映画評「風車」、「水平塾ノート」他

映画評(西日本新聞「風車」、「水平塾ノート」他)
侯孝賢の少年
 今年のアジア賞グランプリ受賞を記念して侯孝賢ホウ・シャオシェン)の1980年代前半の映画が回顧上映され、彼の自伝的シリーズのひとつといえる作品『風櫃(フンクイ)の少年』(83年)を観ることができた。澎湖諸島の小さな町、風櫃の゛不良少年゛たちの物語。高校を中退し、バイクを乗り回し、玉突や喧嘩に明け暮れるような毎日の、家族との関係も当然のようにぎくしゃくしている少年たち。苛立ちがつのるように、喧嘩や諍いも拡大し、怪我や警察沙汰が続いた後、3人は大都市高雄へと家出する。
 侯孝賢の映画に顕著なことだけれど、喧嘩も含め集団での姿や動きは実にリアルでみごとだ。喧嘩のせっぱ詰まった、でもどこかいい加減でもある、恐さやおかしさが、くっきりと写されている。苛立ちや反抗は、大人になる前の通過儀礼でもあるのだろうが、彼らの場合にはいつもどこかに徴兵という薄暗い影が被さっている。それはこの映画に描かれた時代の台湾という国の閉塞が落とす影でもあるのだろう。成長し、生きていく途上で、ほとんど暴力的に何かが中断されること。しかもそれはけして単なる儀式ではなく、当時の中国や世界という具体的な要素をいつも抱え込んでもいた。
 滑稽で切実で、そうしてどうしようもなく切ない思春期の少年たち、まだ余分な筋肉も脂肪もない、すらりとした自由さが、時代と場のなかで、ありきたりのそしてかけがえのない一度だけのひとりひとりの姿として過不足なく描きだされている。(舞座)
 

40年目の『にあんちゃん
 「在日」というタイトルの映画が福岡で上映された。在日韓国・朝鮮人の戦後五〇年史を凝縮したドキュメント・フィルム。Ⅱ部からなっていて、前半は様々な過去の映像も使いつつ新しい視点の戦後を浮かび上がらせる。後半は一世から三世までの六人が取りあげられ、最後が『にあんちゃん』の作者、安本末子の娘の李玲子さんで、母の暮らした佐賀の肥前町大鶴炭鉱跡を訪れる。一九五八年頃ベストセラーになったこの少女の日記のことを今どのくらいの人が知っているのだろうか。今村昌平監督で映画にもなり、その方で覚えている人もいるかもしれない。
 大鶴炭鉱は五七年頃には廃鉱になっており、だから今は炭住も何も残っておらず、草木に覆われた丘が海に向かっているだけだ。母の同級生だったという役場の職員に案内されながらゆっくりと歩く李さんが写されている。
 「にあんちゃん」を読み返してみると少女が以外に勝ち気なことや、一〇歳になるかならないで、生きることを見とうしてしまったような鋭いところもあって驚かさるが、かつて想像のなかで作り上げていたのは、李さんような一見か弱そうな少女だった。あの日記が今も胸をうつのは、貧しい生活や学校のできごとをとうしてあの時代がくっきりと浮かび上がってくることと、少女の向こうにいつもいるきょうだい、とくに長兄と姉の、今では信じることも難しいような優しさと誠実さだろう。郷愁としてでなく、今も人のなかに確かにあるはずのそういう優しさや強さを、どこでどのように「再発見」できるのか、それもこの映画の残した問いのひとつだろう。<舞座
 
まひるのほし 生きること、表現すること
 あの名作『阿賀に生きる』の佐藤真監督の六年ぶりの第二作めにあたる作品『まひるのほし』。新潟の阿賀野川流域に三年以上住んで、畑仕事をしながら少しずつ関係をつくり、撮影した『阿賀に生きる』とは出発や作り方もちがっていて、だから一作目のあの圧倒するほどの密度の濃さや、人を無言にさせる深い静かさは直接はでてこない。そもそもああいった静かな日常の表情のなかに、世界の本質とでもいえる、単純で無限な奥深さを取り出してみせたことのほうが信じ難いことであったのだろう。映画の重要な環である「水俣病」に関しても、病気やその患者を対象化して分析することではなく、病気そのもの、公害そのもの、この社会そのもの、さらには人そのものへと視線は向けられ、深まっていた。
