文さんの映画をみた日 Ⅱ

 

ソクーロフ『孤独な声』
呼び起こされるもの、生まれるもの

 だれもがいろんな形で映画と出会い、喜びを、興味を育てていくのだろうけれど、それは途切れることなく続いていて今もわたしたちを誘い楽しませ、豊かにしてくれる。年の終わりに一年を振り返り、最も心に残った映画といったことに思いを馳せた人もいただろうか。ぼくにとってはフランスの奥まった村落と小さな学校を描いた『ぼくの好きな先生』(ニコラ・フィリベール監督)だなとひとりごちていたけれど、12月の終わりに福岡市図書館ホールで、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の『孤独な声』(1978年)を観て、その深さにもうたれた。  
 99年に奄美島尾ミホを撮った作品『ドルチェ-優しく』もあるソクーロフの20代の卒業制作作品であり、長編第1作。同じロシアの故タルコフスキー監督に捧げられていて、圧倒的なその影響下にある。繰り返し挟まれるモノクローム映像、スローモーション、鏡、流れの下で揺れる植物、火、風、それが揺らす木々、草原。でもどこまでいってもそれはソクーロフの映像そのものだ。どこか厳しさを含んだ映像には一瞬一瞬を凝視させるような力があり、その流れとふいの中断にも引きつけられ魅了される。
 戦場から戻った若者とその恋人、父親、僧侶が描かれていて、下敷きになった小説があるのだろうけれど、その内容は詳しくは語られず、時間的にも飛躍し、複雑な歴史の流れ(17年の革命後の混乱期)や宗教もからんでいて、観ているわたしたちは小説的な物語の文脈からは振り落とされていく。でも最後まで映像・映画の内側に留まり続け、その暗さや激しさにもかかわらず全編に溢れる初々しさにも助けられ連れられ、愛や生の再生と復活にたどり着く、映画のなかでたどり着いた人々や、映画をつくることでたどり着いた人たちと同じように。たぶん物語を語る映像の力というのはそういうことなのだろう。
 そうしてまた不思議さはつのる。時代も民族もまったくちがい、歴史も重ねようもないほどに遠いのに、あまりにも人は人であり、やすやすとわたしたちのなかに忍び込み重なりあっていくことに驚かされる。一瞬の映像が、ひとつのことばが呼び覚ますものの広さ深さにも。
 今年もまたいくつもの喜びに出会えますように。

 

愛、季節、時代 - 移ろっていくもの、残り続けるもの

 大気はまだまだその底に冷たさを抱えたままだけれど、透明な陽光は真っ直ぐに落ちてきてあたりを満たし、小さく波立つ海の上を輝きながらずっと続いている。こうやって季節は、後戻りできない堰をひとつひとつ越すように移っていく。そんな光の溢れる津屋崎の海辺に立つと、がらにもなく愛とか時代とか移ろっていくもののことを考えたりしてしまう。そんななか、愛を巡るアジアの映画を2本みることができた。
 ひとつは2003年の韓国映画『ラブストーリー』。若い女性の現在進行中の愛と、彼女の母親の1970年前後の悲恋とが交互に語られる。朴独裁政権そしてヴェトナム戦争の時代。強圧的社会、絶対者の父、階層のちがいという背景、親友との三角関係、自殺未遂や雨のなかの逢い引きや列車での別れ、失明という悲劇もある。ヴェトナムの戦闘シーンが挿まれ、それを当事者として描く国だったことを改めて思いださせられるけれど、その戦争も独裁も、抗議のデモンストレーションも、ささいなエピソードのひとつになっていることに驚愕してしまう。30年が経ち、飛躍的な発展と変化があったということだろうか。そうして過去の悲恋が子供たちの世代の愛としてあっけらかんと成就することも、今という時代の要請なのだろうか。
 もう一本はタイの『ムアンとリット』。94年の映画だけれど、描かれた時代は1860年代。豊かな水と緑のなか、僧侶へのかない難い思い、女性が虐げられた時代の理不尽さと抵抗、その全てを超えて成就する愛の物語。
 過去が描かれるとき、往々にして現在の感じ方考え方でかつてのことをみていくから、単純な過去の批判や称讃になってしまい、愛や人の持っている深みみたいなものはなかなか浮かび上がってこない。個と個の近代の恋愛も、結婚や家族ということと同様、歴史のなかの性の制度のひとつにすぎないことも巧みに隠れてしまう。
 時代や屈折した関係のなかで、やっとの思いで手に入れたもの、そして喪ったもの。その流れのたどり着いた波打ち際に今わたしたちは佇んでいる。愛、はあるか?

