないあり方もみえてくる。自身を自壊させてしまう背負えない荷物を、時代や社会の要請と甘言のままに引き受ける、引き受けさせられることの目も眩むような報酬と悲劇。
 若さや未成熟さ、新しさが抜きんでた価値のひとつになってしまった米国と、それを後追いし、なぞり続ける今のこの世界のあり方が思い起こされる。若さや未熟さが否定されなくてはということでなく、それに伴う弱さ、貧しさを認め引き受ける勁さを持てないことが、世界を現在のような混乱のなかに放りだしている原因のひとつだということだ。誰もが何も引き受けずに、ただヒステリックな反応とやみくもな攻撃で自分を守ろうとし、ますます疲弊し乾ききっていくかのようにみえる。

 

アジアフォーカス福岡映画祭 「4:30(フォーサーティ)」

うす藍色の<記憶>のなかで
 映画制作が始まってまだ間もないシンガポールの、この作品が長編2作目になるロイストン・タン監督。上映後会場での交流が行われ、そのなかの質問に答える形で尊敬する映像作家として台湾の蔡明亮の名があがった。「愛情万歳」や「河」などの蔡の映画では、剥きだしの孤絶とそれでもつながっていく人と人の関係の勁さや不思議さが哀しみと共に驚くほど烈しく深く描かれて、みる者をほとんど打ちのめすほどだったけれども、そこには受容の力や厚みのある慈しみもまた描かれていて、圧倒させられた。
 この「4:30」のトーンは夜明けのうす藍色。その淡さと静けさは、描かれているのが少年の現在形の<記憶>を通した物語でもあり、見えていると思われている<現実>とはずれた位相で語られているからだろう。もしかしたら全ては、少年が飲み続ける咳止めシロップのなかの幻想かもしれない、そんなふうに思うことも可能だ。少年の皮膚や感受のようにまだ幼くて柔らかくてとりとめがないのにでもどこか切迫した思い。
 父親のいない家庭、不在の母、ひとりで留守をする中国系の少年と隣室のことばも通じない韓国人青年との数日。海の底のようなブルーに染まったしんとした室内の午前4時半。明け方に帰宅し睡眠薬で眠る青年の部屋に忍び込む少年の寂しさ退屈、大人や父親への憧れ、性への好奇心がわずかな仕草で語られる。それは、鬱屈し自死すら思う青年の孤独や倦怠、哀しみとも重なっていく。蔡明亮の映画のなかの、ベッドの下に忍び込む形で描かれた痛々しいほどにも激しい性や、計りようもないほどに遠い始まる前に断たれている関係とは少しちがうあり方。人工的な眠りのなかにある青年に寄り添うように横たわる少年、それは拡大された家族のつながりにも似ていて、不思議な性の気配も漂う、愛というよりもっと身体的なふれあいの感覚といったような。そうしてささやかなユーモア。
 かすかに通い始めたふたりのつながりはある日黙ったまま青年が出ていって唐突に断たれる。またひとりになってぽつねんと座り込む少年に何かがそっと触れる。それは生の、善や歓びの証しであり、同時に死の、悪や苦しみの翳りでもある。わたくしたちの生がその深みで、光りもない暗がりでも実っていくように、孤独や愛や憎しみさえもが人や世界を豊饒にするという理を少年も受け入れていく、のだろうか。

 

胡同の理髪師(2006年)

飄々として逞しく
 9月15日から始まる「アジアフォーカス福岡映画祭2006」には20数本の各国からの映画が予定されている。そのひとつ、中国の「胡同の理髪師」は、熱いタオルに蒸され、耳たぶやまぶた、それに鼻梁まで西洋剃刀でぞりぞりと剃られる気持ちよさから始まる。再開発で失われゆく北京の路地、ひとり暮らしの92歳の老理髪師、近所づきあい、次々と亡くなっていく友人たち、猫、季節の移ろい、穏やかな滑稽さ、そういった既視感のある素材で、限られた場所のなかで、誰もが予想する淡々とした展開で進行する。
 格別なできごともなく、親子の愛と葛藤、世代間のずれ、激変する都市を写しとりながら、でも過剰な感傷や詠嘆、時代への回顧や郷愁、美しすぎる風景は避けられている。だからそこに、映像やことばの外のこと、語られない様々なことが、曖昧な輪郭のまま静かに浮かびあがってくる。まだるっこしい、あちこちにとんでズレもあるけれど耳に残る老人たちの会話のように。主人公の靖(チン)老人を演じているのは、実際に今も現役で仕事をしている理髪師であり、ドキュメンタリーのように撮られた日常、その表情やしぐさのリアリティによって、大仰さや人情悲喜劇的要素は薄められる。諦念といったことからは遠い充足した勁さは、難しい時代を生き抜いてきた頑固さ、柔軟さ、偏屈さ、弱さ、幸運、受け入れる力などからくるものだろうか。
 それにしても西太后の名がで、中華民国成立2年後に生まれたと語られるとき、改めて中国のこの百年とその激動を思わざるをえない。西洋からの収奪、阿片戦争日清戦争中華民国成立、日本の侵略、国共内戦中華人民共和国成立、朝鮮戦争文化大革命ヴェトナム戦争市場経済、オリンピック・・・。アジアの多くの国がそうだったように複雑で困難な時代。
 理髪師のひとり息子も既に退職し、ひ孫も生まれた。遺影と新しく誂えた人民服の死装束を用意し、自分のこれまでをテープレコーダーにふき込んでいく。そこには戦争も文革も出てこない。飄々として逞しい人生はまだまだ続いていく。何が起きても、また越えていく。

 

夜よ、こんにちは

集団に溺れる快楽 
 これほどにも戦争や武力紛争が続くと、いったい何故だろうと誰もが考えこまざるをえない。何が人を憎悪や狂気、そして闘いへと駆り立ててしまうのだろう。この映画ではイタリアで1978年に起こった、急進的政治組織「紅い旅団」によるモロ首相誘拐から殺害までの55日が、監禁した組織メンバーを軸に描かれる。政府が取引を拒み、1国の首相が殺されること自体異様だが、利害が錯綜した議会政治党派等政財界のパワーゲームや宗教も含む社会的葛藤には直接言及されない。
 「旅団」の信条や戦略、メンバー個々の思想や内面などを通して、テロルへ傾いていく人の心の経緯や飛躍を描くのでもなく、事件や時代の解析も避けられている。答はもちろん無い。みているわたくしたちは自分たちの周りの数々の事件やできごとを思い起こし、また自分が関わった政治やスポーツも含めた熱狂と没入を思いだし問い返すしかない。ことばや論理での整合性はどこで放棄されたのか、何が極端なまでの飛躍を遂げさせるのか。「思想」が強引に外から人を引きずり込むことは思われているほど多くない。
 圧倒的なものに身を委ねることの底知れない喜悦、かもしれない、特に時代が変化し、不安定な時には。考えることも、時には感じることさえ放棄して全体と合一する、そこでは全体=私であり、私の正義は世界の正義であり、殺し殺されることも厭わず、絶対的なものに属し尽くすことの快楽に溺れられる。蔑まれたり否定されたり、誇りが傷つけられたりする不安や怯えが消え去る。ある閉ざされた枠組みのなかで、十全に解放され伸びやかに開花し、生き生きと全身で働き役割を全うし続ける、殺す役割も含めて。離れた所からは、乾涸らび強張って表情さえ失われたあり方にしか見えないにしても。
 そういうことから距離をとり、冷静な場を確保できるのか。今まで問われ続けた問いに、映画は直截には答えない。ただ、監禁する側の女性が想像する別のあり方、例えば束縛を抜けた首相が室内や街路を歩く姿の、はっとするほどの身体的な自由さのなかに、かすかに感じとれるものもある。それは日常の、くり返される生活のなかでのみ生まれるささやかなでも奥深い感受や、そこから膨らむ想像力が、この酷いまでに錯綜した世界を静かに抜けていく可能性を持つということかもしれない。

 

「中国之夜」(ジュー・アンキ監督 2006年)

猥雑さと空虚さと
第20回福岡アジア映画祭が開催された。1999年台湾大地震のその後を追ったドキュメンタリーや、カンボジアの難しい時代を生き抜いた人たち、アンコールワット近辺の生活を描いた「アンコールの人々」なども上映された。
ドキュメント「中国之夜」では、猥雑なまでのエネルギーに溢れた、ありふれた人々の驚くほど多様で奇妙でもある生活が、生が、感傷やロマンティシズムを排し、全てを均一に見つめる視線で掬い取られた、奥行きを取り払った平板な画面として映しだされる。
夜。百匹もの猫を飼う老婦人の孤独が、辺境からやってきた娼婦と客のことばさえうまく通じない寄る辺ない性が、きりなく豚を解体し続ける陽気な男たちが、冷たくはないけれど揺るがない距離を保ちつつ写し撮られている。深夜のマンホール地下作業、ディスコで熱狂する若者たち、伝統の京劇を教わる人、延々と続く地下鉄の階段、英会話教室のウェルカムの斉唱、うす暗い産院で誕生に立ち会う父親、ひよこの孵化と選別、雑技団のアクロバット練習、キリスト教イスラム教の礼拝、軍歌が高唱される中高年世代の宴会、重量挙げの特訓教室、それに強盗を語るタクシー運転手も、同じように感情を抑えた零度の視線で掬い取られている。
経済の激変が進み、オリンピックを間近に控えてさらに解体が加速する中国の今。人々は澱のように溜まっていく負のエネルギーを、まるで追い立てられてでもいるかのように、暴力的に夜の闇の中へ解き放っていく。時代の変化さえ巧みに取り込み逞しく乗りこなしていくようにみえつつも、その底では何一つ信じてさえいないように。ユーモアや諧謔の向こうに浮かび上がる深々とした闇。おそろしいまでに深いぽっかりと空いた淵、全くの虚ろさ、そんなふうにもみえてしまう。そうしてそれは、異様なまでの力で突っ走る現在の中国の小さくはない一面であるのだろう。
日が昇り始める。夜を徹して驀進し続けたトラックがスクリーンの中央でふいにストップモーションで釘付けにされ、<完>の文字が現われる。夜の扉が閉められた、そうしてまた次の夜への長い助走が始められる。

 

 

第15回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(下)

願うということの深さと翳り
 「S/N」(2005年)は、エイズで亡くなった古橋悌二を中心としたパフォーマンス集団ダムタイプの1995年公演をもとに映像化されている。性や身体、それに感覚や心も時代や社会のなかで創りあげられるものだということを、HIVウイルスを比喩の核としながら、新しい考え方の枠組みも援用しつつ語っていく。簡潔でシルエットを多用したクールなシーンを重ねながらも、生身の、生の切迫感に溢れユーモアや抒情にも満ちている。上映後、この作品やダムタイプに影響を受けた人たちによるパネルディスカッションも行われた。
 障害といったことと結びつけて語られる、話すとか聞くといった身体的能力や、生物学的とされる性別、社会的文化的な性の区分け(性差)、さらには人種や民族や国籍や身分や仕事やといった様々な属性を突き抜けた場で人と出逢いたい、さらには、そこで<あなた>と交わりたいという願いが感傷を排しつつも切々と演じられる。生のただなかでいく度も倒れ、廃棄され続けても、自身がまたは誰かが立ち上がり、そうしてまた走り始めるといったどこか寂しくでも凛々しさもある姿も繰り返される。響かない声をあげ届かない腕を伸ばし、ここより他のどこかや遠い未来でではなく、今ここで、生きるこの体としてあたたかいものをかよわせたい、熱い思いを届けたいという望みが充満する。
 差別や偏見もある現在の世界のあり方を冷静にみつめ、時代や社会の枠組みにどうしようもなく囚われている自分たちを確認しつつも、それは絶望でなく希望なのだと、そこからこそ全ては始まるのだという思いを持ち抱えて捨てず、そのささやかな夢にすがるようにしてでもやっていくんだと意志するかのように。
 生きていくのにちょっと辛い負の条件を背負わされた者だからこそ見えることも掴めるものもあるのだ、だから他への想像力や思いやりも膨らむのだと信じること。確かにそういう場でだけ深まるものもあったのだし、だからこそここまで来れたのだ、そういった世界の果実の受け取り方がありそれを選びとったのだと。そうしてそういうあり方を祝福し他へも手渡していくんだといった、シンプルで切実な思いもまた語られる。とてもたいせつな、柔らかで「弱い」勁さとして。


第15回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(上)

愛と家族の<幻想>は超えられるのか
 第15回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭が、多様なボランティアの力に支えられて開催され、公募の5作品(安藤佳寿哉「虹の心」、Pakurane「LuLuLu」-写真-、松本ららら「Live」、タテナイケンタ「東京のどこかで」、izmoo&Mia「chew it up#0」)を含めた長短35篇ほどの映画が上映された。フェスティバルとしての面にあわせたコミカルな映画や啓蒙を兼ねたものも多かったが、セクシュアルマイノリティ性同一性障害セックスワーカーHIVエイズ)問題などを考える作品もあり、上映後のティーチイン、監督や制作者の挨拶も行われた。ドキュメンタリーやアニメーションもあり、テーマも多様だけれど、やっぱりというか、愛や家族に題材をとったものが多い。それが性と生の制度であり、今もまだ誰もの生活の細部に深く染みついているからだろう。
 役割モデルが他に見つからないためか、どうしても現在見えている家族や愛(異性愛)の物語のなかに収束していってしまう。まだ見えないでもかすかには感じられている新しい関係や、生活を伴った恒常的なつながりの形は探られ始める前に終わってしまう。
 両親(家族)とのぎくしゃくした、主には結婚を巡るごたごたが、カミングアウトの悲喜劇の激震の後一気に解決し、みんなに認められあたたかく迎えられるといったプロットの作品が多い。これでは少子化のなかでまた語られ始めた、今や観念的にしかありえない女/男らしさの大切さや「家族」といった形での性の再編成の動きのなかに取り込まれていきかねない。辛い生のなかであたたかいものを求めすぎて、現実にある自他への偏見や抑圧に目をつぶるのではなく、これほどにも人を縛っている性別という概念を丁寧に遠くまで遡って考え直すことでしか、新たな関係もあり方も生まれてこないのだろう。
 それは愛についても同じだ。現在の自分たちの関係を安定させたい、社会的にも認めさせたいという性急な願いが、近代の一対の愛、ロマン的な愛(すでに成立さえしなくなっている)といった異性愛の形を模倣する方に向かってしまう。結婚を再考することと同性婚の要求が分裂してしまう。カミングアウトや社会問題化して闘う、というせっぱ詰まった思いを、性別やセクシュアリティがまるで普遍の実体としてあるかのような前提に立たずに語る語法も、まだ姿を現す途上にとどまっている。

 

ホワイト・プラネット(2006年)

凍える大地の終りのない旅
 果てなく白い氷に覆われた大地、深々とした暗く凍える海、そこに群れる多様な動物たち。北極熊、ザトウクジラ、イッカク、海豹、海象、ジャコウウシ、狐、海ガラス、蛸や蚊もいる。多くは母子が中心であり、誰もが擬人化して家族としてみるから、愛に満ちていて、愛くるしくて、ちょっと哀しくもあるドキュメンタリー。時間をかけて撮られ、つなぎあわされた象徴的なシーンが続き、メッセージも添えられている。
 季節の巡り、それに添ったカリブーの百日を超す長い長い旅や鳥の渡り、その行程の力強さに感嘆し、不思議さにうたれる。でもみているうちに、次第に茫漠としたとりとめのなさに取り込まれていく。ずらりとそびえ立つビルの下、大きな交差点に立ち、きりなく走り抜ける車や人の流れを見ているときの、気の遠くなるような思い、「いったいわたくしたちは何をしてるんだろう、どこへ行こうとしているのだろう」という怯えにも似た思いに、どこかでつながっていく。
 文字どおり北の果てまで、ぼろぼろになりながら旅してきた動物や鳥の巨大な群れ、南の海からこの海までやっとたどり着いた鯨。それは豊富な餌を求めてであり、繁殖のためでもある。個体の保存と種の保存。そこには他種へ自分たちを食べさせる、捧げものにも似た形での個体数の制御や、自然界全体としてのバランスの維持も含まれているのだろう。彼らが元の場所に戻るのを知り、また翌年も同じ旅をくり返すことを思う時、崇高さと同時に、苦役への忍従すら感じてしまう。そういうあり方を、生き方を種として選択したとき、彼らは何を得、何を喪ったのだろう。霊長類ヒト科ヒトは、自身も含めて<自然>を対象化し、働きかけることで自由になり、その苦役から、捧げることから、ひとり逃れようとしたのだろうか。そうして止どめようもない傲岸さが個体数の爆発的膨張を招き、他種による制御すら失い、同じ種の間での殺戮が開始されてしまったのか。
 異様なまでの、遠く長い移動をくり返す群れに問いかけたくなる、「君たちはいったい何を求めているんだい」と。もちろん答はない、わたくしたちへの同じ問いに答がないように。

 

マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して(2003年)

もう一度父の腕のなかに
 フランク・ロイド・ライトル・コルビュジェと並んで語られる著名な建築家ルイス・カーン(1901-74エストニア出身)を、映像作家である息子、ナサニエルが没後25年に撮ったドキュメンタリー映画表現者としてのカーンを作品を丹念に辿りながら再現するとか、残されたフィルムやことばからその哲学や理想を探るというのではない。
 もっと私的な感情、愛憎や哀しみ、とにもかくにも、時々しか会えないまま、11歳で死に別れた父のことを感じたいわかりたいという思いに貫かれている。それは喪われた日々や、実現することのなかった一体感を取り返したい、創りだしたいという思いでもあるのだろう。代表作のひとつ、ソーク生物学研究所の石畳の中庭でローラースケートする30代後半の監督自身の姿や、バングラディシュ国会議事堂の前に幼い男の子を佇ませた映像といった感傷の吐露もある。現代に於ける父性の希求が、特異な父権社会である米国ではさらに複雑な屈折と切迫さを持ってしまうことも浮きあがる。
 著名人の「隠された」子供というあり方を受け入れ、カーンとは結婚できなかった母親との、父-夫を巡っての葛藤を対象化したいという願いもあるのだろうか。法的な結婚も含めた3家族のカーンへの愛憎や、それぞれの妻や子供たちの間の軋轢も挿入される。異母3姉弟が作品のひとつ、ノーマン・フィッシャー邸で語りあう時、「この3人って家族なの」ということばも出てくる。
 建築家をはじめ様々な人に会い、好意的なことばや思いがけない反応を引き出し、それへの自分の反応も写しとりながら、バングラディシュを含む各地の建築作品(船もある)を足早に巡っていく。古典や歴史を受け止めつつ、近代の単直さのなかに光を軸に荒々しい野生と聖性を投げ込み、厳しいほど整然とした秩序に収めた、あたりに静寂をたちこめさせる作品群。多くの知人が、作品やカーン自身のスピリチュアルな側面を強調するのは、後からの評価をなぞる面もあるけれど説得力を持つ。インドの友人、ドーシの語る、カーン自身がヨガ的とも言えるまでの霊性の持ち主であり、まだ゛再来゛はしてないけれど、息子であるあなたの側にいて祝福しているのが感じられるでしょう、ということばのなかに、息子は旅の終着点を感じ、受け入れていこうとする。福岡市シネテリエ天神で公開中。