 『まひるのほし』では「障害者」と呼ばれている人たちの「美術(アート)」と名づけられている活動をドキュメンタリーとして撮りながら、監督やスタッフ自身がそういったことがら自体への疑問を持ち、考え込みながら、映画という表現としてたちあげていく過程も映画に重なってみえてくる。
 登場する何人かが創造する表現は、そのまま現在の「美術」や「現代美術」にぴったり重なる、または重ねられてみられてしまう。それを「美術」作品として感嘆し、また表現として心揺さぶられつつも、「障害者」と彼らを取りまく人たちの関係や営為をゆっくりと距離をおいて見ていこうとする。そこでは個々の事柄としてでなく、映画全体として、人の不思議さやおかしさ、そしてその勁さ、生きていることの喜びが、当然にある苦しさや暗い面を陵駕して広がる。父親が語る、西尾繁さんのお母さんのできごとが画面のなかでぷつんと切れるとき、それは聞く人のなかに終わりなく響き続けるものとして残るだろう。人が持つやさしさや強さ=弱さということの複雑な重さ、さらにはあたりまえさを知らされる。
 見ていくうちに、「障害」とは「美術」とは何かという問いがみえてくるし、それから当然にも「人」とは「生きる」とは何か、といったありふれたでも根元的な問いへとつながっていく。私たちが生きているこの時代や社会のねじれにも思いはつながる。「障害」も「美術」と呼ばれる表現も、私たちの社会にずっとあったものであり、それを含みこんでしか社会も私たち自身もなりたたないこと、「障害」と名づけて自分の外におくことの異様さやおかしさをはっきりと識るしかないと。
 その「作品」で世界に衝撃や豊かさを再度送り返している彼らの表現が、「美術(芸術)」へと囲い込まれていき、消費されていくのを見るのは残念だ。その存在そのもの、その表現そのものが、今のこの世界とそのなかの私たちの存り方や狭さを照らしだすものなのに、それをもう一度現在の閉ざされた、貧しい価値観のなかに引き戻すことでしか、伝えていく手段が見あたらないということなのだろうか。色彩感覚や造形力のすばらしさとか、心をうつ真の精神性の深みとか、現代美術をはるかに越えた前衛性とかいう発想そのものが全てを失わせていく気がする。わたしたちのなかにあるありふれた、そして限りない様々な力(能力)や表現を、名づけたり枠の中に閉じこめたりしないことから先ず始めるしかないのだろう。
 

『河』 蔡明亮監督作品
 今世界で最も重要な映画監督のひとり、台湾のツァイミンリャンの三作目の映画『河』が福岡市のシネサロン・パヴェリアで公開されている。家族や性の問題を、台北という欲望溢れる大都市を舞台に描いてきた前作『青春神話』『愛情万歳』の続編でもある。ほとんど弧絶しきったと言ってもいいほどバラバラになってしまった人たちが、つながることでかえって深まってしまう孤独さえも抱え込みながら、それでも続けていく、また創っていく関係。 
 『河』ではそういったテーマがさらに突き詰められ、壮絶なまでの様相で、何ひとつ容赦せずに、中途な感傷や解釈を振り切って深められる。家族の崩壊からの癒しと再生とか、性の多様性の容認(他者としての)とか、異性愛の焼き直しでしかない同性間の恋愛というファンタジーといったことのはるか先。軽やかささえある穏やかな日常の風景と、重く鈍い湿度に満ちた暗い画面のなかで、先ず体だけが映しだされる。
 ほとんど口もきかない父、母、息子の三人。母は愛人を持ち、老いた父はゲイサウナに出入りし、息子はスクーターを乗り回して職もなく生きている。河に浮かぶ死体のエキストラをやったことから、息子の首が痛み動かなくなる。お互いの距離を再確認しつつも、父や母は彼を病院や整体や祈祷師の所に連れていく。父と息子が祈祷を受けに行った台北を離れた都市で、彼らはゲイサウナの個室の暗がりで知らずに体をあわせてしまう。