 

息子のまなざし」- 求めること拒むこと
                 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督

 ドキュメンタリーのようなカメラの動きのなか、じっと何かを視続けている職業訓練校の木工教師の後ろ姿から映画は始まる(それをわたしたちはスクリーンのこちら側からみている。視つめるということは対象を愛することであり、また何かを奪いとってしまうことかもしれない)。視られているのはその日受け入れたばかりの少年院を出た生徒で、彼は家族ともうまくいかず木工を習いに来たのだが、実は少年が5年前、11歳の時に絞殺したのはその先生の幼い息子だった。もちろん少年はそれを知らないまま、映画は進む。
 事件の後離婚した先生は教えることに熱心で、厳しいが面倒見もよく、生徒たちの信頼も厚いけれど、事件や犯人のことをどう考え対処していいのか動揺してもいる。でも人は、そういったできごと自体を、相手を、じっと視つめることができるのだろうか、考えぬくことは可能なのだろうか。そうして、例えば相手を殺すとか赦すとかできるのだろうか。現実の様々な事件を思い起こしつつ、誰れもが目をそらすしかない気持になる。
 終盤近く、先生の詰問に応えて、徐々に自分の行った殺人と5年間の院生活を少年が材木置き場で語り始めたとき、不意に殺されたのは自分たちの息子だったと先生に告げられて少年は逃げだす。「何もしない、責めてるんじゃない」と叫びつつ追う先生が、屋外に追いつめた少年の首に手をかけ、そうして手を離して作業に戻った後、少年がもう一度作業場に姿を現す。凍えるほど孤絶して立ち竦み、混乱し、でも必死に何かを求め、震える体を押さえ、祈るように先生を視つめるとき、わたしたち誰もが少年であり、先生である。
 映画はぎくしゃくとしてゆっくり進み、ふたりの表情もしぐさも明確に何かを示さなくなる。拒絶と憎しみと愛と希求と受容とが一瞬毎に交錯しつつ、微かに揺れ、唐突に暗くなって映画は終わる。そういう曖昧で不安定な関係のなかにいること、そうしてそこから始めるしかないことを痛みのように告げながら。ひたひたと満ちてくるある思い、しかとは名指せない、何かへの慈しみ(愛といってもいいのだろうけれど)を予感しつつ。

 

エレファント
人が人を殺すこととは

 コロンバイン高校乱射事件を題材にとった映画。米国地方都市郊外の裕福な高校、校舎も生徒も荒んでなくてクリーンな、そういう意味では今でもまだ「アメリカ的な」という神話の残る場所。家族や地域、学校といった共同性もまだ形を保ち、だから制度や管理も弱くはないだろう。
 高校の日常が様々な生徒を通して描かれていく。悪意のあることば、虐め、おもいやり、食事、愛や性、ありふれたでも各自にとっては切実なことだ。時間が戻ったり、同じシーンが繰り返されて奇妙な揺れが生まれ、不安が影をさす。不意に人影の消えた体育館、長い廊下、誰もが経験のある、学校の思いもかけない暗がりを、意識すらせずに抜けていく生徒たち。明るい屋外でもカメラは距離を置いて対象を写しとる。距離は冷静さややさしさであり、また突き放す冷たさでもある。それが静かなトーンを生みだし、また冷え冷えとした皮膜をつくりだす。レンズが追う生徒たちの無防備な背中。
 殺戮シーンが手足が痺れるまでの恐怖をよぶのは何故だろう。静かに時間をかけてつくられた、緻密で説得力のあるものだからだろうか。撃つこと、弾が真直ぐに空気を引き裂いて具体的な誰かに突き刺さり、傷つけ、殺すことのリアルがわたしたちのなかのどこかに一息に繋がってくるからか。あまりの単純さへの深い恐怖もあるのだろう。
 それほど遠くない時代、圧倒的な銃器で先住民を殺戮することで始まった社会に残るけして癒えることのない傷。その傷は社会の無意識にも現れないほど深く隠されてしまっているからこそ、消えようもなく在り続けてしまう。武器や力へのさらなる傾倒と過信、それ故の力への過剰な怯えと反発が今も絶え間なく繰り返され続ける。
 異様さを察して動揺しつつも校舎に入らない方がいいとみんなを押し止どめる少年や、死んだ友人を捨てたまま離れられない少女を描き始めつつも、映画は家族の物語に収束していこうとする、銃声も炎も遙かに遠い場所へと。でも人の持つ慈しむ力が、家族という形ではもうすくい取れない時代にわたしたちは入ってしまっているのだろう。

 

鉄西区王兵監督
働くこと生きること、ただ巡り続けるように

 第18回福岡アジア映画祭で『鉄西区』が上映された。9時間に及ぶドキュメンタリー作品だけれど、三部構成で休憩もあるから休み休みみることができた。確かにとんでもなく長い、でも人生に比べたらあっという間もない、でも、世界そのものがずっしりと詰まっている。
 一九三〇年代から続いてきた中国東北部瀋陽鉄西区と呼ばれる工業地帯の崩壊と、その混乱のなかで働き生きる人々が、3年間に渡ってデジタルヴィデオに収められている。撮影もひとりでこなした王兵(ワン・ピン)監督との関係を反映しているのだろう、人々はカメラに全く動じないし、過剰な反応もない。カメラも過酷な現実にたじろぐことも媚びることもなく、とにかく前へ前へと力の限り走り続ける、爆発現場へ、立ったまますまされる食事のお椀の中へ、濁った風呂のなかへも突き進む。でもけして居丈高な暴力的な威圧や侵犯、高みからの解析はない。だから世界が、正視するのが辛いほどにもあるがままに取り出される、そうしてそれは人をうつ。
 官僚主義の無策、文化革命の影響、現在吹き荒れている世界経済と直結した嵐の下で、人々はしゃべり、働き、食べてのんで、喧嘩し、唾を吐き、風呂に入り、歌い、手鼻をかみ、反抗し、煙草を吸い続ける。映画のなかに繰り返し現れる、工場地域内の貨物車が走る軌道のように、人々は世界はただ同じ回路を巡り続けるだけだ、それが人生だというように。
 多くの工場が倒産し閉鎖し、鉛中毒さえ抱えた労働者たちは失業し、家族ごと居住区を強制的に立ち退かされる。雑然とした休憩室で繰り返される賭け事、そこかしこに暗く重い澱みがあり、それは労働者自身の皮膚にも目にも薄い皮膜として、投げやりな諦めや疲れとして貼りつき染みこんでいる。そうしてあっけらかんと勁い。
 職も家もなく、線路域での不法なこともやりつつ男手ひとつで息子ふたりを育ててきた老人は「人生は厳しい、食べていくのはたいへんだ」と嘆息しながらこうつけ加える。「結婚すらできないと諦めていたのに、ふたりもの息子に恵まれたんだ」と。7日間拘置されて出てきた父の前で酔っぱらって泣きつぶれた息子を背負い、凍った暗い夜道を老父はふらつきながら帰っていく。そんなふうに、そんなふうにして人は生きていく、そうして死んでいく。わたしたち一人ひとりに長い長い余韻を残して、人々はスクリーンから消えていく、溶暗して映画は終わる、そうしてまた巡り始める。