 

LEFT ALONE レフトアローン1部・2部(2004年)

<歴史>として語られるもの
 どこか感傷的でアイロニカルにも響くタイトルのこのドキュメンタリーは、ニューレフト(新左翼)史といったものを、インタビューでの具体的な人のことばで紡ぐ試みとして始められる。監督、井土紀州
 エネルギッシュで饒舌を極めるインタビュアー、○秀実に応える、松田政男西部邁柄谷行人津村喬など。ことばが渦巻き固有名詞が溢れる。人名、できごと、年号、書物・・・。それは例えばこんなふうだ。レーニントロツキースターリン批判、コミンフォルム日本共産党神山派、朝鮮戦争山村工作隊六全協、査問、初期マルクス、ウニタ、経哲草稿、ハンガリー革命、黒田寛一埴谷雄高キューバ革命花田清輝吉本隆明廣松渉全学連革共同、ブント、三池闘争、谷川雁、60年安保、アルジェの戦い、映画評論、日韓闘争、早稲田闘争、毛沢東ヴェトナム戦争、67年10・8、大学解体、入管闘争、連合赤軍・・・。
 インタビューの応答で映される表情やしぐさの、彼らの著作のなかに浮かんでいた風貌との違いに驚かされる。カメラの前の緊張や○との齟齬もあるのだろうか、ひどく魅力を欠いた姿として写しとられている。時間をかけて生みだされるものが積み重なり現れてくる、といったことは起こらない。その場の対応にエネルギーを使い果たしたかのようにぷつんと途切れていく。
 みているわたくしたちは、絶えず自分を振り返りながら、肯定や否定といった発想から離れて、スクリーンとの距離をみつめる。誰にもあるささやかな当事者性から出発し、自分にとってほんとに切実なことがら、それなしには生きる意味が失われてしまうことだけを真摯に持ち抱え考え続けていくぐらいしか、人にはできないのだろうし、それはとてもたいせつなことだ。そうして、その先で初めて他者と出会い、つながっていける可能性が開けてくるし、<世界>がたちあがり、見えてくるのだろう。

 

「荷馬車」(1961年)

先送りされ、託され続ける夢
 韓国映画が盛んに上映されている。突然生みだされアジアを席巻しているようにもみえるけれど、もちろん長い積み重ねの上にある。朝鮮戦争後の疲弊から立ち直り、社会派リアリズムや歴史劇による隆盛の後、朴政権の1960年代には家庭劇、文芸映画、メロドラマが多くつくられた。その後若い世代を描く70年代の新しい波が起こり、イム・グォンテク、イ・チャンホ、ペ・チャンホといった監督に続いていく。
 福岡市総合図書館映像ホールで開催中の「60年代韓国映画特集」ではそういった流れの一環を知ることができる。「誤発弾」「金薬局の娘たち」「米」「修学旅行」など社会的なものから子供を中心に描いたものまで。そのなかのひとつ「荷馬車」は61年制作の、貧しい荷馬車ひき一家の物語。借りた馬で運送業をしつつ、男手ひとつで4人の子供を育てている気のいい父親、嫁ぎ先で苦労し自死してしまう口のきけない長女、司法試験に挑戦しつつ父親を助ける長男、ぐれかかっている弟などが時代の変わり目の都市で生きていく姿が、屋外の撮影を多用しつつ描かれている。今はもう喪われただろう風景があり、ソウルの雪の大通りを荷馬車が行く心ゆすられるシーンもある。
 物語は当時の定石どおり、不幸なできごとの後、息子の合格、家族の新たな結びつきで終わる。では息子は、家族は、そうしてこの結末を要請した観客は、その後幸せになったのだろうか。もちろん幸福といったことは相対的なものでしかないとしても。
 日本の植民地時代に旧満州で苦労した祖父の夢も映画のなかで語られるし、今は父が息子に全ての希望を託している。祖父から父へ、父から子へと先送りされ託されていく夢。どの民族でもいつの時代でも、彼岸や社会体制や次世代へと形は様々に、ここより他の場所への期待が紡がれ続ける。それはあまりにも苛酷だったり複雑すぎる現在への諦めが生むものなのだろうか。そういった夢や希望は、わたくしたちをいったいどこへと連れてきたのだろう。例えばこの映画からでも半世紀ちかく、この息子ももう60代の終わり、彼もまた不全感や失意のうちに取り残されているのだろうか、彼の子供たちは今何を望んでいるのだろうか。

 

小原庄助さん』(1949年)清水宏監督

雨にけむる時代の向こう
 福岡市総合図書館ホールで、清水宏の生誕百年記念特集が開催され、『有りがたうさん』『風の中の子供』『しいのみ学園』なども上映された。平日の午後の会場にも年輩の方を中心にかなりの観客。
 『小原庄助さん』は、歌のままに朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、身上を潰していく旧地主が描かれている。清水監督の得意としたユーモアや皮肉、そして穏やかな勁さと哀感で綴られたコメディ。人がよくて滑稽で、でも恰幅のいい深みのある人物を演じるのは、あの時代劇の大スター大河内伝次郎で、その卓抜なキャスティングも楽しさをます。
 わかりやすくおかしみあるエピソードを重ねながら、彼の映画に往々にして現れる短い胸をうつシーンもやっぱり挿まれる(『有りがたうさん』での歩いていく道路工事の人たちの一群を遠くから撮ったショットのように)。カッチリと切り取られた田園風景をお屋敷の門の向こうに映しながら、雨傘をさして佇む庄助さんの姿。彼をとおしてわたくしたちが見るのは、季節や時代、過ぎていくものの、人や命の、ありふれてでも深い悲哀みたいなものだろうか。モノクロのスクリーン、雨にけむったくすんだ遠景、近景、幾重にも連なる灰色の階調が生む叙情と重なりあい、誰にもどうしようもない、なんの力にもなってやれない、生きることにまつわるつらさみたいなものが浮きあがってくる。夏の絽の羽織姿で、家紋の入った古びたから傘をさして立つ人、しのつくほどでないから、いっそう雨はその人に吹きつけ、足もとを洗い、何もかも流し去っていく、最後の最後の矜持や家財道具までも。
 戦後の復興期。農地改革で没落し、才覚もなく、手を汚すことを肯んぜないまま、家名や伝統の重圧のなかで、一気に傾いていく家。寄附、選挙、借金取り、青年団、村の改革、ミシン、ダンスなどの時代の風俗も取り込んで点描しつつ、最後に、全てを売り払って一番列車で逃げるように、解放されるように去っていく、サバサバした表情の庄助さん夫婦を見送って映画は終わる。消えるもの喪われるもの、消ええないもの、生まれるもの。でも全てはあのモノトーンの遠景のなかに降りこめられたままだ。

 

第19回福岡アジア映画祭 『生命-希望の贈り物』(2003年)

生きる困難と喜びと
 昨年、あのすばらしい『鉄西区』(九時間)を果敢に一挙上映した福岡アジア映画祭。今年は台湾の呉乙峰監督の一九九九年台湾大震災を描いたドキュメンタリー『生命(いのち)-希望の贈り物』などが上映された。
 闇のなかから映画は始まる。徐々に列車内だということがわかってくる。トンネルを抜けると雨。撮っている側(監督)の親友への手紙、半身不随になり入院している監督の父親の姿が続く。激烈だった地震そのものの被害より、生き延びた人たちのその後が三年をかけて丁寧に取材され、当然のようにその影響を今に引きずっている地震の現在が描かれる。そこでは撮る側の今も否応なく問われるし、現われてくる。撮る-撮られるという関係やその距離の取り方は単純ではありえず、だからドキュメンタリーとは何かという問いも浮上してくる。
 不随になり、絶望している父親の「死んでしまいたい、地震がここで起こればよかった」というショッキングなことばと、その地震で家族を失って悲嘆にくれつつも生きていこうとする姉妹、夫婦などの4組が対照的に描かれている。災害そのもの衝撃、亡くなった親や幼い我が子への悲しみ、遺体も見つからない家族への悲痛な思いのなかで、崩壊しそうになる精神。生きる目的が瞬時に喪われ、毎日の意味すら見いだせず、心も体もとめどなく漂い始める。
 そんななか、でも生きる力は再び巡ってくる。新しい命を育むこと、体を使う具体的な労働に没頭すること、日常を懸命にくり返すこと、新しい地へ旅立つこと、などとしても。
 生きるということがありふれた日々の連なりのなかにあること、そうして死もそういう日常のなかにいつもあることが静かにでも圧倒的なリアルさで伝わってくる。世界に、生活のなかに起こる突然の災害、不治の病、死。そんななかで新しい命や関係もまた生まれ、始まり、続いていく。死を拒むことはできない、生きる以上。でもそのなかで自分の生き方を選ぶことはできる。それが「運命に従う」というように呼ばれるにしても、それはその人が様々な関係や行為の結果として選びとり掴んだ切実なものなのだから。

 

「アマルコルド」(1974年・ビデオ) フェデリコ・フェリーニ監督

季節を巡る綿毛と共に
 知人といっしょに、プロジェクターで少し大きめにみる、久しぶりのフェリーニ。わくわくと楽しくて、そうしてやっぱり少し哀しい。盛りだくさんのことを、戯画化し、やさしい視線で描き続ける2時間。監督自身の、あらゆる人の郷愁や憧れがぎっしりと詰め込まれていて、わたくしたちにも直に伝わってくる。
 冬の終わりを告げる綿毛を掴もうと街頭に溢れてくる人々の喜びから始まり、翌年の再びの綿毛で締めくくられる季節の移ろいが、ひとつの家族を中心に、彼らの街をとおして描かれる。様々なエピソードが羅列に終わらず、重層化されて世界を浮きあがらせるのは、挿話の質だけでなく、その長さの的確さにもある。冗長にならず、でもみるものにきちんと届く長さを持ち、といったこと。
 それぞれのできごとは一度ずつ描かれる、政治やファシズム、戦争も含めて。一年という枠だからだけでなく、あらゆることは永遠に新しくそして古い、つまりくり返されつつ、かつそのひとつひとつがけして同じでないということだろう。あっけないほどに単純でそうして限りなく深い、人であり生であり。
 こんなふうに膝つきあわせていっしょにみると、新しくみえてくるものもある。女性とか性の扱い方に少し驚かされ、改めて考えさせられもする。ある枠組みをわたくしたちはすでに超えてしまっているのかもしれない。そうして、そういうことを考えずにイタリアのおおらかな女性像、母親像を前提にできた世代が持っていたもの、わたくしたちが喪っているものを、感傷としてでなく思ったりもする。
 映画と共に巡っていく。少年時代を終えつつある腕白坊主が、母の死、憧れの人とのすれ違いを超えて成長するのを喜びつつも、その永遠に喪われてしまうアドレッセンス(思春期)を、憧憬するように、遠くから手を振るように懐かしんだりもする。永遠に還らないもの。花嫁の去った結婚式、綿毛の舞う北イタリアの野を散らばりながら帰っていく人々、映画、感傷、思いで。わたくしたちも自分の世界へ、かけがえのない、退屈ででもあたたかい世界へ戻っていく。少しだけ心豊かに、賢くなって。

 

『牛皮』(2005年)

家族を「演じる」家族  
 イメージフォーラム・フェスティバル2005が福岡市総合図書館映像ホールで開催され、公募入賞作品、内外からの招待作品などがドキュメンタリーやアニメーションも含んで上映された。近年ドキュメンタリーの秀作を次々に生みだしている中国からは『牛皮』(リュウ・ジャイン監督)。
 今の中国では典型的なのだろう三人家族の現在がそう広くはない家の中だけの、閉じられた空間で撮られている。暗く押さえた画面だから、外の電車の音や人声が際だち、時たま写る窓や入ってくる外光が眩しいまでの印象を与えるようにつくられている。そういった方法論も駆使しつつ始められた撮影は、でも、生きることがそうであるようにたちまち枠組みを踏み超えて膨らんでいき、計算外の計算すらはみだして、思いやりと従順さは、怒鳴り声と口論へとつながっていく。父親が父親を演じ、親子が親子を演じ、自分たちの生活をなぞることからはみ出していく。重ねた半透明の紙にトレースしてく線が、滲んだり太まったりして輪郭を喪うかに見えて、ふいに現実以上の鋭いエッジのリアルな線になって浮きあがるかのように。カメラの前で演じることで、逆に誰もが生活のなかでいろんな形で演じつつ役割分担して生きていることが見えてくる。当然のようにドキュメンタリーとは何だろうという問いも生まれる。
 革製品を作る職人気質の怒りっぽい父親、経済的にも苦しく、突然ヒステリックになる工場労働者の母、そうして信じられないほどに従順に見える20代前半の娘(この映画の作者)。くり返される口論の向こうにみえるのは、でも抜き差しならないほど濃密な三人の関係であり、「家族愛」であり、ひとりが欠けたらなんてことすら想像すらできない絡まりあったつながり。
 狭く閉じた空間は彼らの関係のメタファーでもあり、最後の眠るシーンの夢うつつのおしゃべりは甘くかつ不気味で、彼らの関係が夢のなかにまでも溶け込みつながっているようで、みているわたくしたちは圧倒される。並んで寝ているのだろう彼らは、たぶん夢は見ない、あまりにも全てがリアルでそしてファンタジーに満ち満ちているから。

 

海を飛ぶ夢』(2004年)

「尊厳」ある生とは
 疑うことすら思いつかなかった、世界の根源的な前提さえも問い返され始めた時代だからだろう、<死>や<性>、人と人のつながりを再考させられる映画が続いている。死を求めたり、自分の体を売ったり傷つけたりすることが、権利として語られる現在。
 『海を飛ぶ夢』(アレハンドロ・アメナーバル監督)は、スペインでの実際のできごとを基にしていて、首を骨折し二十数年寝たきりの人が「尊厳死」を求めて裁判を起こすところから始まる。映画のなかでは、肢体不自由であること自体が惨めとは言っていないとか、生きることは義務でなく権利なんだといったことばが頻出する。あくまで個人のプライドや不全感からの、しかも長い時間をかけたうえでの結論であり、一般化もできないとくり返される。だから訴訟社会の米国のような、徹底した個の拡張、自分の体を自分で処分する当然の権利といった考え方から遠いということだろう、真摯に生を考え、死を求めるといった。しかし現在流通している様々な社会的な概念や関係の形を前提にしてしまう時、「障害」は可哀想だと代理して決めつけ、遺伝子や胎児の段階で処分するといった異様な「合理」の発想からどこまで自由になれるのだろうか。
 教育や労働を持ち出すまでもなく、権利とは義務を別のことばで言ったものでしかない。社会の暗黙の強制を、人が積極的に受け入れてしかもそれを自発的な内的な発露とみなすことで自他を納得させる面を持っている。映画は事実に基づいているからだろう、教会(宗教)や裁判(国家)といった社会的な制度の問題が突出してしまうけれど、今、わたくしたちが最も知りたいのはその先のことだろう。権利としての死の裏側には義務としての死も貼りついてみえる。「尊厳死」なんて発想が生まれない人と人の関係や社会がありえるのなら、その方が誰にとってもすばらしいはずだ。
 今は、生と死の境界すら、脳死問題でも顕わになったように全く曖昧なままだが、映画には<死>とはそもそも何かという問い、そうしてそれと切り離せない<個>とは何かという問いも現れてこない。裁判で否定された死を、秘密裏な形で成就させるところでこの映画は終わる、何度も繰り返された愛ということばと重ねながら。福岡市ソラリアシネマなどで上映中。

 

トニー滝谷』(2004年)

スタティクな映像と翳り
 村上春樹の同名の短編小説の映画化。短編集『神の子どもたちはみな踊る』が彼の作品集で最もすばらしいと言う人もいるように、その短編はかっちりした構成をもち、ことばでは直截に表せないことを、不思議を、奇妙なおかしみやざらりとした酷薄さと共に描き出す。がっちりと揺るぎがないのに緩やかな広がりがあり、さらさらと読めてしかも消えない深い印象を残す。寓話とか比喩としてでなく、まさにそうとしか表せない世界、滑稽で真摯で無惨であたたかい、つまり単純で深いこの世界そのものの物語が掴みだされる。
 だから別の媒体に移そうとするとき、その語られ表わされようとすることを再度別の形で表現するしかなく、全くちがうアプローチが求められるのだろう。今回の、小説をほとんどそのまま丁寧になぞった、軽やかに風の吹き抜けていくスタティクな映像は息をのむほどにも美しいけれど、どこかことばの影のように儚くみえてしまう。書かれたものや、作家の感触との共有を大切にしすぎると、小説作品や<村上春樹>を追うしかなくなる。
 滝谷トニーというちょっとかわった名前とジャズ・ミュージシャンの父親とを持つ男の半生。一人二役という卓抜した形で、村上作品に頻出するふたり組、双子も造形されている。後半、服に異様に執着してしまう妻の死後、映画は小説を離陸して不意に膨らみ始める。映像として生き生きとした表情やことばが生まれ立ち上がりかけて、でも自制するようにひっそりとモノトーンな風景のなかに閉じられていく、燃え残ったメモを手にもう一度世界とのつながりを探り始める男を余韻として残して。
 孤独とか喪失とかいうことばから抜け落ちるもの、生きているということはこんなにも多様で豊に溢れているのに、どうして現実は冷たく乾き人を閉じさせ、全てが終わってしまった遠いものに感じられてしまうのか。村上の作品のなかでは個の存在的なまでの寂しさや虚ろさがさり気なく語られるが、それが冷たく孤絶した印象を残さないのは、他者やつながりがどこかで信じられているというより、おそらく<個>とか<人>とかいった概念が基層部でもっと広がっている、変化しているからだろう。もう今までのようには感じられない、捉えられないものだという前提にたって。

 

『白百合クラブ東京へ行く』(2003年)

