菜園便り355 アオジの死

菜園便り355  
2月29日  そしてまた、鳥の死

 海側玄関の横の水瓶に、また小さな鳥が浮かんでいた。濡れた羽根がべったりと貼りつき、哀れに小さい。むき出しになった細い足だけがやけに生々しい色にみえる。全体は黒っぽく、暗褐色や炭色も混じり、胸から顔にかけて鮮やかなレモン色の斑点が広がっている。
 調べてみるとアオジという鳥らしい。前と同じ鳥だ。あの時はカワヒラかもしれないと思っていたけれど、ずいぶんちがう、どうしてそう思ったのだろう。
 鳥が水飲み場で溺れるなんてありえないから、屋根で倒れて、雨水と共に流されてきたとばかり思っていたけれど、少し違うようだ。朝方によく来るメジロは、少なくなった瓶の水を飲もうと淵から水までダイブしては反対側に上がってくる。径が40センチほどの瓶のなかへと羽ばたいて降り、素早く上がってくる。一瞬のことで、これで水を飲めているんだろうかと思うけれど、何度も繰り返している。そのうち中央に下がった雨樋の筒とたわむれ始める。止まるところもない筒に横向きに細い足でしがみついてはパッと離れている。
 アオジもこんなふうにしていて溺れたのだろうか。
 メジロは遊んでいるようにもみえたし、じっさい他でも楽し気に飛び回っている。なにもあんなふうにまでしなくてもどこででも水ぐらいが飲めるだろうと、不思議な気持ちにもなる。でも周りを見回してもどこにも水たまりはなく、果てもないように海が広がっているだけだ。本気で水を飲もうとしていて、慣れないアオジは水に落ち、湾曲したカメの内側であがいているうちに潰えたのかもしれない。あわれだ。
 平たい入れ物を探して、妙にモダンに淵を切りとった花器を見つけ、雨水を張って瓶のそばに置いた。すぐにメジロが飛んで来て遊んでいたけれど、渡りする野生の鳥は、警戒して近づかないかもしれない。
 鳥の死のすぐ後に、中学時代の武藤先生の訃報が届いた。担任で体育の先生だった。日体大ラグビー選手で、全日本にもでていたと聞いていた。当時の中学にはラグビー部はなく近隣の高校で教えていて、花園にも行った、優勝したという人もいた。
 葬儀も、弔辞をはじめ体育会系が中心で、短かった教員時代に2年間だけ関わったぼくらは先生にとってはなんでもなかったのかと思わせられた。数年前、古希のお祝いでのクラス会では、あまりに弱られていて愕然としてしまった。強い人は体もそう簡単には衰えないから、いっそう痛々しく感じられる。
 もう半世紀近く前、大学入学が決まった直後、数人が集まって先生が始めたスポーツ関係のお店に行き、いっしょにボーリングをした。ボーリングも生まれて初めてだったけれど、それよりその後先生がみんなを中洲のロシータというメキシコ料理店に連れて行ってくれたことは忘れがたい。メキシコ料理といったものを知ったのももちろん初めてだし、そういうレストランに行ったのも初めてだった。
 ちょっと気取って兄のジャケットを借りていったけれど、そういうぼくをみて「お前はてんぷら学生になるな」といわれたことも覚えている。かっこばかりで中身がない軟弱な学生、ということだろう。
 当時はいわゆる学生運動の最末期の熱狂のなか、全国の大学で全共闘運動が一気に燃え上がり消えていった時期で、のんびり学生をしてはいられなかった。いろいろあって、これからは軟派でいこうと決意したりしたけれど、最初から呑気な学生生活だったらどうなっていたろうか。到着点は同じでももう少し穏やかな歩みだったかもしれない。
 鳥を葬った後、そんなことも思ったりする。