 

セクシュアリティを巡って ①
「オール・アバウト・マイ・ファーザー」エーヴェン・ベーネスター監督

 「第十三回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」が開催され、公募で選ばれた三作品を含む国内外の二十九作品が上映された。唯一のドキュメンタリーである『オール・アバウト・マイ・ファーザー』はノルウェーの小さな町に住む医者でトランス・ヴェスタイト(異性装)の父親を息子がインタビューしたもの。性同一性障害等と名づけられている、自己の性別に強い違和を持ち、他の性別に変わりたいという欲求を抱えている人たちの、家族や社会との軋轢は大きい。
 八歳の頃から始まった異性装への興味、結婚、ふたりの子供、異性装を否定する妻との離婚、理解してくれた現在の妻との再婚などを振り返り、「女性」でありたいと願う自分を分析し、社会的な意味での女性といったことも丁寧に考え、カメラの前でも異性装する父親。その説明に頷きつつも、どうしても家族として見てしまう息子は、「女性であり、お前の父親だ」ということばに動揺し、感情的には受け入れられない。父親は自分の内の欲求を冷静に認め、対社会的にもカミングアウトし、偏見と闘い、本を書き、積極的に行動しており、整然とした論旨は真摯だけれど、どこかで空回りし始める。たぶんそれは、現在の社会で流通している「性別」を大前提とした性に関する見方に則り、今ある家族という形を前提にして考えるかぎり行き着いてしまう地点なのだろう。彼に、変わりたいというほど激しい違和を起こさせる「性別」という発想そのものを変えない限り、「男性」「女性」という閉じられた二元論の間を揺れ続けるしかなくなる。
 何かを「非正常」と規定し、異性装や同性愛、性同一性障害と名づけて隔離する現在の社会の考え方は、異性愛を「本質」であると規定しての発想であり、その根本には雌雄(男性-女性)という性別概念が、生物学的な本質として置かれている。そうである以上、概念そのものを問わない限り、性にまつわることがらは開かれていかない。どんなに非現実的な観念論に響くとしても、「性別」というものが絶対的なものではなく、ある時代の、限定された地域(地球規模に見えるとしても)で流通している、共同体として選ばれた観念、見方であると考えてみることから、改めて始めるしかないのだろう。
 インタビューの最後に父親は、それまでの冷静さや強さを放棄するように、「いつ死ぬかわからないけれど、自分が父親を覚えているように、お前にずっと父親として記憶されたい」と涙ぐむ。ユーモアも交えた父親のことばやふるまいに笑わされつつも、息を殺すようにしてじっとみてきたわたしたちも、そこで立ち止まるしかない。残念で寂しくもあるけれど、それが現在であり、今の限界なのだろう。 

 

『自転車でいこう』 杉本信昭監督
世界の速度をすり抜け

 路地をすいすい抜けていく自転車、それを追うカメラ。このドキュメンタリーが始まると、少年のしゃべり続ける声と不思議なことばに先ず耳がいく。映像の軽快さとその自在な撮影にも興味がわく。
 自転車に乗っているのが、プーミョンと呼ばれている「自閉症」の二十歳の少年であり、李復明という名だとわかってくる。大阪生野区の福祉作業所「ちっぷり作業所」に勤め、仕事帰りに近所の「障害者」も混じる学童保育所「じゃがいもこどもの家」に寄り、あれこれもめごとを起こしつつも、愛されていることも。
 生野区にはいくつもの作業所があり、保育所があり、韓国語の教会がある。つまりそういう人たちがたくさん住んでいるということ、そういう生き方が可能だということ。そんなことを見聞きしつつ、わたしたちも考え始める。
 『「障害」とは何か』という問い、「障害」を再定義するのではなく、「障害」というものがそもそも存在するのかという根源的な問いに、わたしたちが向き合えないのは、様々な「障害」と呼ばれていることがらの「具体性」「現実」に圧倒されてしまうからだろうか。「病気」や「障害」として名づけられることで社会的な了解を受け、本人も一時的安定を得るとしても、それはあくまで隔離されることだ。
 本人自身が、名づけられることを拒み、自身の<ことば>で語り始めるしかない。それが可能かどうかは、ことばでないことばを、声にすらならない声を聴き取る力をわたしたちが持てるかどうか、取り戻すことができるかどうかにかかっているのだろう。
 それはとても難しいが、ご飯をよそえない子にやってあげるのでなく、本人にやらせようと繰り返し手伝う子のおおらかさに、すり寄るプーミョンの笑顔に応える赤ん坊の微笑みに、その可能性を信じることができる。そうでない限り、「障害者」は「知」や「身体」や「能力」の威圧の前で立ち竦まされ、そういう彼らの前で「非障害者」も立ち竦むという関係のなかに閉じられてしまい、「障害」とか「できない」とかの前提をとらえ返し、考えることができなくなる。
 撮影も自転車でだった。異様な速さで動いていく今の世界へのささやかなでもしぶとい異議申し立てでもあるだろう。(福岡市天神、シネテリエ天神で26日まで上映中。)