場のなかで共有されるもの
 福岡映画サークル協議会の例会での上映。こういう会や企画は上映前後がたいへんでかつ充実するのだろうし、継続のなかで映画への愛や厳しさも育っていくのだろうか。慣れない役割に緊張のある、でも和気藹々な受付から映画はもう始まっていたと、場のなかで何かを共有するつながりがあると、見終わってから気づかされる。
 第二次大戦直後に沖縄石垣島で発足しずっと続いているバンドを撮ったドキュメンタリー。東京での公演とその準備も含まれている。今も創立メンバーが中心で、だから平均年齢は七十歳ちかい。「沖縄、音楽、おばぁ」の三点セットだし、美しい海、バナナ園、オクラ畑、それに宴会も頻繁に登場する。
 現在沖縄が描かれる時の明るさは、その南(ラテン)の明るさだとか、長い苦渋の歴史をくぐり抜けてきた勁さだとかとも語られる。この映画の人を惹きつけ巻き込む力は、もちろんメンバーの魅力と力に拠るけれど、それを撮る側が対象との距離を失うくらい近くにいるからでもあるだろう。カメラ自身が踊ったりちょっと気取ったり、似合わない屈折を見せたり。
 親族や地域の強い絆があるということは、その重圧も大きいということで、バンド創設者の弟さんのすでに亡いお兄さんへの感動的なまでの思慕には、目上の者への絶対尊敬も含まれ、今も彼を縛っている。そういう共同性がいいとか悪いとかでなく、わたくしたちはそういう力や愛がもう今までのような形では成り立たないことを確認し、それに替わるつながりを探るしかないということだ。
 情報が溢れ急速に消費される東京での公演に注がれる視線は、西欧が自分たちの新しいエネルギーのために異文化を取り込んでいった視線を相も変わらず忠実に学習し踏襲したものであり、今のわたくしたちの多くが持ってしまっているものだ。しかしそんな圧倒的な消費にも呑みつくされずに、バンドメンバーは帰還する。だから映画の終わりは、観客も混じって踊る歓喜の公演フィナーレでなく、石垣に戻り自分たちの場でまたバンド活動を始めるという形になっている。かつての青春の地、白百合が咲き誇ったという海岸での演奏をスクリーン上にゆっくりと映しながら、映画はみているわたくしたちに手を振る。わたくしたちも手を振る、喪われたかけがえのないものに、ではなく、ここではないどこかの夢の地へ、でもなく、見えづらいけれどそこにもここにもあるものに向かって、つまりわたくしたち自身に向かっても。

 

「ぼくの好きな先生」ニコラ・フィリベール監督(2002年)

移っていく季節のなかで
 フランスの奥まった地方、オーベールニューの十数人一クラスだけの学校(四才ぐらいから十一才くらいまで)を描いたドキュメンタリー。子供たち、先生、そしてそのつながりが、家族を含めつつ穏やかに描かれる。周囲にはなだらかに続く牧草地、田畑、森、小さな集落、遠い高い山並み。それらは心震えるほど美しく、そうしてありふれた生活の汚れにも満ちている、当たり前のこととして。それは例えばわたくしの住む小さな海辺の町でも同じことだ。見るたびに小さな感動が生まれる海や空、田園や山並みに囲まれつつも、どこにでもある日々の細々とした問題も様々な形である。
 雪のなか、てこでも動かないといった風情の牛たちに手を焼くシーンから映画は始まる。そうして春の訪れ、戻り雪、そり遊び、木々の芽生え、花、夏の戸外での授業、ピクニック、不意の雨そして虹。花は散り、木々はそよぎ、畑で穀物は乾いた音を立ててゆったりと揺れる。
 気の強い子がいる、おしゃまな子がいる、すぐに泣いてでももうけろっとしている。先生や撮影隊の気を惹こうとまといつくかと思えば、あっという間にそっぽを向いている。上級生は少し屈折する、世界を知り始めたから。もうじき中学に移っていく時期が近づく。もっと遠くてずっと規模の大きな学校だ。先生は彼らひとりひとりとこれからのことを話す。難しい病気での手術や入退院を繰り返す父親のことを話しつつ、ついに泣きだすしかない子供を、先生は抱きしめたり過剰に慰めたりすることなく、「病気も世界の一部なんだよ、それといっしょに生きていかなければならないんだよ」と静かに諭す。抱きしめるにしろ諭すにしろ、人ができることはそう多くはない。でもそんな時にそんなふうに語れることに驚かされる。世界観というより、頭蓋骨や骨盤の形さえもまるでちがう人のように思えるくらいに。ぼくらはついにそういう共同体もそういう先生も持たなかったけれど、それはどちらがいいとか正しいとかいうことはでなく、ある時代や場所には、ある種の勁さとやさしさがあり、突き放す厳しさとそれを受け入れる力といったことを、共同体の掟として了解せざるを得ないことが、誰にも無意識のうちに納得されていたということなのだろう。
 別れの季節がやってくる。学年の終わりだ。子供たちひとりひとりの頬にキスしつつお別れをいう先生の目が潤む。学校の門は閉じられる。季節がそっと秋へと移りはじめる。はぐれた牛のカウベルが夕暮れの丘に響く。繰り返され、これからも繰り返される移ろい。いくどもいくども、そうして子供たちもわたくしたちも移ろっていく、次へと、そしてまた次へと。

 

カナリア

アイデンティティという制度の向こうへ 
 映画は、母親に連れられて妹と共にある宗教集団に入った少年が、集団が起こした異様な事件の後、保護されていた施設から逃げだし、妹に会いに行こうとするところから始まる。
 母親の権威的な父(少年の祖父)や途中で出会って道連れになる少女の家族のことが頻繁に語られるように、現代の家族の問題とも重ねて描かれている。こういう時代のなかで、家族も壊れてしまったとき、どうやって他者と関わりつつ生きのびていけるのかという問いでもあるのだろう。
 宗教集団の拡大された家族としての面、同性の間での愛、援助交際などにもふれつつ、新しいつながりのあり方が探られるが、現在ある関係の形に引きずられ、その延長として発想されてしまい、焼き直された、擬似的な家族や愛になってしまう。
 映画のなかに、出自としての家族を捨てて入った宗教集団からも抜け、元信者たちと新たにつくった疑似家族集団のなかで働いているという設定の青年が出てくる。彼の「自分が自分であることから逃げるな」という、自己のアイデンティティを最後の拠り所にし、そこから再度出発しようとすることば。それは誠実ではあっても、どこまでも自己-社会という創られた二項対立のなかを激しく揺れ動くだけで、けしてその向こうへと抜け出ていく自由さを生みだせない。少なくはない人のなかにどうしようもなく育ってしまった、周りを憎悪するほどまでの違和は、現在ある「個」という考え方、その上に積み上げられた家族という関係からも生まれてきているはずだ。そもそも「宗教」というものはそういう個といった発想を超えた(発想以前のといっても同じだろうけれど)あり方や場を探るものだし、そこに、無意識にであれ人は惹きつけられるのだろうから。
 わたくしたちが持つ個という考え方と、それを基に組み立てられている様々な関係は、もう成り立たなくなっているのだろう(耐用年数が切れたという言い方をする人もいる)。他の多くの絶対的で強固にみえる制度と同じように、アイデンティティもひとつの制度でしかないのだと考える地点から改めてみつめなおしていけば、世界は次第にちがった様相をみせ始める。

 

珈琲時光』 侯孝賢 監督

流れのなかに佇みながら
 つい、あの名作『悲情城市』の監督、と言ってしまいたくなる台湾の侯孝賢。『悲情城市』では大戦後の台湾の複雑で困難な歴史の全体が、みごとな簡潔さで描きぬかれていた。しかもけしてエピソードの羅列に陥ることなく、できごとや人々がその厚みや深みを抱え持ちながら、動的に撮られていて、ほとんど奇跡的だとさえ思われた。
 新作『珈琲時光』ではすごく単純なものの内にある複雑さ、ありふれた生の奥行きや重層性が丁寧に描かれている。少し距離を置いて、でも突き放すのでなく、そっと掬い上げるように撮られている人々、できごと。特別なことは何も起こらない。
 古書店の若い主人は、日々ちがう電車やホームの音を録音し続け、その友人の台湾と行き来している女性は身ごもった子どもを自分一人で育てようと決め、退職した夫婦は、そんな娘を前に黙ったまま視線を交わしている。それぞれが持つ時や場所のサイクル、そのずれと重なり。
  生活している馴染んだ場所で、穏やかなつながりのなかをそれぞれがいろいろなことを抱えて生きている。繰り返される日常、それを誰もがさり気なく淡々とこなしているのに、ときおり、そうやることでやっと生き延びているのだともみえたりする。どこにもあるような街並み、いつもの電車、でもそれはどれひとつとして同じでないこと、刻々とかわり続けているものだということが、通奏低音のように響き続ける。
 時々に流れは澱み、渦巻いてはまたほぐれ、早瀬を駆け、再び同じ季節の下をくぐり抜ける、河のように、電車のように。そうして人は折々の岸辺に佇み、たゆたい、ひとときの安らぎのなかで本を開き、遠い声に耳を澄ませ、伝わってくる音楽や珈琲の香りに身を委ねる。
 ことばにならない思いが、人と人のつながりの喜びや哀しみが、浮き上がってくる。スクリーンは、自然光を溢れるほどにも取り込んで輝き、影さえもが彩りを孕んで流れ続ける。福岡市天神のシネテリエで上映中。

 

「第26回ぴあフィルムフェスティバル
『さよなら さようなら』『ある朝スウプは』

他者への回路
 今年も福岡市総合図書館ホールで「第26回ぴあフィルムフェスティバル」が開催され、アニメーションも含めた多彩な作品が上映された。デジタル機器の浸透による、編集や上映方法の変化にも伴い、制作スタイルも変わりつつある。女性4人による共同監督といった形や、『ある朝スウプは』(高橋泉監督・脚本・出演、廣末哲万出演)と『さよなら さようなら』(廣末哲万監督・出演、高橋泉脚本・出演)のようなユニットを組んでの制作などもある。そういう新しい形態自体も表現の一部であり、そのインパクトもあったのだろうか、この二つがグランプリ、準グランプリを受賞し、バンクーバー国際映画祭での受賞も果たしている。
 『さよなら・・』は「自殺志願者」や彼らを取りまく者たちのサイト上でのやりとりや行為が、ハードコアポルノの文体に添ったように劇化されて展開される。自死そのものより、それに繋がるコミュニケーションの不毛に目は向けられ、過剰な暴力や性が、吐瀉物や精液、血といったものとして噴きだすように描かれ、そこにネット上の無機的なキーボード文字が重ねられる。彼らは閉じてしまうことで追いつめられ、自虐と自愛の(それは極端な加虐と自棄に通じるのだけれど)異様な捻れに呑みこまれていくかのようにみえる。
 社会性の最小単位とも言われる愛に基づいた一対の関係を築けば、社会に居場所が確保でき息がつけるのかといえば、そうではないだろう。『ある朝・・』では、男のパニック障害での引きこもり、宗教的団体への加入によってふたりの生活が崩壊していく過程がゆっくりと描かれる。
 どちらの映画も他者への回路が見失われるということでは同じだろうが、前者の暴力や性による関わりのなかで一瞬であれ他者と何らかの形で繋がりが生まれるようにみえることと、後者の静かに継続していたはずの関係の虚ろさが徹底して剥き出しになっていくこととは何を語るのだろうか。女の「私たちは結局は他人だったの」という無惨なまでに通俗的なことばでしか表現することができない空虚に替わるものが、男が選んだ宗教団体の疑似家族のなかに見つかることはないだろう。しかしそこに一時的にであれ安らぎを求めてしまう男の行為がこのふたつの映画のなかで最も説得力を持つように思えてしまうなかに、現在のわたしたちの、そしてそれを描くことの難しさがあるのだろう。

 

『私は子どもの頃に死んだ』

生き延びるもの、潰えるもの
 「第四十九回アジア太平洋映画祭」は今年は福岡で開催された。グルジアの世界的映像作家でありながら、なかなかその作品をみる機会が無いセルゲイ・パラジャーノフに関するドキュメンタリー、『私は子どもの頃に死んだ』も上映。アルメニア人の両親の下にグルジアで生まれたキリスト教徒であり、一九六十、七十年代、厳しい官僚体制下のソ連邦で映画を制作するという複雑で困難な人生が、彼の残した書簡やシナリオをもとに語られている。
 六十四年の映画『火の馬』で名声を博した後、当局よりロシア語を使用しないことも含めて社会主義リアリズムにそぐわない頽廃とされ、七十四年に投獄、四年以上の拘禁、労働。膨大な量のシナリオを書きつつも、作品化できたのは数本だけしかない。
 映画はナレーションをバックにした故郷の街や晩年の撮影風景で始まる。そうして異様なほど生々しい監獄のモノクロ記録映像が挿入され、それとの究極の対比であるかのような、彼が完成させることのできた『ざくろの色』『スラム砦の伝説』『アシク・ケリブ』などの、神話的豊饒さや自由さに溢れた圧倒的な作品群が置かれている。
 みる人誰もが異国的、異教的に感じるようなめくるめく色彩や形態を生みだし、奔放な映像や音楽として成立させ、不思議な時間軸の上で展開させていく、<詩>としかいいようのない作品を創りだした源のひとつは、民俗や宗教の混淆のなかに生まれ育ったことだろうか。
 厳寒のなかでの拘禁や労働といった過酷さを生き延びるのはとてつもなく困難なことだったろうが、自由になった時の方が恐いと、手紙に書いたりもしている。これからも映画をつくれるのか、表現への力は枯渇してないか・・・・全ては否定的で暗うつな黒雲の下に閉ざされたままだったのだろう。結果として、彼はわたしたちを魅了して止まない表現を生みだすことができたけれど。国家規模、世界規模での巨大で過酷なできごとに押し潰され、生の核を奪われ、かろうじて生き延びたとしても、喪われたものはあまりにも大きく、錯綜した関係のなかで責任の所在さえも漠とした状況。それは今も続いている。
 あたためてきたシナリオ『告白』の葬儀のシーンだけを撮り終えてパラジャーノフは一九九十年に亡くなる、66歳。

 

ソクーロフ『孤独な声』
呼び起こされるもの、生まれるもの

 だれもがいろんな形で映画と出会い、喜びを、興味を育てていくのだろうけれど、それは途切れることなく続いていて今もわたしたちを誘い楽しませ、豊かにしてくれる。年の終わりに一年を振り返り、最も心に残った映画といったことに思いを馳せた人もいただろうか。ぼくにとってはフランスの奥まった村落と小さな学校を描いた『ぼくの好きな先生』(ニコラ・フィリベール監督)だなとひとりごちていたけれど、12月の終わりに福岡市図書館ホールで、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の『孤独な声』(1978年)を観て、その深さにもうたれた。  
 99年に奄美島尾ミホを撮った作品『ドルチェ-優しく』もあるソクーロフの20代の卒業制作作品であり、長編第1作。同じロシアの故タルコフスキー監督に捧げられていて、圧倒的なその影響下にある。繰り返し挟まれるモノクローム映像、スローモーション、鏡、流れの下で揺れる植物、火、風、それが揺らす木々、草原。でもどこまでいってもそれはソクーロフの映像そのものだ。どこか厳しさを含んだ映像には一瞬一瞬を凝視させるような力があり、その流れとふいの中断にも引きつけられ魅了される。
 戦場から戻った若者とその恋人、父親、僧侶が描かれていて、下敷きになった小説があるのだろうけれど、その内容は詳しくは語られず、時間的にも飛躍し、複雑な歴史の流れ(17年の革命後の混乱期)や宗教もからんでいて、観ているわたしたちは小説的な物語の文脈からは振り落とされていく。でも最後まで映像・映画の内側に留まり続け、その暗さや激しさにもかかわらず全編に溢れる初々しさにも助けられ連れられ、愛や生の再生と復活にたどり着く、映画のなかでたどり着いた人々や、映画をつくることでたどり着いた人たちと同じように。たぶん物語を語る映像の力というのはそういうことなのだろう。
 そうしてまた不思議さはつのる。時代も民族もまったくちがい、歴史も重ねようもないほどに遠いのに、あまりにも人は人であり、やすやすとわたしたちのなかに忍び込み重なりあっていくことに。一瞬の映像が、ひとつのことばが呼び覚ますものの広さ深さ。今年もまたいくつもの喜びに出会えることを。

 

愛、季節、時代 - 移ろっていくもの、残り続けるもの

 大気はまだまだその底に冷たさを抱えたままだけれど、透明な陽光は真っ直ぐに落ちてきてあたりを満たし、小さく波立つ海の上を輝きながらずっと続いている。こうやって季節は、後戻りできない堰をひとつひとつ越すように移っていく。そんな光の溢れる津屋崎の海辺に立つと、がらにもなく愛とか時代とか移ろっていくもののことを考えたりしてしまう。そんななか、愛を巡るアジアの映画を2本みることができた。
 ひとつは2003年の韓国映画『ラブストーリー』。若い女性の現在進行中の愛と、彼女の母親の1970年前後の悲恋とが交互に語られる。朴独裁政権そしてヴェトナム戦争の時代。強圧的社会、絶対者の父、階層のちがいという背景、親友との三角関係、自殺未遂や雨のなかの逢い引きや列車での別れ、失明という悲劇もある。ヴェトナムの戦闘シーンが挿まれ、それを当事者として描く国だったことを改めて思いださせられるけれど、その戦争も独裁も、抗議のデモンストレーションも、ささいなエピソードのひとつになっていることに驚愕してしまう。30年が経ち、飛躍的な発展と変化があったということだろうか。そうして過去の悲恋が子供たちの世代の愛としてあっけらかんと成就することも、今という時代の要請なのだろうか。
 もう一本はタイの『ムアンとリット』。94年の映画だけれど、描かれた時代は1860年代。豊かな水と緑のなか、僧侶へのかない難い思い、女性が虐げられた時代の理不尽さと抵抗、その全てを超えて成就する愛の物語。
 過去が描かれるとき、往々にして現在の感じ方考え方でかつてのことをみていくから、単純な過去の批判や称讃になってしまい、愛や人の持っている深みみたいなものはなかなか浮かび上がってこない。個と個の近代の恋愛も、結婚や家族ということと同様、歴史のなかの性の制度のひとつにすぎないことも巧みに隠れてしまう。
 時代や屈折した関係のなかで、やっとの思いで手に入れたもの、そして喪ったもの。その流れのたどり着いた波打ち際に今わたしたちは佇んでいる。愛、はあるか?