 そのあと、ふたりは宿泊しているホテルの大きなダブルベッドの端と端で背を向け合ったまま横になる。暗闇を見つめる父親の目から涙が流れる。それは父親や関係の浄化でも、映画としてのカタルシスでもなく、人として存在することそのものの哀しみとでもいったものだ。翌朝、ベランダへ出ていった息子が、息詰まる数秒の後、光のなかの画面に戻ってきてゆっくりと首を動かすなかに、世界への肯定、受け入れる勁さとでも呼べるものが見えてくる。映画の全体に散在する小さなユーマアも含め、けしてなくなることのない視線のあたたかさによって、世界や生、それに性は問い返されながらも肯定されるものとして語られる。
 甘美さとか夢だとかいうロマンティックな幻想が一切喪われた場所でも、人と人の性も含めた関係は、愛は成り立つのか。親子の間の愛は強制されるが性は排除されるのか。男と男のつながりのどこからが性なのか。答えのない問いが投げかけられる。
 この虚ろで寒々しい時代のなかでの無惨な、でもありふれてもいる在り方、家族や人々が、憎み、愛着し、振り回されつつも、でも手の中の関係の糸を、まるで当然のことだというように手放さずに、でも諦めを抱いて生きていく、そういう貧しさや不幸さえもが生や世界の豊かさを増すとでもいったように。深いところで静かに強く人をうつ、リアルな説得力を持った映画だ。
 

穏やかな人生
 暗ぐらと深く厳しい作品を撮り続けるロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の『穏やかな人生』(1997年)が、福岡市図書館ホールで上映された。奈良県の山奥にひとり住まいする老婦人をじっと見つめたドキュメンタリー。百数十年はたつ堅牢な家、柱や棟は揺るぎなく、濡れ縁の木目が柔らかく浮き上がり、上がり框は撫でさすったようにすべすべと光っている。自然や孤独の険しさに拮抗する勁さをもって、蝋燭やランプの揺れる火の下、七輪で煮炊きし、冬でも開けはなった住まいのなかに火鉢だけをおき、けしてうつむかず、かがみこまず、和裁で生計を立てながらの生活。床や畳のきしみ、時にごうごうと響く風の音、重なるソクーロフのナレーション、全てに満ちている静寂すらも聴こえてくる。 
 撮影の最後の夜、彼女は熱いお茶を両手でゆっくりと吹き冷まして飲み終え、氷解したような柔らかい表情でカメラに向かって語りはじめる。でも言葉は口からは発せられないまま、そっと折り畳まれる。そしてそこに言葉に形作られてしまう前の、深く豊かなものが溢れて満ち、伝わってくる。消費のための饒舌でもなく、切り刻まれ整然とした論旨の合理でもなく、また「言葉は嘘になります」という火急な否定でもないものとして。
 旅立つ人へのはなむけの宴として、正装した婦人が夜の座敷で自分の歌や句をぽつんぽつんと読み上げる。けして自分にも見せない孤独の痛みが、亡くなった夫への、嫁いだ娘への直接的な呼びかけとしてかいま見える。浸されるほどの生の豊かさや輝きと、その酷いほどの悲哀や苦しさが静かにさしだされる。(舞座)
 

「愛」という問い
 第14回アジア映画祭で、侯賢孝、蔡明亮といったすばらしい映像作家を生み、エネルギーに溢れている台湾の、ドキュメンタリー数本を見ることができた。二本はセクシュアリティに関わったもので、ひとつは呉輝東監督の『ハイウェイで泳ぐ』。問題を見つめ、対象と真摯に接し、肉薄しようとする。でも性というのは感受性や生理に直結し、社会と個人との関係のなかで複雑に錯綜していることがらだから、オーバーヒートしてしまう。また、対象に振り回されて、撮る側の思いがむき出しになっていき、カメラを介した撮る-撮られるという関係、そのなかでの「真実」と「演技」といったことを性急に問う方に流れてしまったりする。大学もやめ、仕事もなく、精神も病んでいるHIVエイズ)ウイルスに感染している青年が、カメラに向かって「じゃあ絵になるように泣いて苦しんでみせようか」と笑って語り始め、でも流れる涙は止まらなくなる。その虚実の実の深い哀しみが、類型的な感傷と見えてしまう残念さ。それが嘘だというのでなく、たぶんそういうやり方ではたどり着けないし、伝わっていかない問題だということだろう。そのことにどこまで自覚的になれるか、自身の生理や肉体、病理さえ、社会化されたものでしかないこととして相対化できるかどうかにかかっているのかもしれない。