 

アジアフォーカス・福岡映画祭

みえない<事実>、曖昧な<真実>
 「アジアフォーカス・福岡映画祭2004」が福岡市で開催されアジアの14ヶ国27作品と、関連企画の27本が集中して上映された。低予算で制作でき、リアルな今を感じ取れるドキュメンタリーが少ないのは意外な気もするけれど、それでもマレーシア、アミール・ムハマド監督『ビッグ・ドリアン』、今田哲史監督『熊笹の遺言』などをみることができた。
 『ビッグ・ドリアン』は1987年にクアラルンプールで起こった、軍人によるライフル乱射事件を現在から語ってもらうという構成になっている。この事件は、マレーシアの民族や宗教の複雑さを反映して、極端に政治的な色合いを帯びさせられ、都市での異様だけれど突発的な個人的な事件で終わらず、一気に政府による国家統制へと繋がるきっかけにもなっていった。
 アジアの現状が語られるとき、植民地化されたことの影響が必ず語られる。圧倒的なヨーロッパ的近代の侵入の中で翻弄され、さらには国家自体が植民地にされていった歴史は、その後のほとんど全てと言っていいことがらに大きな影響を与えているのだろう。それらをリアルに感じ取ることはできないけれど、アジアの日本以外の大半の国では、オペラ『蝶々夫人』が嫌われているということすら知らずに育つわたしたちの日常と大きく隔たっていることはわかる。
 歴史を語るときの「真実」の問題や、映画にもでてくる「マレーシアでは全てが曖昧にされてしまう」といった「マレーシア(国民)性」とでもいえる地域性の問題、それに記録や映像の「事実性」への問いかけとして、インタビューのなかにプロの俳優による演技を紛れ込ませてある。それはこの映画自体とも距離をとることであり、ドキュメンタリーという概念そのものを相対化させようとする方法でもあるだろう。劇化され戯画化され、速度感やおかしみも増す。
 「籠の中の自由」ということばが何度かでてくるけれど、近代とか、国家や民族、宗教といった大きな枠組みや、政党政治や法律、さらには映画やことば、メディアといった籠にしっかりと閉じこめられてしまっているわたしたちを冷静に見つめ、解き放つ道を探る試みのひとつでもある。

 

ヴァイブレータ」/「赤目四十八瀧心中未遂
既視感、未視感の間で

 福岡市天神の同じ映画館で、主演女優が同じ寺島しのぶで、主演男優も両方に出ている映画をたてつづけにみ、しかも両方とも話題になった小説を原作にしていたこともあり、不思議な既視感や未視感に包まれた。「ヴァイブレータ」(廣木隆一監督、赤坂真理原作)と「赤目四十八瀧心中未遂」(荒戸源次郎監督、車谷長吉原作)。
 数年前に読んだ小説世界が創りだし、自分のなかに映像化し記憶として蓄えていたものとまるで同じ路地が出てくることに驚かされ、そうしてその見知った場所が、ひとつ角を曲がると見も知らぬ世界にずれ込んでしまう、すでに映像として目の当たりに見せられているにもかかわらず、まだ一度も見ていないものに思えてしまう、とでもいうような。
 小説がことばで表現しようと試みたもの(それはもちろんことばとしても明確にそれと名指せないからこそことばを積み重ねるのだけれど)、それを映像として表現しようとする映画、そのふたつの重なりと落差。すでにことばとして、概念としても成立しきっているものを、改めて視覚的な形に焼き直す、解説するといったことでなく、映像としてしか現せないものとして、新しく開いてみせる試み。
 どちらの映画も原作が紡ぎ出す物語を変奏しながら追っていく。「ヴァイブレータ」ではことばが文字としてもスクリーンの上に映しだされる。ちがう様式の表現、その間のたどり着けない距離を、ことばを直截に共有することで一息に埋めていこうとし、そのことでそれぞれの固有の力を立ち上がらせようとする。心象風景を超えて世界そのものの変容を出現させようとする映像や無化される時間軸の出現の予感が生まれ、でも映画はまるでそれ自体の生理に従うように上映時間のなかに巻き取られてしまい、結語を持つ表現として円環のなかに閉じられる。明るくなる映画館のなかに残されるわたしたちは、既視感も未視感もないこの<現実>に再び滑り落ち取り込まれていく。そこからまた始まる。