 

息子のまなざし」- 求めること拒むこと
                 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督

 ドキュメンタリーのようなカメラの動きのなか、じっと何かを視続けている職業訓練校の木工教師の後ろ姿から映画は始まる(それをわたしたちはスクリーンのこちら側からみている。視つめるということは対象を愛することであり、また何かを奪いとってしまうことかもしれない)。視られているのはその日受け入れたばかりの少年院を出た生徒で、彼は家族ともうまくいかず木工を習いに来たのだが、実は少年が5年前、11歳の時に絞殺したのはその先生の幼い息子だった。もちろん少年はそれを知らないまま、映画は進む。
 事件の後離婚した先生は教えることに熱心で、厳しいが面倒見もよく、生徒たちの信頼も厚いけれど、事件や犯人のことをどう考え対処していいのか動揺してもいる。でも人は、そういったできごと自体を、相手を、じっと視つめることができるのだろうか、考えぬくことは可能なのだろうか。そうして、例えば相手を殺すとか赦すとかできるのだろうか。現実の様々な事件を思い起こしつつ、誰れもが目をそらすしかない気持になる。
 終盤近く、先生の詰問に応えて、徐々に自分の行った殺人と5年間の院生活を少年が材木置き場で語り始めたとき、不意に殺されたのは自分たちの息子だったと先生に告げられて少年は逃げだす。「何もしない、責めてるんじゃない」と叫びつつ追う先生が、屋外に追いつめた少年の首に手をかけ、そうして手を離して作業に戻った後、少年がもう一度作業場に姿を現す。凍えるほど孤絶して立ち竦み、混乱し、でも必死に何かを求め、震える体を押さえ、祈るように先生を視つめるとき、わたしたち誰もが少年であり、先生である。
 映画はぎくしゃくとしてゆっくり進み、ふたりの表情もしぐさも明確に何かを示さなくなる。拒絶と憎しみと愛と希求と受容とが一瞬毎に交錯しつつ、微かに揺れ、唐突に暗くなって映画は終わる。そういう曖昧で不安定な関係のなかにいること、そうしてそこから始めるしかないことを痛みのように告げながら。ひたひたと満ちてくるある思い、しかとは名指せない、何かへの慈しみ(愛といってもいいのだろうけれど)を予感しつつ。

 

エレファント
人が人を殺すこととは

 コロンバイン高校乱射事件を題材にとった映画。米国地方都市郊外の裕福な高校、校舎も生徒も荒んでなくてクリーンな、そういう意味では今でもまだ「アメリカ的な」という神話の残る場所。家族や地域、学校といった共同性もまだ形を保ち、だから制度や管理も弱くはないだろう。
 高校の日常が様々な生徒を通して描かれていく。悪意のあることば、虐め、おもいやり、食事、愛や性、ありふれたでも各自にとっては切実なことだ。時間が戻ったり、同じシーンが繰り返されて奇妙な揺れが生まれ、不安が影をさす。不意に人影の消えた体育館、長い廊下、誰もが経験のある、学校の思いもかけない暗がりを、意識すらせずに抜けていく生徒たち。明るい屋外でもカメラは距離を置いて対象を写しとる。距離は冷静さややさしさであり、また突き放す冷たさでもある。それが静かなトーンを生みだし、また冷え冷えとした皮膜をつくりだす。レンズが追う生徒たちの無防備な背中。
 殺戮シーンが手足が痺れるまでの恐怖をよぶのは何故だろう。静かに時間をかけてつくられた、緻密で説得力のあるものだからだろうか。撃つこと、弾が真直ぐに空気を引き裂いて具体的な誰かに突き刺さり、傷つけ、殺すことのリアルがわたしたちのなかのどこかに一息に繋がってくるからか。あまりの単純さへの深い恐怖もあるのだろう。
 それほど遠くない時代、圧倒的な銃器で先住民を殺戮することで始まった社会に残るけして癒えることのない傷。その傷は社会の無意識にも現れないほど深く隠されてしまっているからこそ、消えようもなく在り続けてしまう。武器や力へのさらなる傾倒と過信、それ故の力への過剰な怯えと反発が今も絶え間なく繰り返され続ける。
 異様さを察して動揺しつつも校舎に入らない方がいいとみんなを押し止どめる少年や、死んだ友人を捨てたまま離れられない少女を描き始めつつも、映画は家族の物語に収束していこうとする、銃声も炎も遙かに遠い場所へと。でも人の持つ慈しむ力が、家族という形ではもうすくい取れない時代にわたしたちは入ってしまっているのだろう。

 

鉄西区王兵監督
働くこと生きること、ただ巡り続けるように

 第18回福岡アジア映画祭で『鉄西区』が上映された。9時間に及ぶドキュメンタリー作品だけれど、三部構成で休憩もあるから休み休みみることができた。確かにとんでもなく長い、でも人生に比べたらあっという間もない、でも、世界そのものがずっしりと詰まっている。
 一九三〇年代から続いてきた中国東北部瀋陽鉄西区と呼ばれる工業地帯の崩壊と、その混乱のなかで働き生きる人々が、3年間に渡ってデジタルヴィデオに収められている。撮影もひとりでこなした王兵(ワン・ピン)監督との関係を反映しているのだろう、人々はカメラに全く動じないし、過剰な反応もない。カメラも過酷な現実にたじろぐことも媚びることもなく、とにかく前へ前へと力の限り走り続ける、爆発現場へ、立ったまますまされる食事のお椀の中へ、濁った風呂のなかへも突き進む。でもけして居丈高な暴力的な威圧や侵犯、高みからの解析はない。だから世界が、正視するのが辛いほどにもあるがままに取り出される、そうしてそれは人をうつ。
 官僚主義の無策、文化革命の影響、現在吹き荒れている世界経済と直結した嵐の下で、人々はしゃべり、働き、食べてのんで、喧嘩し、唾を吐き、風呂に入り、歌い、手鼻をかみ、反抗し、煙草を吸い続ける。映画のなかに繰り返し現れる、工場地域内の貨物車が走る軌道のように、人々は世界はただ同じ回路を巡り続けるだけだ、それが人生だというように。
 多くの工場が倒産し閉鎖し、鉛中毒さえ抱えた労働者たちは失業し、家族ごと居住区を強制的に立ち退かされる。雑然とした休憩室で繰り返される賭け事、そこかしこに暗く重い澱みがあり、それは労働者自身の皮膚にも目にも薄い皮膜として、投げやりな諦めや疲れとして貼りつき染みこんでいる。そうしてあっけらかんと勁い。
 職も家もなく、線路域での不法なこともやりつつ男手ひとつで息子ふたりを育ててきた老人は「人生は厳しい、食べていくのはたいへんだ」と嘆息しながらこうつけ加える。「結婚すらできないと諦めていたのに、ふたりもの息子に恵まれたんだ」と。7日間拘置されて出てきた父の前で酔っぱらって泣きつぶれた息子を背負い、凍った暗い夜道を老父はふらつきながら帰っていく。そんなふうに、そんなふうにして人は生きていく、そうして死んでいく。わたしたち一人ひとりに長い長い余韻を残して、人々はスクリーンから消えていく、溶暗して映画は終わる、そうしてまた巡り始める。

 

セクシュアリティを巡って ①
「オール・アバウト・マイ・ファーザー」エーヴェン・ベーネスター監督

 「第十三回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」が開催され、公募で選ばれた三作品を含む国内外の二十九作品が上映された。唯一のドキュメンタリーである『オール・アバウト・マイ・ファーザー』はノルウェーの小さな町に住む医者でトランス・ヴェスタイト(異性装)の父親を息子がインタビューしたもの。性同一性障害等と名づけられている、自己の性別に強い違和を持ち、他の性別に変わりたいという欲求を抱えている人たちの、家族や社会との軋轢は大きい。
 八歳の頃から始まった異性装への興味、結婚、ふたりの子供、異性装を否定する妻との離婚、理解してくれた現在の妻との再婚などを振り返り、「女性」でありたいと願う自分を分析し、社会的な意味での女性といったことも丁寧に考え、カメラの前でも異性装する父親。その説明に頷きつつも、どうしても家族として見てしまう息子は、「女性であり、お前の父親だ」ということばに動揺し、感情的には受け入れられない。父親は自分の内の欲求を冷静に認め、対社会的にもカミングアウトし、偏見と闘い、本を書き、積極的に行動しており、整然とした論旨は真摯だけれど、どこかで空回りし始める。たぶんそれは、現在の社会で流通している「性別」を大前提とした性に関する見方に則り、今ある家族という形を前提にして考えるかぎり行き着いてしまう地点なのだろう。彼に、変わりたいというほど激しい違和を起こさせる「性別」という発想そのものを変えない限り、「男性」「女性」という閉じられた二元論の間を揺れ続けるしかなくなる。
 何かを「非正常」と規定し、異性装や同性愛、性同一性障害と名づけて隔離する現在の社会の考え方は、異性愛を「本質」であると規定しての発想であり、その根本には雌雄(男性-女性)という性別概念が、生物学的な本質として置かれている。そうである以上、概念そのものを問わない限り、性にまつわることがらは開かれていかない。どんなに非現実的な観念論に響くとしても、「性別」というものが絶対的なものではなく、ある時代の、限定された地域(地球規模に見えるとしても)で流通している、共同体として選ばれた観念、見方であると考えてみることから、改めて始めるしかないのだろう。
 インタビューの最後に父親は、それまでの冷静さや強さを放棄するように、「いつ死ぬかわからないけれど、自分が父親を覚えているように、お前にずっと父親として記憶されたい」と涙ぐむ。ユーモアも交えた父親のことばやふるまいに笑わされつつも、息を殺すようにしてじっとみてきたわたしたちも、そこで立ち止まるしかない。残念で寂しくもあるけれど、それが現在であり、今の限界なのだろう。 

 

『自転車でいこう』 杉本信昭監督
世界の速度をすり抜け

 路地をすいすい抜けていく自転車、それを追うカメラ。このドキュメンタリーが始まると、少年のしゃべり続ける声と不思議なことばに先ず耳がいく。映像の軽快さとその自在な撮影にも興味がわく。
 自転車に乗っているのが、プーミョンと呼ばれている「自閉症」の二十歳の少年であり、李復明という名だとわかってくる。大阪生野区の福祉作業所「ちっぷり作業所」に勤め、仕事帰りに近所の「障害者」も混じる学童保育所「じゃがいもこどもの家」に寄り、あれこれもめごとを起こしつつも、愛されていることも。
 生野区にはいくつもの作業所があり、保育所があり、韓国語の教会がある。つまりそういう人たちがたくさん住んでいるということ、そういう生き方が可能だということ。そんなことを見聞きしつつ、わたしたちも考え始める。
 『「障害」とは何か』という問い、「障害」を再定義するのではなく、「障害」というものがそもそも存在するのかという根源的な問いに、わたしたちが向き合えないのは、様々な「障害」と呼ばれていることがらの「具体性」「現実」に圧倒されてしまうからだろうか。「病気」や「障害」として名づけられることで社会的な了解を受け、本人も一時的安定を得るとしても、それはあくまで隔離されることだ。
 本人自身が、名づけられることを拒み、自身の<ことば>で語り始めるしかない。それが可能かどうかは、ことばでないことばを、声にすらならない声を聴き取る力をわたしたちが持てるかどうか、取り戻すことができるかどうかにかかっているのだろう。
 それはとても難しいが、ご飯をよそえない子にやってあげるのでなく、本人にやらせようと繰り返し手伝う子のおおらかさに、すり寄るプーミョンの笑顔に応える赤ん坊の微笑みに、その可能性を信じることができる。そうでない限り、「障害者」は「知」や「身体」や「能力」の威圧の前で立ち竦まされ、そういう彼らの前で「非障害者」も立ち竦むという関係のなかに閉じられてしまい、「障害」とか「できない」とかの前提をとらえ返し、考えることができなくなる。
 撮影も自転車でだった。異様な速さで動いていく今の世界へのささやかなでもしぶとい異議申し立てでもあるだろう。(福岡市天神、シネテリエ天神で26日まで上映中。)

 

アジアフォーカス・福岡映画祭

みえない<事実>、曖昧な<真実>
 「アジアフォーカス・福岡映画祭2004」が福岡市で開催されアジアの14ヶ国27作品と、関連企画の27本が集中して上映された。低予算で制作でき、リアルな今を感じ取れるドキュメンタリーが少ないのは意外な気もするけれど、それでもマレーシア、アミール・ムハマド監督『ビッグ・ドリアン』、今田哲史監督『熊笹の遺言』などをみることができた。
 『ビッグ・ドリアン』は1987年にクアラルンプールで起こった、軍人によるライフル乱射事件を現在から語ってもらうという構成になっている。この事件は、マレーシアの民族や宗教の複雑さを反映して、極端に政治的な色合いを帯びさせられ、都市での異様だけれど突発的な個人的な事件で終わらず、一気に政府による国家統制へと繋がるきっかけにもなっていった。
 アジアの現状が語られるとき、植民地化されたことの影響が必ず語られる。圧倒的なヨーロッパ的近代の侵入の中で翻弄され、さらには国家自体が植民地にされていった歴史は、その後のほとんど全てと言っていいことがらに大きな影響を与えているのだろう。それらをリアルに感じ取ることはできないけれど、アジアの日本以外の大半の国では、オペラ『蝶々夫人』が嫌われているということすら知らずに育つわたしたちの日常と大きく隔たっていることはわかる。
 歴史を語るときの「真実」の問題や、映画にもでてくる「マレーシアでは全てが曖昧にされてしまう」といった「マレーシア(国民)性」とでもいえる地域性の問題、それに記録や映像の「事実性」への問いかけとして、インタビューのなかにプロの俳優による演技を紛れ込ませてある。それはこの映画自体とも距離をとることであり、ドキュメンタリーという概念そのものを相対化させようとする方法でもあるだろう。劇化され戯画化され、速度感やおかしみも増す。
 「籠の中の自由」ということばが何度かでてくるけれど、近代とか、国家や民族、宗教といった大きな枠組みや、政党政治や法律、さらには映画やことば、メディアといった籠にしっかりと閉じこめられてしまっているわたしたちを冷静に見つめ、解き放つ道を探る試みのひとつでもある。

 

ヴァイブレータ」/「赤目四十八瀧心中未遂
既視感、未視感の間で

 福岡市天神の同じ映画館で、主演女優が同じ寺島しのぶで、主演男優も両方に出ている映画をたてつづけにみ、しかも両方とも話題になった小説を原作にしていたこともあり、不思議な既視感や未視感に包まれた。「ヴァイブレータ」(廣木隆一監督、赤坂真理原作)と「赤目四十八瀧心中未遂」(荒戸源次郎監督、車谷長吉原作)。
 数年前に読んだ小説世界が創りだし、自分のなかに映像化し記憶として蓄えていたものとまるで同じ路地が出てくることに驚かされ、そうしてその見知った場所が、ひとつ角を曲がると見も知らぬ世界にずれ込んでしまう、すでに映像として目の当たりに見せられているにもかかわらず、まだ一度も見ていないものに思えてしまう、とでもいうような。
 小説がことばで表現しようと試みたもの(それはもちろんことばとしても明確にそれと名指せないからこそことばを積み重ねるのだけれど)、それを映像として表現しようとする映画、そのふたつの重なりと落差。すでにことばとして、概念としても成立しきっているものを、改めて視覚的な形に焼き直す、解説するといったことでなく、映像としてしか現せないものとして、新しく開いてみせる試み。
 どちらの映画も原作が紡ぎ出す物語を変奏しながら追っていく。「ヴァイブレータ」ではことばが文字としてもスクリーンの上に映しだされる。ちがう様式の表現、その間のたどり着けない距離を、ことばを直截に共有することで一息に埋めていこうとし、そのことでそれぞれの固有の力を立ち上がらせようとする。心象風景を超えて世界そのものの変容を出現させようとする映像や無化される時間軸の出現の予感が生まれ、でも映画はまるでそれ自体の生理に従うように上映時間のなかに巻き取られてしまい、結語を持つ表現として円環のなかに閉じられる。明るくなる映画館のなかに残されるわたしたちは、既視感も未視感もないこの<現実>に再び滑り落ち取り込まれていく。そこからまた始まる。

天神シネテリエで「ヴァイブレータ」は 日まで、「赤目四十八瀧心中未遂」は 日までの予定。

 

終わりと始まりと--映画との遭遇

 4月、いろんなことが終わり、始まる季節。そんな様々な出会いや別れのように、誰にも映画との遭遇や決別がある。わたしにとっての始まりの映画のひとつは「絞死刑」(大島渚監督、1968年)で、映画というのは表現なんだ(当時は「芸術」ということばだったが)と知らされた。
 小松川高校事件と呼ばれた実在の事件で逮捕され処刑された青年を題材に、彼が絞首刑後も死なず、記憶もなくしたという卓抜な設定の下、彼(映画のなかではRと呼ばれる)を再度処刑するために、教務官、所長、牧師、検事などが一体となって彼に事件を思いださせ、罪を認めさせ、死刑を受け入れさせようとする。酷いほどのドタバタ喜劇のなかでこづき回され、国家の概念を吹き込まれ、民族、宗教や性(愛)を押しつけられるが、<現実>と想像との乖離にも落ち込んでいるRには自分自身も罪もリアルには感じれない。
 終盤、「国家をほんとに感じられないなら、君は自由だ、この処刑場から出ていっていい」といった検事のことばにRはドアを開けるが、強い外光が雪崩れかかり彼は出ていけない。君は今国家を感じた、感じた以上(国家の決定した)罪は存在する、という検事のことばを受けて、Rは全てを否定しつつも再度の処刑を受け入れる。
 国家や民族や宗教はつきつめると実体のない、ある時代や地域のなかでつくられる観念的な仕組みでしかないのに、徹底して人を縛り、心にも食い入って支配することが、恐いほどリアルに映像化されていた。しかし当時はそれへの否定も対抗的な、同じ土台で反対するというようにしか考えられず、だから国家を幻想だと言いきろうとしても、そう断言する立場をどこにおくか(おけないか)は映画としても見えてこなかった。自分の足場を突き崩しては対抗はできないだろうから。
 それから40年ちかく、悲惨なことがらが積み重なるなか、ささやかであっても生きるなかで考えることを進めてきた人も少なくはないが、Rは今も処刑台のなかに閉じられたままだろうか。国家や民族の軛はますます強まるようにみえるけれど、それは外的な強圧的な力で枠組みが維持されているということでもある。バラバラになることや孤絶することも恐れず、人々はこれまでとまったく違うように「歴史」や他者(つまり世界)を引き受ける方へと抜け出ていこうとしている。長く苦い時間のなかでだけやっと掴めるもの、体に染みこみことばさえ超えるもの。

 

『チュンと家族』

 福岡市総合図書館映像ホールで、収蔵フィルムによる現代台湾映画特集が行われ、チャン・ツォチー監督の『チュンと家族』(一九九六年)が上映された。
 台湾の小さな町、別居した両親、複雑で荒んでいるが、まだ家族としての繋がりを祖父を中心にかろうじて残している一家。その長男で、まさに青年期へと入っていこうとするチュンを中心に映画は進む。大道芸の舞台に立つ母に強いられての、刀による自傷も含む宗教儀式的な集団「八家将」への参加。そこで繰り返されるもめ事や、ヤクザの義理の兄との関係のなかで、チュンは体の内にじりじりと積もっていく鬱屈、噴きだしてくる粗暴さをもてあまし振り回され、怒鳴り喧嘩し、暴力や殺傷に否応なく引き込まれていく。
 静かな川や山、祖父や弟と過ごす無垢な時間も、距離をおいた落ち着いた映像で挿まれる。観念(ことば)でなく、体として生きていた時代や年代だろうから、痛みや死も含んだ暴力があたりまえのこととして受け入れられていく。血や死は、聖や生の対極にあるのではなく、そのなかに含み込まれて在るのだということが、掴み出され剥き出しにされる。そういうなかで人は生きて死んでいったのだろう、今は「近代」に席巻され、「都市」での平板で安定した生が全ての表面を覆っているようにしか見えないとしても。
 個が抱え続ける思い出とか、世代や社会の郷愁としてだけでなく、若さの持つ世界への畏れや身体的なまでの違和と、急激に変貌した台湾の現在への怯えや底深い違和が、若者の滲みでるような鬱屈と共同体の底の澱みとの重なりとして描かれる。全編に溢れる生々しいまでの身体性や、生活そのままの息づかいといったリアリティは、職業俳優を使わないことがもたらしたものでもあるのだろう。
 人は鬱々と這いずるように、そうして実に暢気に楽々と生きていくのだろうし、誰もが休むことなく力をふりしぼりつつも、何もかもいつのまにか過ぎていってしまうものでもある。痛みとか感動とかいうことばからずっと遠いところで、わたしたちはつましい人の生に、ありふれていてそうして底抜けに深いものに揺り動かされる。