 もう一本は陳俊志監督の『美麗少年』。「ゲイ」であることを家族や友人、ひいては社会に告げている(カミングアウトしている)十代の少年たち。その明るい率直さや勁さ、家族のやさしさが、゛暗い゛テーマから抜けさせ、未来への希望を伝えてきてすばらしい。しかし彼らが名づけられている「同性愛」という言葉が、異性愛というカテゴリーを生みだすために恣意的に引かれた境界線の結果でしかないことは抜け落ちていき、そういう存在があたかも不変のものであるかのように確定されてしまう。当人たちも「名のる」ことで、恣意的に創られた区分けという強制を自ら受け入れ、「同性愛者」として閉じこめられる結果になってしまう。
 性の問題では、往々にして、家族が身近な故に最も激しい抑圧者になってしまう残酷さと、「自分の子どもだから(子どもだけは)」という無条件の受け入れとが表裏の関係をなしてしまうことも、この映画から痛いほど伝わってくる(語られないことをとうしても)。その相克はどう埋められる、超えられるのだろうか。
 映画から外れるけれど、女性-男性という性別の固定化=強制への不一致感、苦痛に耐えらずに、肉体までも手術で変更しようとする過激な強さが、でもそもそも否定したいはずの性別の固定を裏からしっかりと補完してしまうとういう辛い逆説にはまり込んでしまうことも難しい問題だろう。
 「ちがう」人たちを差別しない良心や正義を語るのではなく、そもそもちがいというものが今の時代や社会のなかで創られ、無意識下で強制されているものでしかないこと、ちがうと意識する自分を問い返すことが先なのだと知るのが重要ではないのだろうか。
 
「性別」を超えて
                                                          安部 文範
 先月開催された映画特集「揺れるジェンダー、揺らぐセクシャリティ」は、フェミニズムから耽美的な゛ゲイ・ムービー゛、切迫した性への問いまで、多様すぎて混沌とした印象を残したが、それは今という時代やこのテーマの現在そのものでもあるのだろう。
 これまで堅固に思えていた様々な価値観が、その根本の所で揺らぎ始めている。社会の基盤そのものとも思えた、「個」や「家族」の概念などと共に「性別」も確固とした不変のものでないことが語られ始めている。固定された男性-女性という性別の区分けに違和感を持ち、自分の戸籍上の性別に安住できない、納得できかねる「トランスジェンダー(性別への異和)」の人へのインタビューを中心にしたドキュメンタリー「We are trance genders-性別を越え自分らしく生きる」はいろいろに考えさせられる。規範的な゛男性像゛の意識的、無意識的な強要に疑問を感じ、それを一時保留して押し返し、髪を長くし、スカートをはくことですごく安定できたと語り、でも女性になりたいというのではないし、自分を女の子だと思っているわけではないとも語る。性の異和、不安定感からどうしても抜けられなくて渡米し、そこで先ず「同性愛」の人たちのなかで考え始め、その助けを受けつつも、同性愛ではない、自身の「トランスジェンダー」というあり方を見つけて、一定の安定を得る。(それは、症例と同じで名前を見つける=つけられることで、安定することであるけれど、一方ではそこに囲い込まれ、閉じこめられるていくことでもあるけれど。)