天神シネテリエで「ヴァイブレータ」は 日まで、「赤目四十八瀧心中未遂」は 日までの予定。

 

終わりと始まりと--映画との遭遇

 4月、いろんなことが終わり、始まる季節。そんな様々な出会いや別れのように、誰にも映画との遭遇や決別がある。わたしにとっての始まりの映画のひとつは「絞死刑」(大島渚監督、1968年)で、映画というのは表現なんだ(当時は「芸術」ということばだったが)と知らされた。
 小松川高校事件と呼ばれた実在の事件で逮捕され処刑された青年を題材に、彼が絞首刑後も死なず、記憶もなくしたという卓抜な設定の下、彼(映画のなかではRと呼ばれる)を再度処刑するために、教務官、所長、牧師、検事などが一体となって彼に事件を思いださせ、罪を認めさせ、死刑を受け入れさせようとする。酷いほどのドタバタ喜劇のなかでこづき回され、国家の概念を吹き込まれ、民族、宗教や性(愛)を押しつけられるが、<現実>と想像との乖離にも落ち込んでいるRには自分自身も罪もリアルには感じれない。
 終盤、「国家をほんとに感じられないなら、君は自由だ、この処刑場から出ていっていい」といった検事のことばにRはドアを開けるが、強い外光が雪崩れかかり彼は出ていけない。君は今国家を感じた、感じた以上(国家の決定した)罪は存在する、という検事のことばを受けて、Rは全てを否定しつつも再度の処刑を受け入れる。
 国家や民族や宗教はつきつめると実体のない、ある時代や地域のなかでつくられる観念的な仕組みでしかないのに、徹底して人を縛り、心にも食い入って支配することが、恐いほどリアルに映像化されていた。しかし当時はそれへの否定も対抗的な、同じ土台で反対するというようにしか考えられず、だから国家を幻想だと言いきろうとしても、そう断言する立場をどこにおくか(おけないか)は映画としても見えてこなかった。自分の足場を突き崩しては対抗はできないだろうから。
 それから40年ちかく、悲惨なことがらが積み重なるなか、ささやかであっても生きるなかで考えることを進めてきた人も少なくはないが、Rは今も処刑台のなかに閉じられたままだろうか。国家や民族の軛はますます強まるようにみえるけれど、それは外的な強圧的な力で枠組みが維持されているということでもある。バラバラになることや孤絶することも恐れず、人々はこれまでとまったく違うように「歴史」や他者(つまり世界)を引き受ける方へと抜け出ていこうとしている。長く苦い時間のなかでだけやっと掴めるもの、体に染みこみことばさえ超えるもの。

 

『チュンと家族』

 福岡市総合図書館映像ホールで、収蔵フィルムによる現代台湾映画特集が行われ、チャン・ツォチー監督の『チュンと家族』(一九九六年)が上映された。
 台湾の小さな町、別居した両親、複雑で荒んでいるが、まだ家族としての繋がりを祖父を中心にかろうじて残している一家。その長男で、まさに青年期へと入っていこうとするチュンを中心に映画は進む。大道芸の舞台に立つ母に強いられての、刀による自傷も含む宗教儀式的な集団「八家将」への参加。そこで繰り返されるもめ事や、ヤクザの義理の兄との関係のなかで、チュンは体の内にじりじりと積もっていく鬱屈、噴きだしてくる粗暴さをもてあまし振り回され、怒鳴り喧嘩し、暴力や殺傷に否応なく引き込まれていく。
 静かな川や山、祖父や弟と過ごす無垢な時間も、距離をおいた落ち着いた映像で挿まれる。観念(ことば)でなく、体として生きていた時代や年代だろうから、痛みや死も含んだ暴力があたりまえのこととして受け入れられていく。血や死は、聖や生の対極にあるのではなく、そのなかに含み込まれて在るのだということが、掴み出され剥き出しにされる。そういうなかで人は生きて死んでいったのだろう、今は「近代」に席巻され、「都市」での平板で安定した生が全ての表面を覆っているようにしか見えないとしても。
 個が抱え続ける思い出とか、世代や社会の郷愁としてだけでなく、若さの持つ世界への畏れや身体的なまでの違和と、急激に変貌した台湾の現在への怯えや底深い違和が、若者の滲みでるような鬱屈と共同体の底の澱みとの重なりとして描かれる。全編に溢れる生々しいまでの身体性や、生活そのままの息づかいといったリアリティは、職業俳優を使わないことがもたらしたものでもあるのだろう。
 人は鬱々と這いずるように、そうして実に暢気に楽々と生きていくのだろうし、誰もが休むことなく力をふりしぼりつつも、何もかもいつのまにか過ぎていってしまうものでもある。痛みとか感動とかいうことばからずっと遠いところで、わたしたちはつましい人の生に、ありふれていてそうして底抜けに深いものに揺り動かされる。

 

息子のまなざし」- 求めること拒むこと
                 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督