息子のまなざし」- 求めること拒むこと
                 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督

 ドキュメンタリーのようなカメラの動きのなか、じっと何かを視続けている職業訓練校の木工教師の後ろ姿から映画は始まる(それをわたしたちはスクリーンのこちら側からみている。視つめるということは対象を愛することであり、また何かを奪いとってしまうことかもしれない)。視られているのはその日受け入れたばかりの少年院を出た生徒で、彼は家族ともうまくいかず木工を習いに来たのだが、実は少年が5年前、11歳の時に絞殺したのはその先生の幼い息子だった。もちろん少年はそれを知らないまま、映画は進む。
 事件の後離婚した先生は教えることに熱心で、厳しいが面倒見もよく、生徒たちの信頼も厚いけれど、事件や犯人のことをどう考え対処していいのか動揺してもいる。でも人は、そういったできごと自体を、相手を、じっと視つめることができるのだろうか、考えぬくことは可能なのだろうか。そうして、例えば相手を殺すとか赦すとかできるのだろうか。現実の様々な事件を思い起こしつつ、誰れもが目をそらすしかない気持になる。
 終盤近く、先生の詰問に応えて、徐々に自分の行った殺人と5年間の院生活を少年が材木置き場で語り始めたとき、不意に殺されたのは自分たちの息子だったと先生に告げられて少年は逃げだす。「何もしない、責めてるんじゃない」と叫びつつ追う先生が、屋外に追いつめた少年の首に手をかけ、そうして手を離して作業に戻った後、少年がもう一度作業場に姿を現す。凍えるほど孤絶して立ち竦み、混乱し、でも必死に何かを求め、震える体を押さえ、祈るように先生を視つめるとき、わたしたち誰もが少年であり、先生である。
 映画はぎくしゃくとしてゆっくり進み、ふたりの表情もしぐさも明確に何かを示さなくなる。拒絶と憎しみと愛と希求と受容とが一瞬毎に交錯しつつ、微かに揺れ、唐突に暗くなって映画は終わる。そういう曖昧で不安定な関係のなかにいること、そうしてそこから始めるしかないことを痛みのように告げながら。ひたひたと満ちてくるある思い、しかとは名指せない、何かへの慈しみ(愛といってもいいのだろうけれど)を予感しつつ。


エーリッヒ・ケストナーの『飛ぶ教室

 あのケストナーの、あの『飛ぶ教室』が映画化された。トミー・ヴィガント監督。東西への分割と再統一というドイツの戦後史を取り込んだ卓抜な設定で、舞台は現代のライプチヒに移してある(ドイツの戦後の混乱と今もまだ続く深い傷は、映画『グッバイ、レーニン』=ヴォルフガング・ベッカー監督=でも家族の悲喜劇として描かれている)。正義先生も禁煙先生もいるけれど、生徒たちの劇はラップ・ミュージカル仕立て。懐かしさが先だつオールドファンにはちょっとつらい。
 たぶんケストナーを子供の頃に読んで、エミールや点子ちゃんやロッテを好きになり、『飛ぶ教室』に泣いた人は少なくはないだろう。もちろんわたしも何度も読んで何度も泣いたくちだ。まだ、泣くことは恥ずかしいことではなく、またうっとりと浸ることでもなかった。ただそうあるだけだった。だから十代半ばからは読まなくなった。感傷を憎み、社会と対峙することが正義だと思っていたのかもしれない(そういう意味では正統的なケストナー派だったのだろうか)。年つきが流れ、誰もがそうであるようにそれなりにいろいろあって、生き延びて、読み返してやっぱり同じ所で泣いていた。こんなにつらいことが12才くらいで起こるなんて、そしてそれに耐えているなんて。でも今はわかる、誰もが12才の頃に同じように寂しさをつらさをくぐっていたのだと。そうしてそれに気づくことさえできないほどにそのことの渦巻きのなかに囚われていたのだと。
 「どうしておとなはそんなにじぶんの子どものころをすっかり忘れることができるのでしょう? そして、子どもは時にはずいぶん悲しくて不幸になるものだということが、どうして全然わからなくなってしまうのでしょう?・・・・みなさんの子どものころをけっして忘れないように!・・・(岩波書店高橋健二訳)」とケストナーは語る。映画の冒頭にも同じことばがでてくる。
 人は、わたしたちは、いったいどこへ向かっているのだろう。自分たちのあんなにも寂しくてつらかった心さえ、まるでなかったもののようにすっかり振り捨てて。


愛、季節、時代 - 移ろっていくもの、残り続けるもの


 大気はまだまだその底に冷たさを抱えたままだけれど、透明な陽光は真っ直ぐに落ちてきてあたりを満たし、小さく波立つ海の上を輝きながらずっと続いている。こうやって季節は、後戻りできない堰をひとつひとつ越すように移っていく。そんな光の溢れる津屋崎の海辺に立つと、がらにもなく愛とか時代とか移ろっていくもののことを考えたりしてしまう。そんななか、愛を巡るアジアの映画を2本みることができた。
 ひとつは2003年の韓国映画『ラブストーリー』。若い女性の現在進行中の愛と、彼女の母親の1970年前後の悲恋とが交互に語られる。朴独裁政権そしてヴェトナム戦争の時代。強圧的社会、絶対者の父、階層のちがいという背景、親友との三角関係、自殺未遂や雨のなかの逢い引きや列車での別れ、失明という悲劇もある。ヴェトナムの戦闘シーンが挿まれ、それを当事者として描く国だったことを改めて思いださせられるけれど、その戦争も独裁も、抗議のデモンストレーションも、ささいなエピソードのひとつになっていることに驚愕してしまう。30年が経ち、飛躍的な発展と変化があったということだろうか。そうして過去の悲恋が子供たちの世代の愛としてあっけらかんと成就することも、今という時代の要請なのだろうか。
 もう一本はタイの『ムアンとリット』。94年の映画だけれど、描かれた時代は1860年代。豊かな水と緑のなか、僧侶へのかない難い思い、女性が虐げられた時代の理不尽さと抵抗、その全てを超えて成就する愛の物語。
 過去が描かれるとき、往々にして現在の感じ方考え方でかつてのことをみていくから、単純な過去の批判や称讃になってしまい、愛や人の持っている深みみたいなものはなかなか浮かび上がってこない。個と個の近代の恋愛も、結婚や家族ということと同様、歴史のなかの性の制度のひとつにすぎないことも巧みに隠れてしまう。
 時代や屈折した関係のなかで、やっとの思いで手に入れたもの、そして喪ったもの。その流れのたどり着いた波打ち際に今わたしたちは佇んでいる。愛、はあるか?


文さんの映画をみた日・3

自分のことを省みて「若さは愚かさだ」などと傲慢に嘯いていたけれど、もちろんそんなことはなく、若さは、というより人は、あれこれありながらしのぎながら勁くそして穏やかに生きている。映画をみた日はそういうこともつい生真面目に思ってしまう。
 福岡市赤坂にREEL OUT(リールアウト)という定員30名の自主上映の場があり、商業施設ではみることのできない映像などの企画上映が熱心に行われていて、清水宏やブラッケージなどの特集も行われた。昨年の12月には、佐賀の映像グループ「東風」の中国正一監督が北部九州を舞台に撮った『815』の上映があり、監督の挨拶も聞けた。バンクーバー映画祭で受賞し、ロンドン映画祭や東京フィルメックスなど各地の映画祭にも出品された作品で、スクリーンから飛び散ってくる汗や唾を思わず手で払いのけようとするほどのエネルギーの噴出。馴染みのあることばや抑揚、風景にも溢れている。タイトルからも察っせられるように時代の避けがたい荒波と悲劇と、でも膂力で乗り切っていく人々とが、神話や歴史に寄せて過剰なことばや身ぶりで語られていた。
 1月には、中心を担う一人である明石アキラ氏企画の浜松の映像集団「ヴァリエテ」の特集、浜松から袴田浩之氏など映像作家たちも駆けつけた。実験映画とか自主制作とかいった社会的区分けから抜けてみていくと、当然のように世界や生の多様さが開けてくる。常套的なまでに、反抗し暴発し黙し歌い引きこもり、そうやって誰もが家族を含めた共同体との距離を測り、様々の形で自他を慈しんできたのだろう、それぞれの今のなかで。
 映画をつくる人も、それを上映する人も、そうして観る人も、誰もがその現場で表現者だろう。映像であれことばであれ、制作することだけが特権的に表現なのではなく、だからある種のスケープゴートとして矢面に立たされる<責任>もない。また受け取るものが自身を特権化すると、表現者であることを放棄し受動的なものに自分を貶めてしまい、受け取る楽しみだけを強要し消費するだけになってしまうのだろう。(REEL OUTでは2月21、22日にF.ムルナウ、R.フラハティ作品上映。連絡先:843-7864(夜間))


文さんの映画をみた日・2
流れ去る時間、残り続ける映像

 珍しく雪になり、一月二二日の旧正月は一面の雪景色の元旦。新鮮で光のみなぎる新年、街の喧噪もいつもとちがって響くなか、博多駅近くの映画館へと急ぐ。
 『テン・ミニッツ・オールダー』、すてきなタイトルだ。生まれたての赤ん坊は一〇分間で体もきっと成長しているだろうし、若者にとってはがらりと世界観が変わるのに十分な時間だ、ましてや恋愛では。成熟した世代はどうだろう。さらに賢者になり晴朗になり、確実に一〇分だけ死へ近づく、のだろうか。時間を線的で不可逆な一方向のものと確信していればそうだろう。そうしてそんなふうに平板に時間をとらえるとき、この空間も世界もかたい閉ざされたものとして現われてくるしかない。「時」は姿をみせるだろうか。
 一五人の監督による一〇分間ずつの映画、その第一部『人生のメビウス』。久しぶりのヴィクトル・エリセ監督(『ミツバチのささやき』)の名前もあってうれしい。彼の『ライフライン』ではモノクロームの画面のなかにまどろむ赤ん坊と母親の、蜜のような甘い眠りに直に触れ、引き込まれていく、背景の時代は危機に満ちているのだけれど。カウリスマキの『結婚は一〇分で決める』にはいつものカティ・オウティネンの姿がある。ジャームッシュは撮影中の女優の一〇分間の休憩をバッハを流しながら切り取り、ヘルツォークはドキュメンタリーとして、アマゾンの奥地で「発見」された「石器時代」のままだったウルイウ族の今を硬質な画面に納めていく、『失われた一万年』というタイトルの下に。ヴェンダースはお手本のような短編『トローナからの一二マイル』。広大な米国中西部を舞台に、速度のなかに恐怖、幻覚、感動、おまけに涙まであり、音楽や効果音も溢れる。
 そんなふうに七人がそれぞれの様式でつくる一〇分の映画。時計や古い写真、記憶が駆使されて時間的な奥行きが取り込もうとされ、音楽も多用されて広がりを生もうとする。でもこの長さはやっぱり難しそうだ。時間はその片鱗も見せずに、それぞれの映画をつなぐ水の流れの映像やトランペットの響きのように、掴む手の先からするりとどこかへ消え去ってしまう。蠱惑的なまでに鮮やかな印象だけがくっきりと刻まれて残る。(第二部『イデアの森』も共にシネ・リーブル博多駅で上映中)


文さんの映画を観た日 2

自分のことを省みて「若さはバカさだ」などと傲慢に嘯いていたけれど、もちろんそんなことはなく、若さは、というより人は、あれこれありながらどこまでも勁くそして穏やかに輝いている。映画を観た日はそういうことをつい生真面目に思ってしまう。
 福岡市赤坂にREEL OUT(リールアウト)という定員30名の自主上映の場があり、商業施設では観ることのできない映像などの企画上映を行っていて、  清水宏や  ブラッケージなどの特集も行われた。昨年の12月には、佐賀在住の映像グループ   の中国正一監督が北部九州を舞台に撮った『815』の上映があり、監督の挨拶も聞けた。バンクーバー映画祭・ドラゴン&タイガー賞審査員特別賞受賞、ロンドン映画祭や東京フィルメックスにも出品された作品で、スクリーンから飛び散ってくる汗や唾を思わず手で払いのけようとするほどのエネルギーの噴出。馴染みのあることばや抑揚、風景にも溢れている。タイトルからも察っせられるように歴史(時代)の避けがたい荒波と悲劇、でも膂力で乗り切っていく人々とが、神話に寄せて過剰なことばや身ぶりで語られていた。
 1月には、中心を担っている一人である明石  氏の企画になる浜松の映像集団「ヴァリエテ」の特集、浜松から袴田浩之氏など映像作家たちも駆けつけた。実験映画とか自主制作とかいった社会的区分けから抜けて観ていくと、当然のように世界や生の多様さが開けてくる。反抗し暴発し黙し歌い引きこもり、そうやって誰もが家族を含めた共同体との距離を測り、様々の形で自他を慈しんできたのだろう、それぞれの時代のなかで。それもまた切実でリアルなひとつの今である。
 映画をつくる人も、それを上映する人も、そうして観る人も、それぞれがその現場で表現者なのだ。映像であれことばであれ、制作することだけが特権的に表現なのではない(だからある種のスケープゴートとして矢面に立たされる<責任>もない)。また受け取るものが自身を特権化すると、表現者であることを放棄し、受動的なものに自分を貶めてしまい、受ける楽しみだけを強要し、消費するだけになってしまうのだろう。表現とは、今まで続いてきたこれからも続く人の営為のつながりのリレーみたいなものだろうし、どこか一部が特権化されるとき、表現の奥行きはみごとに喪われ平板で硬直した虚弱なものへと変質するしかない。

 

呼び起こされるもの、生まれるもの -- ソクーロフ『孤独な声』

 だれもがいろんな形で映画と出会い、喜びを、興味を育てていくのだろうけれど、それは途切れることなく続いていて今もわたしたちを誘い楽しませ、豊かにしてくれる。年の終わりに一年を振り返り、最も心に残った映画といったことに思いを馳せた人もいただろうか。ぼくにとってはフランスの奥まった村落と小さな学校を描いた『ぼくの好きな先生』(ニコラ・フィリベール監督)だなとひとりごちていたけれど、12月の終わりに福岡市図書館ホールで、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の『孤独な声』(1978年)を観て、その深さにもうたれた。  
 99年に奄美島尾ミホを撮った作品『ドルチェ-優しく』もあるソクーロフの20代の卒業制作作品であり、長編第1作。同じロシアの故タルコフスキー監督に捧げられていて、圧倒的なその影響下にある。繰り返し挟まれるモノクローム映像、スローモーション、鏡、流れの下で揺れる植物、火、風、それが揺らす木々、草原。でもどこまでいってもそれはソクーロフの映像そのものだ。どこか厳しさを含んだ映像には一瞬一瞬を凝視させるような力があり、その流れとふいの中断にも引きつけられ魅了される。
 戦場から戻った若者とその恋人、父親、僧侶が描かれていて、下敷きになった小説があるのだろうけれど、その内容は詳しくは語られず、時間的にも飛躍し、複雑な歴史の流れ(17年の革命後の混乱期)や宗教もからんでいて、観ているぼくらは小説的な物語の文脈からは振り落とされていく。でも最後まで映像・映画の内側に留まり続け、その暗さや激しさにもかかわらず全編に溢れる初々しさにも助けられ連れられ、愛や生の再生と復活にたどり着く、映画のなかでたどり着いた人々や、映画をつくることでたどり着いた人たちと同じように。たぶん物語を語る映像の力というのはそういうことなのだろう。
 そうしてまた不思議さはつのる。時代も民族もまったくちがい、歴史も重ねようもないほどに遠いのに、あまりにも人は人であり、やすやすとわたしたちのなかに忍び込み重なりあっていくことに。一瞬の映像が、ひとつのことばが呼び覚ますものの広さ深さ。今年もまたいくつもの喜びに出会えることを。


読売新聞社・文化部  田口淳一様

コラムの原稿送ります。
コラム自体のタイトルはいいものが思いつけません。とりあえず、「海辺の街の鑑賞記」としていますが。
内容は昨年暮れのソクーロフの映画を中心にして、映画一般について語る形になっています。いかがでしょうか?
それからデータとしてメールで送ることもできますし、今後の連絡もあるので、メールアドレスを教えていただけると助かります。こちらのは、e-mail:fumiferd@mta.biglobe.ne.jp です。
今週は土曜日に天神に出る予定ですが、田口さんは休みですか?
何か不都合や問題などありましたらご連絡下さい。
よろしくお願いいたします。

海辺の街の鑑賞記・1
呼び起こされるもの、生まれるもの -- ソクーロフ『孤独な声』

 いろいろな形で始まり育っていく映画への興味。それは途切れることなく続いて今も多くの人をぼくを喜ばせてくれている。年の終わりにその一年を振り返り、最も心に残った映画といったことに思いを馳せた人もいただろうか。ぼくにはやっぱり、あのフランスの奥まった村落と小さな学校を描いた『ぼくの好きな先生』(ニコラ・フィリベール監督)だと決まっていたけれど、12月の終わりに福岡市図書館ホールで、ロシアのソクーロフ監督の『孤独な声』(1978年)を見て、その深さにもうたれた。  
 99年に奄美島尾ミホを撮った作品『ドルチェ-優しく』もあるソクーロフの20代の卒業制作作品であり、長編第1作。同じロシアの故タルコフスキー監督に捧げられていて、圧倒的なその影響下にある。繰り返し挟まれるモノクローム映像、スローモーション、鏡、流れの下で揺れる植物、火、風、それが揺らす木々、草原。でもどこまでいってもそれはソクーロフの映像そのものだ。どこか厳しさを含んだ映像には一瞬一瞬を凝視させるような力があり、その流れとふいの中断にも引きつけられ魅惑される。
 戦場から戻った若者とその恋人、父親、僧侶が描かれていて、下敷きになった小説作品があるのだろうけれど、その内容は詳しくは語られず、時間的にも飛躍し、複雑な歴史の流れ(17年の革命直後の混乱期)や宗教もからんでいて、見る者は小説的な物語の脈絡からは振り落とされていく。でも最後まで映像・映画の内側に留まり続け、その暗さや激しさにもかかわらず全編に溢れる初々しさにも助けられ連れられて、愛や生の再生と復活にたどり着く、映画のなかでたどり着いた人々や、映画をつくることでたどり着いた人たちと同じように。たぶん物語を語る映像の力というのはそういうことなのだろう。
 そうしてまた不思議さはつのる。時代も民族もまったくちがい、歴史も重ねようもないほどに遠いのに、あまりにも人は人であり、やすやすとわたしたちのなかに忍び込み重なりあっていくことに。一瞬の映像が、ひとつのことばが呼び覚ますものの広さ深さ。今年もまたいくつもの喜びに出会えることを。