 そういうあり方は、「トランスセクシュアル(性別の異和から性転換へ向かう)」と呼ばれている人が、手術などで自分の体の方を戸籍と別の性別に変えてしまうことと似ていて、でも大きくちがって聞こえる。社会が強制する性別に激しい違和感を持ち、それに苦しむことから解放されたいという願いが、体を変え別の性別に変わることで、最終的には、そういう否定したかったはずの性別の固定化を裏から補完してしまうというつらい逆説に落ち込むことにもなってしまうことと。
 現在、社会的に決定されている性別がけして絶対的、普遍的なものではなく、それぞれの時代や地域での共同体の制約のなかで、様々な形をとるものであり、そもそも性別という概念そのものが問い直されようとしているのだろう。「インターセックス半陰陽)」と名づけられている人たちの違和感はもっと直接的だ。現在の、二つの性という固定化の下で、本人の自覚が生まれるずっと前に、医者が中心になって性別を決定し、手術してしまう(性器機能主義から主に女性に決定してしまう)ことの暴力的なまでの強制が、インタビューのなかで語られる。「性別」という概念そのものが無意味であり、抑圧としてしか働かない場に立たされている苦痛から抜けていくには、固定化された二つの性別の区分けの上で、第3や第4の性別を創っていくという方向でなく、性別という概念そのものを相対化し、そういうことに囚われないもっと開かれた場を自身のなかに、そして社会のなかにつくっていくしかないのだろう。
 

「自分探し」を捨てて
 極小予算で映画製作ができるヴィデオが普及してアジアのドキュメンタリー映画は活況を呈し、多様ですばらしい映画が次々に作られており、その特集が図書館ホールでも開催された。「ナヌムの家」の監督によるその3部作の最後になる「息づかい」、台湾の労働争議を独特の視点で撮った「労使間の滑稽な競争」、話題になっている在日3世による「あんにょんキムチ」、民族派パンクロック・バンドの女性ボーカリストを中心に据えた「新しい神様」など、インパクトのある作品が揃っていた。
 そのなかでも、茂野良弥監督のドキュメンタリー「ファザーレス 父なき時代」は衝撃的だった。幼いときに両親が離婚し、母と義理の父との生活にもなじめず、高校も不登校になり、今は東京に住んでセクシュアリティの問題も抱える青年が、ビデオカメラと共に故郷に帰ってくる。若さの甘えも含んだ傲慢なまでの真摯さで、叫び泣きながら周囲に問いを放ち続けていく、ほとんど暴力的なまでに。文字どおり過剰なまでの愛憎対象である母親に詰問し、自分たちを捨てた実の父親を訪ね、現在の父親に抗議していく。その問いの前でうろたえ、怒り、嘲笑い、黙し、そして結局は愛ゆえに全部を受け止め、全力で返してくる親たち。そこではもう「親」という立場(社会的属性)はほとんで振り捨てられ、意味を失い、人として、愛を与えうる人としての答えが返されてくる。そういう反応をどこかで信じるから、ほとんど捨て身の、挑発的な問い=攻撃は始められたのだろう。母は自身の生き方だけでなく、性愛の遍歴や、現在の夫と赤裸々な関係も開いていき、義理の父は問いつめられるなかで、息子の苦しさや甘さ、その深さを問い返すように、自身の受けた過酷で苦痛に満ちていた差別や生を語る。「ああいうことはあっちゃいけないんだ」という父のことばの深さと普遍が、息子を、映画を、家族や地域や社会といった枠を突き抜け、人と人、心と心といった次元でのつながりへと連れだしていく。
 息子が(多くの現在の若者や人々が)探す自分、つまりアイデンティティ、何かへの帰属意識、それは現在の生きることの虚ろさや不安定さに耐えられずに呼び込んでしまう、新たな、時代や社会がつくる幻想でしかないだろう。個(自我)を確立して、世界に対峙するといった自立の幻想をも対象化し、振り捨てて、彼の母や義理の父の立つありふれて単純なそして深みの場で、同じように開かれて語れるようになれるのか、今、彼が問われ始める。