 ドキュメンタリーのようなカメラの動きのなか、じっと何かを視続けている職業訓練校の木工教師の後ろ姿から映画は始まる(それをわたしたちはスクリーンのこちら側からみている。視つめるということは対象を愛することであり、また何かを奪いとってしまうことかもしれない)。視られているのはその日受け入れたばかりの少年院を出た生徒で、彼は家族ともうまくいかず木工を習いに来たのだが、実は少年が5年前、11歳の時に絞殺したのはその先生の幼い息子だった。もちろん少年はそれを知らないまま、映画は進む。
 事件の後離婚した先生は教えることに熱心で、厳しいが面倒見もよく、生徒たちの信頼も厚いけれど、事件や犯人のことをどう考え対処していいのか動揺してもいる。でも人は、そういったできごと自体を、相手を、じっと視つめることができるのだろうか、考えぬくことは可能なのだろうか。そうして、例えば相手を殺すとか赦すとかできるのだろうか。現実の様々な事件を思い起こしつつ、誰れもが目をそらすしかない気持になる。
 終盤近く、先生の詰問に応えて、徐々に自分の行った殺人と5年間の院生活を少年が材木置き場で語り始めたとき、不意に殺されたのは自分たちの息子だったと先生に告げられて少年は逃げだす。「何もしない、責めてるんじゃない」と叫びつつ追う先生が、屋外に追いつめた少年の首に手をかけ、そうして手を離して作業に戻った後、少年がもう一度作業場に姿を現す。凍えるほど孤絶して立ち竦み、混乱し、でも必死に何かを求め、震える体を押さえ、祈るように先生を視つめるとき、わたしたち誰もが少年であり、先生である。
 映画はぎくしゃくとしてゆっくり進み、ふたりの表情もしぐさも明確に何かを示さなくなる。拒絶と憎しみと愛と希求と受容とが一瞬毎に交錯しつつ、微かに揺れ、唐突に暗くなって映画は終わる。そういう曖昧で不安定な関係のなかにいること、そうしてそこから始めるしかないことを痛みのように告げながら。ひたひたと満ちてくるある思い、しかとは名指せない、何かへの慈しみ(愛といってもいいのだろうけれど)を予感しつつ。

 

エーリッヒ・ケストナーの『飛ぶ教室

 あのケストナーの、あの『飛ぶ教室』が映画化された。トミー・ヴィガント監督。東西への分割と再統一というドイツの戦後史を取り込んだ卓抜な設定で、舞台は現代のライプチヒに移してある(ドイツの戦後の混乱と今もまだ続く深い傷は、映画『グッバイ、レーニン』=ヴォルフガング・ベッカー監督=でも家族の悲喜劇として描かれている)。正義先生も禁煙先生もいるけれど、生徒たちの劇はラップ・ミュージカル仕立て。懐かしさが先だつオールドファンにはちょっとつらい。
 たぶんケストナーを子供の頃に読んで、エミールや点子ちゃんやロッテを好きになり、『飛ぶ教室』に泣いた人は少なくはないだろう。もちろんわたしも何度も読んで何度も泣いたくちだ。まだ、泣くことは恥ずかしいことではなく、またうっとりと浸ることでもなかった。ただそうあるだけだった。だから十代半ばからは読まなくなった。感傷を憎み、社会と対峙することが正義だと思っていたのかもしれない(そういう意味では正統的なケストナー派だったのだろうか)。年つきが流れ、誰もがそうであるようにそれなりにいろいろあって、生き延びて、読み返してやっぱり同じ所で泣いていた。こんなにつらいことが12才くらいで起こるなんて、そしてそれに耐えているなんて。でも今はわかる、誰もが12才の頃に同じように寂しさをつらさをくぐっていたのだと。そうしてそれに気づくことさえできないほどにそのことの渦巻きのなかに囚われていたのだと。
 「どうしておとなはそんなにじぶんの子どものころをすっかり忘れることができるのでしょう? そして、子どもは時にはずいぶん悲しくて不幸になるものだということが、どうして全然わからなくなってしまうのでしょう?・・・・みなさんの子どものころをけっして忘れないように!・・・(岩波書店高橋健二訳)」とケストナーは語る。映画の冒頭にも同じことばがでてくる。
 人は、わたしたちは、いったいどこへ向かっているのだろう。自分たちのあんなにも寂しくてつらかった心さえ、まるでなかったもののようにすっかり振り捨てて。

 

文さんの映画をみた日・3

自分のことを省みて「若さは愚かさだ」などと傲慢に嘯いていたけれど、もちろんそんなことはなく、若さは、というより人は、あれこれありながらしのぎながら勁くそして穏やかに生きている。映画をみた日はそういうこともつい生真面目に思ってしまう。
 福岡市赤坂にREEL OUT(リールアウト)という定員30名の自主上映の場があり、商業施設ではみることのできない映像などの企画上映が熱心に行われていて、清水宏やブラッケージなどの特集も行われた。昨年の12月には、佐賀の映像グループ「東風」の中国正一監督が北部九州を舞台に撮った『815』の上映があり、監督の挨拶も聞けた。バンクーバー映画祭で受賞し、ロンドン映画祭や東京フィルメックスなど各地の映画祭にも出品された作品で、スクリーンから飛び散ってくる汗や唾を思わず手で払いのけようとするほどのエネルギーの噴出。馴染みのあることばや抑揚、風景にも溢れている。タイトルからも察っせられるように時代の避けがたい荒波と悲劇と、でも膂力で乗り切っていく人々とが、神話や歴史に寄せて過剰なことばや身ぶりで語られていた。
 1月には、中心を担う一人である明石アキラ氏企画の浜松の映像集団「ヴァリエテ」の特集、浜松から袴田浩之氏など映像作家たちも駆けつけた。実験映画とか自主制作とかいった社会的区分けから抜けてみていくと、当然のように世界や生の多様さが開けてくる。常套的なまでに、反抗し暴発し黙し歌い引きこもり、そうやって誰もが家族を含めた共同体との距離を測り、様々の形で自他を慈しんできたのだろう、それぞれの今のなかで。
 映画をつくる人も、それを上映する人も、そうして観る人も、誰もがその現場で表現者だろう。映像であれことばであれ、制作することだけが特権的に表現なのではなく、だからある種のスケープゴートとして矢面に立たされる<責任>もない。また受け取るものが自身を特権化すると、表現者であることを放棄し受動的なものに自分を貶めてしまい、受け取る楽しみだけを強要し消費するだけになってしまうのだろう。(REEL OUTでは2月21、22日にF.ムルナウ、R.フラハティ作品上映。連絡先:843-7864(夜間))