鉄西区王兵監督
働くこと生きること、巡り続けるように

 第一八回福岡アジア映画祭で『鉄西区』が上映された。九時間に及ぶドキュメンタリー作品だけれど、三部構成で休憩もあるから休み休みみることができる。確かにとんでもなく長い、でも人生に比べたらあっという間、そして世界そのものがずっしりと詰まっている。
 一九三〇年代から続いてきた中国東北部瀋陽鉄西区と呼ばれる工業地帯の崩壊と、その混乱のなかで働き生きる人々が、三年間に渡ってデジタルヴィデオに収められている。撮影もひとりでこなした王兵ワン・ビン)監督との関係を反映して、人々はカメラに全く動じないし、過剰な反応もない。カメラも過酷な現実にたじろがず媚びず、とにかく前へ前へと力の限り走り続ける。爆発現場へ、立ったままの食事の皿の中へ、濁った風呂のなかへも突き進む。撮ることの暴力的な威圧や侵犯、高みからの解析はない。だから世界が、正視するのが辛いほどにもあるがままに取り出される、そうしてそれは人をうつ。
 官僚主義の無策、文化革命の影響、現在吹き荒れている世界経済と直結した嵐、その下で人々はしゃべり、働き、食べてのんで、喧嘩し、唾を吐き、風呂に入り、歌い、手鼻をかみ、煙草を吸い続ける。画面に繰り返し現れる工場地域内貨物車の軌道のように、人々は同じ回路を巡り続ける、まるでそれが人生だというかのように。
 多くの工場が倒産し閉鎖し、鉛中毒さえ抱えた労働者たちは失業し、家族ごと居住区を強制的に立ち退かされる。乱雑な休憩室で繰り返される賭け事、そこかしこに暗く重い澱みがあり、それは労働者自身の皮膚にも目にも薄い皮膜として、投げやりな諦めや疲れとして貼りつき染みこんでいる。その一方でのあっけらかんとした勁さ。
 職も家もなく、線路域で不法なこともやりつつ男手ひとつで息子ふたりを育ててきた老人は「人生は厳しい、食べていくのはたいへんだ」と嘆息しつつこうつけ加える。「結婚すらできないと諦めていたのに、ふたりもの息子に恵まれたんだ」と。七日間拘置されて出てきた父の前で酔って泣きつぶれた息子を慰め背負い、凍った暗い夜道を老父はふらつきながら帰っていく。そんなふうに、そんなふうにして人は生き、死んでいく。わたしたち一人ひとりに長い長い余韻を残して、人々はスクリーンから去っていく、溶暗して映画は終わる、そうしてまた巡り始める。


アジアフォーカス福岡映画祭

この季節になると、九州や福岡でもいろんなお祭りがある。「神」に纏わる伝統的なもの、地域の交流の祭り、いろんな芸術祭やスポーツの祭り。美術や映画も例外ではなく、「アジアフォーカス福岡映画祭2004」も始まった。アジアの14ヶ国27作品と、関連企画の27本が集中して上映される。
低予算でリアルな今を感じ取れるドキュメンタリーが少ないのは意外な気もするけれど、それでもマレーシア、アミール・ムハマド監督『ビッグ・ドリアン』、今田哲史監督『熊笹の遺言』などをみることができた。
『ビッグドリアン』は1987年にクアラルンプールで起こった、軍人によるライフル乱射事件を現在から語ってもらうという構成になっている。この事件は、マレーシアの民族や宗教の複雑さを反映し、極端に政治的な色合いを帯びさせられ、都市での異様だけれど、でも突発的な個人的な事件でなくなり、国家による統制へと繋がるきっかけにもなった。アジアの現状が語られるとき、必ず出てくるのが、植民地化されたことの影響だ。圧倒的なヨーロッパ文明の侵入の中で翻弄され、国家自体が存立できなくなる、植民地にされていく歴史は、ほとんど全てと言っていいほどのことがらに大きな影響を与えているのだろう。アジアの日本以外の大半の国ではオペラ『蝶々夫人』が嫌われているということすら知らずに育つわたしたちの日常とは大きく隔たっている。
ドキュメンタリーという概念も変化していること、さらに歴史的事件を語るときの「事実性」やマレーシアでは全てが曖昧にされてしまうといったことも含みつつ、映画は  インタビューのなかにプロの俳優による演技も紛れ込ませてることで、自身の映像への距離を取ろうともしている。現在、政府や議会政治、司法も曖昧であり、それを語る人々のことばも曖昧であり、その全体を捉えよう向き合う映像も曖昧にならざるを得ないことが
徹底しないから曖昧というのでなく、そもそもそういう在り方なのだと、そこから始めるべきなのだと


『誰もしらない』是枝裕和監督


存るのにみえない  
 光り溢れる柔らかい空気をとおしてきりとられる街、子どもたち。距離がとられ穏やかに描かれているので、子どもたちの気持のぶれや深さも静かに伝わってくる。
 過去に実際に起こり、今もどこかで起こっているだろうできごと。母親に遺棄された、たぶん戸籍もないだろう4人の子どもたちの、かろうじて続けられる生活。比較する軸がないから、彼らのなかでは貧しさや不自由さ、不潔さすら相対化される。電気も水道も止められての、公園での水浴びや洗濯は楽しげにさえ見える。子どもの脆さと勁さが重なりあう。
 家族が夫婦を基盤とした次世代育成のための共同体でもある、という考えやあり方からは嫌でもずれてしまう現在、どういう生活の形が可能なのかにも思いがいく。扶養してくれる親がなく、社会的な存在証明の戸籍や近隣の認知もなく、次世代としての役割分担を学ぶ(強いられる)学校や教育にも関わらす、でもほんとにいっしょにいたい人たちと離れずに生きていく方法を子どもの場から必死に探す物語でもある。
 公としての「社会性」からは抹殺され(それは一面では自由ということ)、ある閉じられた関係のなかでだけ生存できるあり方、例えば、無国籍、無戸籍を選択したとしたら、わたしたちはそういう世界に放りだされるのだろうか。その時、「存る」とか「生きている」といった生の意味はどうみえてくるのだろう。
 「学校に行きたい」が象徴的なことばとして何度か繰り返される。学校があがくほどにも求められるもの、ここより他の憧れの場所として語られる。そうしてその学校が苦痛でしかない、抗うことすらも諦めた少女とのせつなくアイロニカルな出会いもある。
 侵入してくる外部、自壊し始める内部、そういうきわどさのなかを、彼らは、映画は、結論を急がずゆっくりと歩いていく。たどり着ける先はあるのだろうか。(福岡市、「シネ・リーブル博多駅」などで上映中)

 

 小説や歌謡曲、それにもちろん映画でも若者や若さが頻繁に主題になるし、直截に青春といったことばさえでてくる。先日、知られざる名作     で、「姿三四郎」が上映された。監督は若干  歳の黒澤明、彼の処女作でもある。明治という若き時代の若者の物語。三四郎の取り組むのはもちろん柔道、それもまた始まったばかりの若き柔術だ。三四郎は九州の出身らしい設定で、和尚や他の出演者も九州のことばやイントネーションが頻発し、すぐにそうと聞き取れる自分が、なんか得をしている気になったりもする。
 若いということはどういうことだろう。その渦中では、苦しいことばかりで、後から、あれこれ甘く懐かしく思うだけだ、という言い方もあるように、渦中にない者から、離れた場所から語られるものなのだろう。いつのまにかそのまっただ中でもがいていて、そしてふと我に返るともうとうに終わっている、といった。
状態としては、心身共の惜しげのない、放埒なまでの放出、というようなことかもしれない。三四郎も苦しむことすら特権であり、悩みすらが真っ直ぐで、世界はたちまちに晴れて澄み、何の技巧もないから微笑みは相手の(もちろん観客の)心臓を射抜き、愛はあくまで控えめな率直さに彩られ、謙譲さがけして卑屈にならず、得意さが傲慢と結びつくこともない
闊達
でも時代は193  年、急激な近代化のなかの矛盾が、世界的な帝国主義の覇権のなかでさらに増幅され、初々しさや倫理のかけらも失って利権争いに走る時代 時、夏目漱石の小説の同じ名前の青年、三四郎でさえ、近代や日本や家族や愛やで屈折したのだから、昭和の三四郎だけが、いくら体育会系とはいえ、ノーテンキではいられないだろう。
それにしてもスクリーンの上の俳優たちは若々しく凛々しく、初々しく、楚々としてでも気丈で、その後の黒沢映画の主人公たちを思わせる
「民主主義」というか「おもんばかる心」や「生真面目さ」青臭さも充満していてそれは黒沢の生涯続いた、若さなのだろう。


『自転車でいこう』 杉本信昭監督


世界の速度をすり抜け

 路地をすいすい抜けていく自転車、それを追うカメラ。このドキュメンタリーが始まると、少年のしゃべり続ける声と不思議なことばに先ず耳がいく。映像の軽快さとその自在な撮影にも興味がわく。
 自転車に乗っているのが、プーミョンと呼ばれている「自閉症」の二十歳の少年であり、李復明という名だとわかってくる。大阪生野区の福祉作業所「ちっぷり作業所」に勤め、仕事帰りに近所の「障害者」も混じる学童保育所「じゃがいもこどもの家」に寄り、あれこれもめごとを起こしつつも、愛されていることも。
 生野区にはいくつもの作業所があり、保育所があり、韓国語の教会がある。つまりそういう人たちがたくさん住んでいるということ、そういう生き方が可能だということ。そんなことを見聞きしつつ、わたしたちも考え始める。
 『「障害」とは何か』という問い、「障害」を再定義するのではなく、「障害」というものがそもそも存在するのかという根源的な問いに、わたしたちが向き合えないのは、様々な「障害」と呼ばれていることがらの「具体性」「現実」に圧倒されてしまうからだろうか。「病気」や「障害」として名づけられることで社会的な了解を受け、本人も一時的安定を得るとしても、それはあくまで隔離されることだ。
 本人自身が、名づけられることを拒み、自身の<ことば>で語り始めるしかない。それが可能かどうかは、ことばでないことばを、声にすらならない声を聴き取る力をわたしたちが持てるかどうか、取り戻すことができるかどうかにかかっているのだろう。
 それはとても難しいが、ご飯をよそえない子にやってあげるのでなく、本人にやらせようと繰り返し手伝う子のおおらかさに、すり寄るプーミョンの笑顔に応える赤ん坊の微笑みに、その可能性を信じることができる。そうでない限り、「障害者」は「知」や「身体」や「能力」の威圧の前で立ち竦まされ、そういう彼らの前で「非障害者」も立ち竦むという関係のなかに閉じられてしまい、「障害」とか「できない」とかの前提をとらえ返し、考えることができなくなる。
 撮影も自転車でだった。異様な速さで動いていく今の世界へのささやかなでもしぶとい異議申し立てでもあるだろう。(福岡市天神、シネテリエ天神で26日まで上映中。)
文化部 小林様

お手数をかけます。ファックスだと落ち着いて考えられて助かります。
問い合わせの件ですが、下記のように改めてみました。
今日は出かける予定ですので、11時半までに終われると助かります。
校了になれば、原稿をデータとしてメールで送ります。
よろしくお願いします。

安部


セクシュアリティを巡って②『ロードムービー

貫かれる愛と死
 「第13回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」で上映された唯一のアジアからの作品は、韓国の『ロードムービー』。韓国の映画には、やみくもなまでに激しく徹底していく傾向が一部にある。この映画では、「同性愛」と呼ばれていることがらに関して、それに囚われ、アイデンティティーを探り確認するといった堂々巡りでなく、愛や自分自身の思いを貫くといった直截な方向で突き進む。性別としてではなく、誰かが誰かを愛するというだけだ、といった単純な勁さ。
 元登山家のデシクは家族と離れソウルでホームレスになっている。株の暴落で失敗したブローカーのソグォンは妻からも見放され、自死を試みてデシクに助けられる。新しい場所をめざしてふたりはソウルを出、途中で出会った若い女性、イルジュとともに南へ向かう。デシクからの愛を否定し拒絶するソグォン、セシクを求めるイルジュ、絡み合った関係のなか、たどり着いた街で再生をかけてデシクは肉体労働を続ける。
 経済の激変、都市の変質、ネット網やバーチャルな取引といった実体を持たないものが席巻していく社会での愚直な身体の没落といったことも重なる。自身の気持ちに忠実であろうとして息子も妻も捨てた男、デシクの頑なな一途さは、そういう不器用な生しか選べないということでもある。
 性行為の描写がずいぶんと激しく、彫刻的な硬さや強さで劇化されているのは、男性性への傾きや美学だけでなく、過剰すぎる思いと、ぎりぎりと絞られた緊張の比喩だろう。永遠、つまり死の形象化。だから物語はひたすら破局へと突き進む、まるでそれが目的であるかのように。悲劇や悲恋が官能的でもあるのは、その皮膜の下に、いつも不可能性(その究極の死)をぴったりと貼りつけているからだろう。
 幾人もが死んでいき、そうして最後に、酷いことばを残して去ったソグォンを思いつつ、デシクが死をけっして石切場の発破作業のなかに入っていく。もちろんそこで映画は終わらず、彼は死なず、引き返してきたソグォンの裸の腕のなかで息絶える。
 HIV感染症エイズ)が、治療が進んで「死の病」でなくなったとたんに芸術のテーマから振り落とされ、純愛が不可能性のメタファーとしてもまた現れてくる。けれどもそ
セクシュアリティについて ①
「オール・アバウト・マイ・ファーザー」エーヴェン・ベーネスター監督

 「第十三回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」が開催され、公募で選ばれた三作品を含む国内外の二十九作品が上映された。唯一のドキュメンタリーである『オール・アバウト・マイ・ファーザー』はノルウェーの小さな町に住む医者でトランス・ヴェスタイト(異性装)の父親を息子がインタビューしたもの。性同一性障害等と名づけられている、自己の性別に強い違和を持ち、他の性別に変わりたいという欲求を抱えている人たちの、家族や社会との軋轢は大きい。
 八歳の頃から始まった異性装への興味、結婚、ふたりの子供、異性装を否定する妻との離婚、理解してくれた現在の妻との再婚などを振り返り、「女性」でありたいと願う自分を分析し、社会的な意味での女性といったことも丁寧に考え、カメラの前でも異性装する父親。その説明に頷きつつも、どうしても家族として見てしまう息子は、「女性であり、お前の父親だ」ということばに動揺し、感情的には受け入れられない。父親は自分の内の欲求を冷静に認め、対社会的にもカミングアウトし、偏見と闘い、本を書き、積極的に行動しており、整然とした論旨は真摯だけれど、どこかで空回りし始める。たぶんそれは、現在の社会で流通している「性別」を大前提とした性に関する見方に則り、今ある家族という形を前提にして考えるかぎり行き着いてしまう地点なのだろう。彼に変わりたいというほど激しい違和を起こさせる、「性別」という発想そのものを変えない限り、「男性」「女性」という閉じられた二元論の間を揺れ続けるしかなくなる。
 何かを「非正常」と規定し、異性装や同性愛、性同一性障害と名づけて隔離する現在の社会の考え方は、異性愛を「本質」であると規定しての発想であり、その根本には雌雄(男性-女性)という性別概念が、生物学的な本質として置かれている。そうである以上、概念そのものを問わない限り、性にまつわることがらは開かれていかない。どんなに非現実的な観念論に響くとしても、「性別」というものが絶対的なものではなく、ある時代の、限定された地域(地球規模に見えるとしても)で流通している、共同体として選ばれた観念、見方であると考えてみることから、改めて始めるしかないのだろう。
 インタビューの最後に父親は、それまでの冷静さや強さを放棄するように、「いつ死ぬかわからないけれど、自分が父親を覚えているように、お前にずっと父親として記憶されたい」と涙ぐむ。ユーモアも交えた父親のことばやふるまいに笑わされつつも、息を殺すようにしてじっとみてきたわたしたちも、そこで立ち止まるしかない。残念で寂しくもあるけれど、それが現在であり、今の限界なのだろう。 
んなことと遠いところで、人や愛はどこかへ突き抜けていこうとあがいている。


東京国際レズビアン&ゲイ映画祭運営委員会 様

映画祭、たいへん興味深く、期待しております。
現在、フリーで新聞などに書いている者ですが、読売新聞夕刊(西部版)の映画評コラム(「文さんの映画をみた日」というタイトル)にこの映画祭のことを何度かに渡って書こうと予定にしています。
つきましては、少しお聞きしたいことがあります。
・問い合わせや、写真を借りるお願い(データがベストですが)なども、上記委員会でいいのでしょうか?
・プレスパスなどの発行はあるのでしょうか?
・プレスリリースなどが、パンフの他にあるのでしょうか?

今後もあれこれお聞きするかと思いますが、よろしくお願いします。

安部文範
811-3304 福岡県宗像郡津屋崎町1023-1
phone & fax:0940-52-4608
e-mail:fumiferd@mta.biglobe.ne.jp

追伸:以前のコラムを参考までに添付しておきます。


名画座゙ とよばれた場所があった


 以前は名画座と呼ばれる映画館が大きめの街には必ずあった。福岡にも中洲の東宝会館、天神のセンターシネマ、  天神映劇  、博多駅のステーションシネマなどなど。封切り(ロードショー)の後、期間をおいての再上映(二番館)や古今の名画を取り上げる場所だった。もちろん安かったし、入れ替えなんかないから何度でもみることができた。情報誌が出てくる前は誰もが新聞で探しては出かけていたのだろう。
 貧乏性のせいだろうか、そういう場所でみると落ち着く。美術業界には「目垢が着く」というようなすごい言い方があるけれど、映画はより多くの食い入るような視線に曝されることでいっそう豊になっていくんじゃないだろうか。複数の人に同時に共有される表現であり、そういうことを受け入れる力のある場なのだろう。時間が余ったからなんとなく映画でもみようか、という人もいる気配がして懐かしい。そういう時間のつぶし方は今はなかなか思いつけない。古典を勉強しようという若者や、見逃した映画を確実に押さえておこうというようなマニアックな真摯さもいいけれど。
 過ぎた日々やかつての時代が瞬時に蘇るのにも映画は力がある。生理と重なるくらいのかなり深い部分に、映像と音が焼きつき、それが時間のなかで発酵し変形し、その時受けた強い印象が、その人にぴったりとあう形として保存されるのだろう。新しい芸術の形式には新しい果実が惜しげもなく盛られ、その実を食べ尽くすのもまた若く柔らかい感受性だった。往年の心ときめかした俳優に、心ざわつかせた任侠映画に、人は今また同じように感応してしまう。
 福岡市総合図書館ホールでは多様な日本映画の上映も多く、3月の勝新太郎映画祭の『悪名』(田中徳三監督、1961年)や『座頭市物語』(三隅研次監督、1962年)などでは珍しく座席が埋まった。都心から離れた場所だし、馴染みがないし、初めて訪れた人も多かったのだろう。映画が始まってからも厚いドアをバンと開けて入ってくる人をみていると、そうだった、映画はそんなふうにみられ、愛されていたんだと、キャラメルの味も甘苦く舌に蘇ってくる。


白いカラス

 現代の、そしてアメリカ合衆国の様々な問題が取り込まれている。人種・民族、肌の色、性的虐待、D.V.、ヴェトナム戦争後遺症、ポリティカル・コレクトネス、差別発言糾弾、そして当然のこととして家族、結婚、仕事、誇り、愛、性などなどの問題。
 人種差別発言問題で退職に追い込まれた老教授と彼の若い恋人、それを端で見ている作家との関係を軸に映画は進む。教授の抱える人種に関する秘密、恋人の混乱した過去がだんだん明らかになり、ふたりの親密さは増し、それに伴って精神的に壊れた彼女の前夫がからんできて危機は増していく。愛、そして悲劇。フィリップ・ロスの小説が原作だけれど、辛辣さやユーモアは影を潜めている。
 差別とそれ故の矜持を生む「人種」とか「肌の色」という概念の曖昧さは映画のなかでも少しは見えてくるけれど、それが人や社会を縛っている計りがたい強さもまた浮き上がってくる。
 歴史的に、ある中心になる側(例えば「白人」)を成立させるために、別の中心でない周辺的な側(「黒人」など)が創りだされてきた。「異常」という概念を創りだすことで初めて「正常」という概念が成立し存在し始めるように。こういった、差別や偏見を伴う概念は、創りだす側の特権に関わっているから、一方の側はマイナーで負のイメージとして生みだされることになる。人種という考え方(区分け)を創りだすことで、優れた側としてその優位性の下に一方の隷属化を推し進める(植民化とか、社会内での隔離として)。そのために肌の色という概念も創られ持ち込まれるから、そこには優位の色とそうでない色とが生みだされることになる。そもそも色ということ自体も普遍的なものとしてあるのではなく、それぞれの時代や社会で全くちがうものとして現れてくるものだろう。そうしてこの映画のなかで顕著になるけれど、どこからが黒い肌の色でどこからが白いか境界線を引くことは不可能だ。
 人種という概念にも重なる、「血」ということでも同じだろう。五十、一%ならA種であり、それ以下なら非A種であるというような区分けは滑稽なだけでなく意味すらなさない。辿っていけば全ては繋がりあうし、ただ無限の中間部分だけがあるだけだ。でもこの社会では、当事者本人もまわりの人々も、つまりわたしたち自身もそういう考え方に身動きできないほど絡め取られ、囚われてしまっている。
福岡市天神のソラリアプラザで上映中。

 

人生はそんなにも苦難に満ちているのか、それともそんな生やさしいものでないもっと困難なものなのだろうか。


 悲劇へと真っ逆様に落ちていくある揺るがせない絶対的な前提の道具立てとしても使われる

人種も、優位性を創りだそうとするサイドの意図に基づいて、優れていない人種を生みだ

どうしようもなく囚われてしまう人々と。

 


 常設の自主上映施設だったREEL OUT(リールアウト)がその最後に上映したのは、今いちばん上映場所を持てないでいる日本映画、しかもドキュメンタリーだった。大阪の知的障害者、李復明(リ・ブーミョン)さんを撮った『自転車で行こう』が福岡市天神のシネテリエで7月に公開されることになった杉本信昭監督の『蝶が飛ぶ・森』一九八七年と『蜃気楼劇場』一九九二年。
蜃気楼劇場』は「維新派」という大阪の演劇集団が東京で行った「ジャンジャンオペラ-少年街-」の公演記録という形をとっている。旧国鉄の汐留跡地、二〇〇〇平米もの敷地に高さ25メートルを超す巨大な舞台を出現させ、公演し、そして解体し終えるまでを、主に建築スタッフに添いながら撮っている。
六〇年代半ばに形を取り始めた新しい演劇の形は、四〇年経って様々な変奏を生みつつも、テント公演、仮設野外劇場という、膨大なエネルギーを必要とする形式を手放さずにいる。既成の予定調和空間を出て、仮設の一回性に賭ける、時代や空気を丸ごと抱え込む

東京に空き地を借り、そこに二ヶ月住み込んでセットや装置(ほとんで街そのもの)をつくりあげ、上演会場に運んで、コンクリート基礎を敷きつつ組み上げていく、二〇数メートルも及ぶセット。過酷な条件のなか、ほとんど職人的な作業を進めつつ彼らはてきぱきと楽しげに進めていく。
今ここといった現場性を手放さないことが


映画美学校in福岡
飯岡幸子『ヒノサト』他

 映画美学校出身者のドキュメンタリー作品の特集が、REEL OUT(リールアウト)で行われた。宗像市出身の飯岡幸子を含む六作品で、参考上映という形で是枝裕和監督の『彼のいない八月が』も上映。
 最近の若い作家のドキュメンタリーの多くと同じように、ここでも家族などの身近なものが対象に選ばれている。カメラを向けやすいというだけでなく、自分にとってリアルでありきちんと感じ取れる場でもあるからだろう。そうしてそこから入っていって、今という時代を掴みたい、世界を理解したいという切実な思いに貫かれている。
 『ヒノサト』は、画家であり教師であった祖父の作品が残されている場所を巡りながら、彼の暮らした町、見ていただろう山や田園を撮しとっていく。差し挟まれる日記の断片がその人と時代も浮き上がらせる。静止した絵画的な構図のなかにおさまる風景、でもそこを今を生きる人が横切っていき、光は差し込んでくる。親密さに満ち、緑の樹々なかを吹き抜ける風が皮膚に感じられるほどなのは、祖父の残したタブローのなかにいた少女もまたその風と光を抜けて今に至っていることが重なっているからだろう。
 長谷川多実『ふつうの家』は解放運動に邁進してきた両親、特に父親との、カメラをとおしてのシビアで愛情溢れる対話になっている。あまりにも違う時代や環境を生きてきた親子は、時には涙でことばにつまりながら、とまどい打ちひしがれながらも父と娘として会話を続ける。フツーなんてどこにもないこともみえてくる。
 「新しい教科書を作る会」会員の父親とのやりとりをコミカルに辛辣に描いた清水浩之の『GO!GO!fanta-G』も家族の窓を通して広がっていこうとする。
 積極的な自主上映活動を続けてきたREEL OUTは、残念ながら六月十二、十三日の杉本信昭特集が最後の上映となる。 


ドキュメンタリーの現在--ありふれたことがらのなかから

 先日の福岡市総合図書館ホールでのイメージフォーラム・フェスティバルの上映作品にも含まれていたし、映像教育機関の卒業制作などでもドキュメンタリー映像をみる機会は多く、その生々しいまでの力に引きつけられるけれど、いったどこからその力は生まれてくるのだろうか。これまでの、社会の現実を見据える、真実をニュートラルな視点で切り取る記録映画といったものとはかなりちがっている。
 ヴィデオやDVDの機材が簡単に手にはいるようになって、映像による表現のすそ野は急速に広がっている。フィルム映像と比較にならない低予算で、多様な試みができる。手軽だから自在に扱えるし、長々と撮り続けることができる、それが凝縮力を欠かせることがあるにしても。中国にもみられるように実に様々な人が、今まで考えられなかったような対象を撮り始めている。ドキュメンタリーという概念それ自体も変化していく。
 そういうなかで、自分を表現しようとする、「自分探し」とも言われた、自身のアイデンティティー確認に向かった若い表現者も少なくはなかった。『につつまれて』(河瀬直美)、『ファザーレス』(村上雅也・茂野良弥)、『アンニョンキムチ』(松江哲明)、『ふつうの家』(長谷川多実)=写真、などでも、身近な関係から出発し、肉親や出自を探り、それらを問い返す形で始められている。撮る側の甘えや怒りも含んだ激しい肉声をカメラの側から直に投げかけていくから、撮る側の存在も剥き出しになり、画面のなかに取り込まれていく。撮られている対象も、身近な場からの追求にあたふたしつつも、既成のことばでのおざなりな対応でなく、嫌でも真摯に受け止めて共に考える姿勢になっていき、驚くほど率直な表情や声が返ってくる。撮り始めた側が自分も振り回されながら、表現するという立場すら捨てて対象に迫りのしかかり抱きついていく、そんな噴きだすような切迫感によって掴み取られたものなのだろう。
 方法論がないとか、私的に過ぎ社会性を持たないといった批判もあるけれど、わたしたちがほんとに自分の抜き差しならないこととして感じ、持続して考え続けられることがらは限られている。そこから始めて手放さず、少しずつ進めていくしかない。
 七月二日から始まる第一八回アジア映画祭でも各国のドキュメンタリーが上映される。


偏見、差別、ことば

福岡市総合図書館ホールの「イメージフォーラム特集」、それに前回もふれたリールアウトでのドキュメンタリーでは、社会的な偏見や差別を扱ったものもある。またそれとも重なるけれど、監視台や監視カメラを使っての監視、管理ということをとおしての「権力」の発生と行使の問題もでてくる。
そういうときに、例えば「彼のいない八月が」ではエイズセクシュアリティの問題がでてくるけれど、そのことばと切り離せない
社会的な偏見や差別は、現在のわたしたちの社会が(共同体といってもいいのだろうけれど)創っているものであり、それは「歴史」的で、絶対的なようにみえても、結局はそういうあり方を生みだしているのはわたしたちの全体としての観念であって、つまりそういう考え方を全体で選んだということだろう。だから時代や地域が変われば消えてしまうし、まったくちがうものが生みだされてくるのだろう。
そういうふうに考えると、すでにわたしたちのまわりにあって、わたしたちを縛っている差別や偏見(それへの肯定否定は別として)は、その差別や偏見をさす、またはそれを現前させることばによって多くの部分は支えられているようにもみえる。民族や出自に関しては「歴史」性、セクシュアリティに関しては「生物学」的前提が絶対的な前提としてあるようにみえる。でもその「歴史」も「生物(科学)」も現在のわたしたちが選んでいる考え方の型で全てを(時間や空間も)みるなかで、常に創られ続けているものだともいえるかもしれない。そうであるならば、絶えず偏見や差別を具現化してしまう、そういうものを指し示すことばを捨てることで、偏見が再生産されることから少しでも離れることはできないだろうか。
根本的になくさなければいけないとか、表面を隠すだけだといわれ続けて、差別や偏見の事象ひとつひとつに対抗反対がなされてきたけれど、それはほんとになくすことに(つまり存在しない)ことへと繋がるものだったのだろうか。


三里塚 辺田部落』 小川紳介監督

新しい共同性へ
 ドキュメンタリー映画特集が福岡市総合図書館ホールで開催され、小川プロが撮り続けた一連の三里塚農民による成田空港建設反対闘争の映画のひとつ『三里塚 辺田部落』(一九七三年)も上映された。強制執行の後、闘争は長期化し、牧歌的な農村風景のなかに展開される非日常的なことがらの連続のなか、でも日々の農作業、西瓜の収穫、季節の催しごとや祭り、稲刈りなどは維持され、くり返される。
 激しい闘争と人々を追い続けていた映画は、ここでは村落内の会合の長い沈黙や気づかいも写し撮りながら、次第に地域の行事も含めた農村の生活そのもの、個々の人たちをみつめ始める。それは政治的なラディカリズムを映画としても担ってきた小川プロのまなざしが、温かい懐でもありまた厳しい軛でもありうる地域共同体そのものへと向けられていくことに重なっていて、後に小川プロが山形へと移り、「闘争」的でない作品を撮り始めることにもつながっていく。
 地域共同体や家族が崩壊し、<個>という概念が異様に肥大し、今や体(性)も命も個の可処分物だと言いつのるところまで来てしまったようにみえる。しかし人がバラバラの個として、他者を排しつつ生きえるわけはなく、<個>という概念も含めた近代の創りあげた考え方が大きく変わりつつあることの表れでしかないだろう。
 共同で生きていくしかない人が持ち続けてきた愛とか慈しみといったものが、今までの家族や共同体といった形としてでなく、ちがうものとして現われてこようとしている。この映画の人たちのように、わたくしたちも絶えずいろいろなことを選びとりつつ生きていくわけだけれど、その選択の幅は思っている以上にずっと自由で広く可能性に満ちていると思う。楽天的にすぎるのかもしれないけれど、フィルムに定着された人たちをみていると、この勁さや豊かさを人は生みだしてきたんだ、今もその力はどこかに保たれているはずだと思える。・・・・・・・・・・・・・・他にも『不知火海』、『旅するパオジャンフー』、『老いて生きるために』等を上映。


スーパーサイズ・ミー

巨悪に立ち向かう正義の騎士たち
 マイケル・ムーアジョージ・ブッシュを攻撃するように、この映画の監督モーガン・スパーロックはファーストフードの巨大カンパニー、マクドナルドに立ち向かう。彼らは命を賭け、体を張って、データや数字、インタビューや記録映像を駆使して闘い続ける。そういう率直で強い対抗が存在することが、アメリカ合衆国の健全さを示すとも言われてきたが、ついてまわるこの違和感はなんだろうか。
 肥満の原因としてマクドナルドを提訴して棄却された少女たちへの裁判所の文書内にある、食べ続けることの影響は証明されていないという部分に刺激され、監督は三十日間、毎日三食、マクドナルドで買えるものだけを食べ続ける実験を始める、実験台は彼自身。過食、極端な肥満、食べ物への敬意や愛を全く失った現代が剥き出しになる。
 三人の医者の監視の下、一日五〇〇〇カロリーにもなる高脂肪食によって、体重の急増、肝臓の異常、コレステロール値の高騰、精神的不安定などが起こるなか、果敢に挑戦し続ける監督。医師や教授、社会活動家による否定的インタビューが挿まれ、学校や給食にも進出して、子どもたちに圧倒的な影響を与えているファーストフードや甘い清涼ドリンクなどの巨大食品会社が攻撃される。
 音楽をつけ、ユーモアと真摯さを交互に繰り返して刺激し飽きさせない構成をとり、わかりやすい批判や攻撃、専門家による統計数値を使った解説、普通の人々の本音、無垢で無知な子どもたちなどが、編集によってひとつながりに効率よくまとめられていく。しかしその向こうにある生活、望ましい食事や栄養、ましてや良質のタンパク質や新鮮な野菜なんて考慮もできない貧しさや環境、テレビも含めた圧倒的なメディアの影響に曝された自立できようもない生活は取り出されない。
 巨悪に対抗し、抗議の声を上げ力を組織して攻撃し闘い続けることが、社会をよくしていくという信念が常に底にあり、それは正しくみえるし、それ以外の方法を誰も即答できない。しかし、緻密に分析し数値を掲げ効率よく、<正義>を掲げ、強さで押しとおそうとする発想そのものは、彼らが対抗している相手と全く同じであり、そういった考え方が米国や世界を今のような場所に連れてきたのではないだろうか。現在の在り方をほんとに考え直すのなら、わたくしたちは血肉化してしまっているそういった発想の型そのものを徹底して問い返し、そこから抜け出ていくおぼつかない闘いを、方向すら見えないまま自分ひとりで始めるしかない。福岡市、シネテリエ天神で上映中。


ベルリン・フィルと子どもたち

弱さへと集中する世界の歪み
 二〇〇三年に行われた、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による、音楽と二百人を超す子どもたちのダンスからなる教育プロジェクトのドキュメント。芸術監督サイモン・ラトル指揮によるストラヴィンスキーのバレー音楽『春の祭典』のリハーサルや、共演した8才から20才くらいまでの約240人もの年少者によるダンスの練習風景が続き、間にそれに関わった人々への長いインタビューが挿まれている。緊迫感やおかしみもある生き生きとした練習過程そのものや、成功した公演の力強さも刺激的だが、そこに浮きあがって見えてくるのは、この困難な時代をやっとの思いで生き延びていく子どもたちの、そしてそれをとりまく大人たちのささやかな、でも諦めることのない物語でもある。
 内戦で両親も親族もなくしアルジェリアから奨学金を頼りにひとりでドイツに来た聡明で孤独な少年、シニカルなことばやふざけた態度で自分をガードしつつ、すがるような目でまっすぐに見つめる少女、貧しく複雑な家庭に育ち今も劣悪な環境に放り込まれ、心身共に問題を抱え込んでいる子どもたち、なんとかしてそういった子どもたちの側に立とうとする教師、大人たち。映画のなかでも、誰もが傷ついたり挫折したりしながらも諦めずに何かを求め、でも多くは望まず、ささやかな自分と世界の幸せを夢想している。
 いつの社会でも最も脆い部分に重圧がかかっていく。世界の悪意や憎悪が柔らかい部分に向けられるというだけでなく、人々の無意識の圧力も、世界の構造の仕組みとしてどうしても弱い環へと集中してしまうからだろう。これまでもそういう在り方だったけれど、全体でバランスをとる力を内に持ち得てきた。今、多様な役割を持つはずの<弱さ>や<異質さ>が全くの負の要素として否定され、隔離・排除され、社会の構造それ自体が悪意に拮抗してバランスを取れないまでに歪んでしまっている。そういうなかで生きていかなければならない子どもたちのつらさだけでなく、その他の障害者、貧困層、女性、マイノリティ等々の難しい状況にある人々にも思いはつながっていく。

 


戦争反対では戦争はなくならない。それは無力だから、ことばでは何もできないからという意味では全くない。戦争をなくす戦争ということが、主観的な思いこみや欺瞞でしかないことを言いつのるのでもない。
現在戦争と呼ばれているものを考えようとする時、それを戦争そのものをすでに<在る>もの、<概念>として発想し始める限り、それは戦争を行うのと同じ発想の型のなかに入ってしまい、その範疇で出発し終わる
まったくちがう発想、観点はでてこない
同じ顔をしている


新たな映画との出会い2005

生きることを見つめて
 二〇〇四年は実験映像などの上映会場REEL OUT(残念ながら活動停止)でみた映画から始まり、『珈琲時光』、『息子のまなざし』などの作品と出会うことができたが、なんといっても、九時間のドキュメンタリー『鉄西区』(王兵監督)は圧倒的だった。中国の現在と人々が、きっちりとした細部とがっちりした全体として描き抜かれていて、小さなデジタルビデオカメラ一個で、世界が丸ごと掴めるのだと教えられた。
 映画学校の卒業制作や「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」等のフェスティバルでのドキュメンタリー作品の力にも惹きつけられた。家族や地域へのささやかな視点から出発することだけが、<弱さ>とか狭さこそが、世界を掴むための唯一の可能性ではないかとさえ思わせられた。わたしたちが持ってしまっている、よりよくしなければという発想や向上心そのものが、世界をこんなふうにしてしまったのではないか、<善>や<正しさ>の追求でなく、先ずそういった概念それ自体を問い直すことから始めなければならないのではないか。
 DVDなどでみたものも多く、アニエス・ヴァルダ監督『落穂拾い』(二〇〇〇年)もそのひとつ。フランスでの、田園の落ち穂拾いから、都市で生ゴミも含めた捨てられたものを拾い食べる人までが撮られ、人の勁さ・弱さ、頑なさ・柔軟さ、そしておかしさや哀しさが重層的に見えてくる。
 年の最後にみたのは、布団の打直し、下駄の鼻緒といった日常生活の描写に満ちた小津安二郎の『麦秋』(一九五一年)。『東京物語』と対をなしていて、バラバラになっていく家族を都市部の息子夫婦世代の視点から描いている。戦後六年、帰還しない息子・兄を慕う母と妹はラジオの帰国者情報゛尋ね人の時間゛をかすかな期待でまだ聞いている。
 戦争というものがその過酷で悲惨な現場だけでなく、何世代にもわたる深い傷を与えることも、もっと真摯に考えられるべきだろう。戦争や闘い、競うといったことそのものをもっとリアルに感じ考え、生きることを、人を、改めて丁寧に見つめ直すことから始め、そうしてその地点に繰り返し立ち戻らなければならないことを、映画も静かなことばで語り続けている。