 

文さんの映画をみた日・2
流れ去る時間、残り続ける映像

 珍しく雪になり、一月二二日の旧正月は一面の雪景色の元旦。新鮮で光のみなぎる新年、街の喧噪もいつもとちがって響くなか、博多駅近くの映画館へと急ぐ。
 『テン・ミニッツ・オールダー』、すてきなタイトルだ。生まれたての赤ん坊は一〇分間で体もきっと成長しているだろうし、若者にとってはがらりと世界観が変わるのに十分な時間だ、ましてや恋愛では。成熟した世代はどうだろう。さらに賢者になり晴朗になり、確実に一〇分だけ死へ近づく、のだろうか。時間を線的で不可逆な一方向のものと確信していればそうだろう。そうしてそんなふうに平板に時間をとらえるとき、この空間も世界もかたい閉ざされたものとして現われてくるしかない。「時」は姿をみせるだろうか。
 一五人の監督による一〇分間ずつの映画、その第一部『人生のメビウス』。久しぶりのヴィクトル・エリセ監督(『ミツバチのささやき』)の名前もあってうれしい。彼の『ライフライン』ではモノクロームの画面のなかにまどろむ赤ん坊と母親の、蜜のような甘い眠りに直に触れ、引き込まれていく、背景の時代は危機に満ちているのだけれど。カウリスマキの『結婚は一〇分で決める』にはいつものカティ・オウティネンの姿がある。ジャームッシュは撮影中の女優の一〇分間の休憩をバッハを流しながら切り取り、ヘルツォークはドキュメンタリーとして、アマゾンの奥地で「発見」された「石器時代」のままだったウルイウ族の今を硬質な画面に納めていく、『失われた一万年』というタイトルの下に。ヴェンダースはお手本のような短編『トローナからの一二マイル』。広大な米国中西部を舞台に、速度のなかに恐怖、幻覚、感動、おまけに涙まであり、音楽や効果音も溢れる。
 そんなふうに七人がそれぞれの様式でつくる一〇分の映画。時計や古い写真、記憶が駆使されて時間的な奥行きが取り込もうとされ、音楽も多用されて広がりを生もうとする。でもこの長さはやっぱり難しそうだ。時間はその片鱗も見せずに、それぞれの映画をつなぐ水の流れの映像やトランペットの響きのように、掴む手の先からするりとどこかへ消え去ってしまう。蠱惑的なまでに鮮やかな印象だけがくっきりと刻まれて残る。(第二部『イデアの森』も共にシネ・リーブル博多駅で上映中)

 

『誰もしらない』是枝裕和監督
存るのにみえない  
 光り溢れる柔らかい空気をとおしてきりとられる街、子どもたち。距離がとられ穏やかに描かれているので、子どもたちの気持のぶれや深さも静かに伝わってくる。
 過去に実際に起こり、今もどこかで起こっているだろうできごと。母親に遺棄された、たぶん戸籍もないだろう4人の子どもたちの、かろうじて続けられる生活。比較する軸がないから、彼らのなかでは貧しさや不自由さ、不潔さすら相対化される。電気も水道も止められての、公園での水浴びや洗濯は楽しげにさえ見える。子どもの脆さと勁さが重なりあう。
 家族が夫婦を基盤とした次世代育成のための共同体でもある、という考えやあり方からは嫌でもずれてしまう現在、どういう生活の形が可能なのかにも思いがいく。扶養してくれる親がなく、社会的な存在証明の戸籍や近隣の認知もなく、次世代としての役割分担を学ぶ(強いられる)学校や教育にも関わらす、でもほんとにいっしょにいたい人たちと離れずに生きていく方法を子どもの場から必死に探す物語でもある。
 公としての「社会性」からは抹殺され(それは一面では自由ということ)、ある閉じられた関係のなかでだけ生存できるあり方、例えば、無国籍、無戸籍を選択したとしたら、わたしたちはそういう世界に放りだされるのだろうか。その時、「存る」とか「生きている」といった生の意味はどうみえてくるのだろう。
 「学校に行きたい」が象徴的なことばとして何度か繰り返される。学校があがくほどにも求められるもの、ここより他の憧れの場所として語られる。そうしてその学校が苦痛でしかない、抗うことすらも諦めた少女とのせつなくアイロニカルな出会いもある。
 侵入してくる外部、自壊し始める内部、そういうきわどさのなかを、彼らは、映画は、結論を急がずゆっくりと歩いていく。たどり着ける先はあるのだろうか。(福岡市、「シネ・リーブル博多駅」などで上映中)