東京物語小津安二郎監督


ありふれて深い生のかたち
 今年も暮れようとしている。人為的な区切りだけれど、人々の培ってきたこういう知恵に救われることもある。年を忘れるという形で、抱えていくにはあまりにも難しい辛いことがらを、力を再び取り戻せるまで、去年へとそっと押しやり折り畳み、巡ってくる新しい年へと思いを馳せる。二〇〇四年の師走、小津安二郎の常に新しい「旧い物語」のひとつ『東京物語』(一九五三年)が上映された。
 戦争が終わって8年、帰還しない息子を、夫を、思い続ける母と妻。それは強引に死者を忘れ今を生きることで突き進む戦後という時代への哀しみとささやかな抵抗でもあるのだろう。過酷な戦争のなか、生と死の分水嶺はどこにあったのか、今ここにいる自分と、喪われてしまった人とを分かつものはなんだったのか。そういう問いを繰り返しつつ、生き延びた自分が負わなければならない死者への責務を誰もがまだ考えようとした時。
 自分にとってもっとも切実であり、より明確に感じ考えられることだけを、愚直なまでに真摯に掴み描き続けた小津の、新しい時代への決意と諦めが正面からはっきりと語られた映画だろう。老夫婦が訪ねる、東京で「成功」した子どもたち、そこでの齟齬や寂しさ、喜び。帰郷直後に老妻は亡くなり、葬儀でもう一度家族は顔を会わせる。生きていくのはたいへんだから、丁寧に時間をかけてつながりをつくりあげることはしたくてもできないんだと、そそくさと席を立つ人々。穏やかな尾道の港の風景から始まった映画は、静かな光り溢れる港の情景で終わる。
 もう半世紀以上も前の映画であり、実に綿密に描かれている生活の細部のなか、例えば水枕や氷嚢とかのように消えていったものも多いけれど、でも生そのものは全く同じままにしか見えない。古き良き時代とか、自然への回帰といったことでなく、人の営みがありふれていてそしてかけがえのないこと、あたりまえでそうして恐いほど深いことが、平板なことばでさらさらと語られていて、呆然とさせられてしまう。


フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白』

ことばの無力
 自分がいちばん強いとか、いちばん賢いとか、誰よりも成功しているとか思うことに、痺れるほどの快感を感じる人が確かにいる。そういった価値観は時代や状況、つまり考え方や見方によってまるで変わるものだという相対的な冷静な視点を持たないと、例えば国家予算に関わる人間が自分が国家をつくっていると錯覚してしまう滑稽さに落ち込んでいく。巨大であればあるほど、それを動かしている自分という思いこみも巨大化する。わたしたち誰もが、そういった思いこみに巻きこまれてもいる。
 アメリカ合衆国は異様に見えるけれど、今の世界を貫いている考え方のひとつの凝縮された形であり、現在の世界のシステムの原形となってしまっている。誰もがそこからうまく抜け出せなく感じてしまうのは、その強引なシステムの強制に抗うことの困難を思い、効率性や即効性の魔力に引きずられるからだろう。そういったこともまた相対的なこと、しかもかなり短いタームのことだと思いつつも、眼前に瞬く間に広がる富や力の進行に同調し取り込まれてしまう。とり残されることの不利益だけでなく、もっと根源的な、ひとりになる恐怖が人を駆り立てる、どこまでも際限なく。
 『フォッグ・オブ・・・』はケネディ、ジョンソン大統領の下、ヴェトナム戦争時の国防長官だった、ロバート・マクナマラへのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー映画。嫌になるぐらいあくの強い人間ばかりでてくるのに、社会的役割(役職)を剥ぎ取った後の顔が漠としていて、どこにも個としての、誰かが誰かに向かって発するほんとに切実な、生のなかで掴まれた唯一のことばや表情がみえない。
 頻発される理性(rationality)ということばは、人が歴史のなかで培った生きる知恵のことでなく、システムのなかでいかに的確に分析判断しいかに効率的に説得、獲得するかの能力のこととしか聞こえてこない。だから、人は何度も同じ過ちを犯し、過去からすらけして学ばない、人の本質は変えられない、好戦的で常軌も逸脱してしまう、戦争がなくなると信じるほどわたしはナイーブではない、といったことばも、何かの引用みたいにしか響かず、長い時と苦悩、諦念が生んだ、かろうじて個から個へとだけ届く声には聞こえない。


らくだの涙


平原を渡る風 喪われていくもの
 モンゴルが描かれた映画としては、広大な平原、ゆっくりと移っていく太陽、その下をひとり機材と共にらくだで巡回する、映画と観客を愛する移動上映技師を撮った『ゴビを渡るフィルム』が思い起こされる。
 今回の『らくだの涙』は平原でらくだを飼い羊を育て、パオに4世代で暮らす家族が中心になっている。あたたかで強いつながり、平原での厳しい生活が生む生気に満ちた表情。薪を集める曾お祖父さんがらくだにまつわる神話をひとつ語って映画は始まる。できごとをそのまま記録したフィルムと、本人たちに再度演技してもらったフィルムとで編集してある。
 かけがえのないものとしてどんなに残念に思っても、過ぎて去ってしまうしかない、永遠に懐かしいおとぎ話にも見えてしまう世界だけれど、そこにある動物やミルク、子どもの匂い、毛皮の感触、砂、日々の暮らしの細部、そうしてその重なりがつくりだす時間の厚みはくっきりと写しとられている。
 その年の最後に生まれたのは白いらくだで、難産だった母らくだは子どもを疎み、乳も与えなくなる。時として起こるらしいそのできごとに、一家は音楽による治療で対処しようとする。街までらくだを駆って馬頭琴の先生を呼びに行くのは子どもたち。無口でしっかりした兄、やんちゃで歌も歌う弟、まるで童話の世界そのままに。
 そこにも「新しい」時代の荒波は押し寄せ、牧歌的なきずなは消えつつある。最後に、弟に一家全員が押し切られたのだろう、とうとうテレビがパオにやってくる。体ほども大きなアンテナを調節している兄に、なかから「きれいに写ったよ」と弟が叫ぶシーンで映画は終わる。どうなるのだろう。喪われたら二度と手に入らないだろう、過不足のない完結したある生の形は消える。そうして「グローバル」に蔓延し続ける、人をけして満足させない飢渇感やさっと取り替えのきく表情、つまり無表情に、全てはたちまちに覆われていく、のだろうか。わたしたちはもう映らなくなった鏡にただ問いかけるしかない、「鏡よ鏡・・・・」。

 

 

 モンゴルの映画というと、乾いて広大な平原、ゆっくりと移っていく太陽、その下でたったひとりで機材も全て抱え、バイクで移動映画の巡回にまわる、映画を愛し映画を愛する人を愛する、上映技師を撮った『ゴビの砂漠』が思い起こされる。
 その時の乾いた空気、人なつっこい人々の表情は今回の『らくだの涙』にも溢れている。平原でらくだを飼い羊を育て、パオに4世代で暮らす家族。あたたかで強い家族のつながり、労働、長い長い平原での単直で厳しい生活が生む、穏やかで生気に満ちた表情。
 書き割りの舞台装置の前でおどけたしぐさで始められる芝居のように、曾お祖父さんがらくだにまつわる神話をひとつ語って映画は始まる。今までのドキュメンタリーとはちがやり方でつくられていて、実際に起こったことを記録したフィルムと、本人たちに再度演技してもらったフィルムとで編集してある。
 かけがえのないものとして、どんなに残念に思っても、もう過ぎて去ってしまうしかないこと、永遠に懐かしいおとぎ話にも見えてしまうけれど、そこにある動物やミルク、子どもの匂い、毛皮の感触、砂、日々の暮らしの細部、そうしてその連なりが創る厚い厚い時間の重なりはくっきりと写しとられている。
 その年の最後に生まれたのは白いらくだで、難産でもあり母親は、子どもを疎み、乳も与えなくなる。時として起こるらしいそのできごとに一家はらくだの治療で対処しようとする。街までらくだを駆って先生を呼びに行く子どもたち。無口で控えめな兄、やんちゃで歌も歌う弟、まるで童話の世界のままだ。街には目つきの悪い、冷たい大人もいるけれど、ふたりはぶじ用をはたし、親戚に泊まって翌日またらくだで駆け戻る。すごいなあ、そしてかわいいなあと思う。
 もちろん「新しい」時代の荒波は押し寄せ、牧歌的で平和な、あたたかいきずなは消えつつある。最後に、やんちゃな弟に押し切られたのだろう、とうとうテレビがパオにやってくる。体ほども大きなアンテナを調節している兄に、なかから「写ったよ」と弟が叫ぶシーンで映画は終わる。どうなるのだろう。喪われたら二度と手に入らないだろう過不足ない完結した表情が、つまり生が、消えることへの痛みがはしる。「グローバル」に蔓延し続ける、人をけして満足させない飢渇観やさっと取り替えのきく表情、つまり無表情に、全てはたちまちに覆われていくのだろうか。わたしたちはもう映らなくなった鏡に問いかける、「鏡よ鏡、世界でいちばん醜いのは誰れ?」。

 

 

 その年の最後に生まれたらくだは白いらくだでした。難産だった母らくだは、白い子らくだをかまおうとしなくなり、お乳もあげません。
や効率主義は  一家は乳を搾って与えたり、無理にのませたりします。腹の下に入って乳を探る子を、脚で子どもを押しのけてしまう母。みんな困ってしまいます。街まで治してくれる人を呼びに行かなくてはなりません。まだ小さな  と、少し年上のお兄さんが、らくだで駆けていきました。頼みに言った先は音楽の先生で、  の名手です。早速やってきてくれたのは、音楽の先生で  の名手です。先ず、一服。チャイをのんでから、らくだのこぶに  をかけ、風に弾かせます。それから若夫婦の奥さんが歌い、先生が弾きます。らくだをなぜながらゆっくりと歌います。らくだは落ち着き癒され、とうとう子らくだを受け入れます。喜んでぐいぐい乳を押してのむ子らくだ。酒を交わし喜ぶ一家。平原に風が抜け、陽がゆっくりと傾きます。羊の鳴き声も聞こえます。

 

 


『落穂拾い』(DVD) アニエス・ヴァルダ監督

身を屈めてつかむもの
 美術作品と図録の写真とのちがいほどではないにしても、映画とビデオやDVDもずいぶんとちがうし、映画としてつくられたものは当然にも大きなスクリーンでみられるべきだろう。でも時代や地域的な制約も小さくはないし、簡便さや繰り返しみることができるよさも捨てがたく、つい手に取ってしまう。
 ミレーの絵画『落穂拾い』から始まるこのドキュメンタリーは、畑での果実や野菜などの収穫物の摘み残し、規格外で山と捨てられた馬鈴薯、都市での家具や家電の廃棄物、さらに市場での野菜や魚肉、パンなどの食品までも拾う人たちを撮しとっていく。拾う理由や目的も様々で、生きていくためにゴミ箱を開いて拾う人、主義として、今の社会への抗議行動として拾ったものを食べて生活する人、楽しみで田園の果実を拾う人、仕事として拾って料理したり売ったりする人、海岸の養殖網から落ちた牡蠣を拾う人など多様だ。
 そうしてそういう人やできごとを丹念にカメラで拾い集める監督。彼女は老いた自分の生活や皺だらけの手のクローズアップを挟み込むことで、撮している側も映画のなかに取り込んでいく。その手に、衰退し疲弊しつつも、まだ生の勁さや喜びを抱えている今の世界の比喩を読みとる人もいるだろうか。
 カメラのぶしつけな視線にはたじろがない人たちが、でも隠しようもなくみせる、痛めつけられた者としてのつらい表情や仕草も多くを語る。この映画に、「人は狩猟動物なんだ、自分の食い扶持をそうやって手に入れているんだ」という感想を持った人もいたように、そのなかには強さや大胆さも確かにある。
 生きることはほんとにたいへんなことだけれど、でも同じくらい楽しさも喜びもある、そんなふうにもみえる。子どもの頃の「創意工夫しなさい」を思いださせられたりもする。それぞれが工夫し自助努力しつつ、大地そのものの恵み、収穫物を受けとり、都市を流動するものを拾って受け継ぎ、世界を画一化して覆い尽くすようにみえる大波に抗い弾かれ、助けあって生き延びていく、時にはほくそ笑みつつ。スクリーンに時として広がる痛々しさや怒りを覆すほどの、登場する人たちのみせるユーモアや皮肉、肯定的な姿勢や積極性、人なつっこさは、どこかで自由や希望ということばさえ思い起こさせる。だからまたみてしまう。


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サマリア

 疑うことなど思いもよらない、世界の根源的な前提条件だったはずのものがも問い返され始めた時代だからだろうか、<個>や<生>を考えさせられる映画が続いている。人はどうして死を求めたり、自分の体を売ったり傷つけたりするのだろう、といった問いが現れること自体が、すでに今までの死や体(個体)という考え方が揺らいでいることの表れなのだろう。映画のなかでは心理や性の問題として語られつつも、でもそれを超えて問いは膨らみ、そもそも生と死の境界はどこにあるのか、生(=死)とは何か、さらに個とは何かという問いがみるもののなかに広がっていく。
 スペインのアメナーバル監督の『海を飛ぶ夢』では尊厳死がテーマにあがり、韓国のキム・グンテク監督の『サマリア』では、高校生の買売春と死が描かれ、愛や性、人と人の関係、世界や生きることの意味が探られる。個と他、生と死、男性(雄)と女性(雌)などの境界が、今までの概念では捉えきれないことが浮きあがってきて、これまで世界をまとめていた、ことば=「理性的」論理による枠組みが破綻しつつある、つまりそういう考え方ではこの世界を理解できないことがはっきりしてきた、ということか。
 だから米国を中心とした、異様な個の拡大による権利の要求としての、死の自由(それは生の自由と同義だ)の追求という方向の問題とは対照的だ。そういった発想は、不十分な、未熟な生より充実の死といった、効率主義や規格主義を、自他共に求めさせることになる。障害がある生は可哀想だという代理主義や、そういう「欠陥」を認めない、完璧なものだけを求める優勢主義などに陥っていく。そうしてそれがあたかも個的な発想から出てきた、権利として抹消=消滅を要求する形にさえなっていく。


時代はそういった形で、まるで自然的な在り方のように社会的な軛を押しつけることに長けているのだから。
『海を』は実際に起こったことを題材にしていて、初めての尊厳死裁判が行われたことなども反映しており、対法律(国家)や対教会(宗教)という社会問題が前面に出てきていて、<個>や<死>そのものへの問いからは距離を取っている。
尊厳ということが、プライドや身体、脳、心の完璧でない状態を拒否する(させられる意識)をどう距離がとれるのか、考えられるのかはみえてこない。
サマリア』では少女売春そのものより、そこから派生する人と人の関係、「家族」という関係を考える方に傾いていき、過剰なまでに怒りや哀しみが爆発し続け、血と暴力が流れ、それを浄化するように水が溢れて覆っていく流れ続ける。

個が全く独立してあり、その心も体も完全に「本人」のものだと言う前提で、高校生の少女の援助交際や、尊厳死という選択がでてくるのだろうから。でも、現在わたくしたちが持っている考え方の文脈のなかでさえ、生と死の境界はあまりにも曖昧にみえる。どこからが死なのか明確な答えがないのは、脳死の論争の時にも出てきた問題だ。男性女性というのも細かく見ていくと定義は揺れ、境界は曖昧になっていくしかない。
個>というものも、身体的な個体性はおくとして、類としてみていく時、その境界は日常感じているほどにはクリアではない。

ソマリアは聖書にも出てくるあのソマリア人からとられている。
物語としての整合性や  強引なプロット  映画としての統一性みたいなものは振り捨てられている膠着しな
不思議な強い印象を残るのは何故だろう。過剰さ。
胸もひっそりしたまだ少女と呼んでもいいように見えるように映画のなかで現れるふたりの少女の強い魅力と後半の「苦悩する」父の激しさに
やり場のない怒り、どう対応していいのかわからない


ずっと水が流れ続けて、それは一方で流れ続ける血を洗い流し、人をできごとを、もしかしたら世界を浄化する願いが込められもいるのかもしれない

だからどことなく過剰で固くてでも透明な永遠性みたいな
夢のなかの風景のようなかもしれない

 

映画はときどき哀しい
2005年の映画

 今年も映画はかわらずに元気だったし、その与えてくれる喜びも尽きない。映像も(動きがなくても)、音楽も(鳴っていなくても)、ことばも(使われてなくても)、溢れている。総合芸術という意味は、どれもがあるということでなく、そのどれもの持つ力、それが表そうとするものを取り込んでいるということなのだろう。だから直接には表れなくても、それが背後にしっかりと存在しているのが伝わってくる。
 映画は具体的な人やものが出てくることが多いから印象も直接的で、でも演劇のようにその場には人はいないので、距離がとれてじっとみつめることができる(それが愛することであり奪うことでもあるのだろうか)。映画館やホールでみることが多いから、暗い空間で大勢の人と共有することで生まれ、増幅するものもある。
 単館上映館、例えば福岡市ではシネテリエ、パヴェリア、シネリーブル、KBCシネマ等での独自の選択による様々な作品の提供。アジア映画祭、アジアフォーカス福岡映画祭、イメージフォーラム・フェスティバル、PIAフィルム・フェスティバル等の映画祭やシネクラブ、実行委員会による上映。それに、フィルムの収集を行っておりアジア映画のコレクションがある福岡市総合図書館ホールの特集を中心にしたプログラム等、今年も盛況だった。
 なんといっても今年は、上映後立ち上がれないほどにも全身へズンとのしかかってきた『亀も空を飛ぶ』があったけれど、映画についてのコラム「文さんの映画をみた日」で紹介できなかったものにも強い印象を残す作品は多く、やっぱりドキュメンタリーに心惹かれる映像が多かった。また作家やテーマ別でのまとまった特集上映によっても、そ映像や作家への愛や理解は深まった。60年代のフィルムと現在の映像とで在日韓国人母を描いた『海女のリャンさん』、米国の性と家族の一断面を切り取る『ターネーション』。ギリシアの「アンゲロプロス監督特集」、生誕100年だった「清水宏監督特集」「成瀬巳喜男祭」等など。
 そんなふうに映像、ことば、音楽が重層化したものが二時間に凝縮され、緊張のなかで上映されるから、伝えられようとすることが、受けとる側の思いもかけない深みにまで届き、人を大きく揺すり、長い余韻を残していく。だから、語られる、世界の真実、みたなものに直に触れてしまうこともあって、生きることや人と人のつながりの哀しさが苦しいまでに浮きあがってくることもある。もちろん喜びや輝きに全身が包まれる時もあるけれど。