 

セクシュアリティを巡って②『ロードムービー

貫かれる愛と死
 「第13回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」で上映された唯一のアジアからの作品は、韓国の『ロードムービー』。韓国の映画には、やみくもなまでに激しく徹底していく傾向が一部にある。この映画では、「同性愛」と呼ばれていることがらに関して、それに囚われ、アイデンティティーを探り確認するといった堂々巡りでなく、愛や自分自身の思いを貫くといった直截な方向で突き進む。性別としてではなく、誰かが誰かを愛するというだけだ、といった単純な勁さ。
 元登山家のデシクは家族と離れソウルでホームレスになっている。株の暴落で失敗したブローカーのソグォンは妻からも見放され、自死を試みてデシクに助けられる。新しい場所をめざしてふたりはソウルを出、途中で出会った若い女性、イルジュとともに南へ向かう。デシクからの愛を否定し拒絶するソグォン、デシクを求めるイルジュ、絡み合った関係のなか、たどり着いた街で再生をかけてデシクは肉体労働を続ける。
 経済の激変、都市の変質、ネット網やバーチャルな取引といった実体を持たないものが席巻していく社会での愚直な身体の没落といったことも重なる。自身の気持ちに忠実であろうとして息子も妻も捨てた男、デシクの頑なな一途さは、そういう不器用な生しか選べないということでもある。
 性行為の描写がずいぶんと激しく、彫刻的な硬さや強さで劇化されているのは、男性性への傾きや美学だけでなく、過剰すぎる思いと、ぎりぎりと絞られた緊張の比喩だろう。永遠、つまり死の形象化。だから物語はひたすら破局へと突き進む、まるでそれが目的であるかのように。悲劇や悲恋が官能的でもあるのは、その皮膜の下に、いつも不可能性(その究極の死)をぴったりと貼りつけているからだろう。
 幾人もが死んでいき、そうして最後に、酷いことばを残して去ったソグォンを思いつつ、デシクが死をけっして石切場の発破作業のなかに入っていく。もちろんそこで映画は終わらず、彼は死なず、引き返してきたソグォンの裸の腕のなかで息絶える。
 HIV感染症エイズ)が、治療が進んで「死の病」でなくなったとたんに芸術のテーマから振り落とされ、こんどは純愛が不可能性のメタファーとしてもまた現れてくる。

 

白いカラス

 現代の、そしてアメリカ合衆国の様々な問題が取り込まれている。人種・民族、肌の色、性的虐待、D.V.、ヴェトナム戦争後遺症、ポリティカル・コレクトネス、差別発言糾弾、そして当然のこととして家族、結婚、仕事、誇り、愛、性などなどの問題。
 人種差別発言問題で退職に追い込まれた老教授と彼の若い恋人、それを端で見ている作家との関係を軸に映画は進む。教授の抱える人種に関する秘密、恋人の混乱した過去がだんだん明らかになり、ふたりの親密さは増し、それに伴って精神的に壊れた彼女の前夫がからんできて危機は増していく。愛、そして悲劇。フィリップ・ロスの小説が原作だけれど、辛辣さやユーモアは影を潜めている。
 差別とそれ故の矜持を生む「人種」とか「肌の色」という概念の曖昧さは映画のなかでも少しは見えてくるけれど、それが人や社会を縛っている計りがたい強さもまた浮き上がってくる。
 歴史的に、ある中心になる側(例えば「白人」)を成立させるために、別の中心でない周辺的な側(「黒人」など)が創りだされてきた。「異常」という概念を創りだすことで初めて「正常」という概念が成立し存在し始めるように。こういった、差別や偏見を伴う概念は、創りだす側の特権に関わっているから、一方の側はマイナーで負のイメージとして生みだされることになる。人種という考え方(区分け)を創りだすことで、優れた側としてその優位性の下に一方の隷属化を推し進める(植民化とか、社会内での隔離として)。そのために肌の色という概念も創られ持ち込まれるから、そこには優位の色とそうでない色とが生みだされることになる。そもそも色ということ自体も普遍的なものとしてあるのではなく、それぞれの時代や社会で全くちがうものとして現れてくるものだろう。そうしてこの映画のなかで顕著になるけれど、どこからが黒い肌の色でどこからが白いか境界線を引くことは不可能だ。
 人種という概念にも重なる、「血」ということでも同じだろう。五十、一%ならA種であり、それ以下なら非A種であるというような区分けは滑稽なだけでなく意味すらなさない。辿っていけば全ては繋がりあうし、ただ無限の中間部分だけがあるだけだ。でもこの社会では、当事者本人もまわりの人々も、つまりわたしたち自身もそういう考え方に身動きできないほど絡め取られ、囚われてしまっている。
福岡市天神のソラリアプラザで上映中。

 

映画美学校in福岡
飯岡幸子『ヒノサト』他

 映画美学校出身者のドキュメンタリー作品の特集が、REEL OUT(リールアウト)で行われた。宗像市出身の飯岡幸子を含む六作品で、参考上映という形で是枝裕和監督の『彼のいない八月が』も上映。
 最近の若い作家のドキュメンタリーの多くと同じように、ここでも家族などの身近なものが対象に選ばれている。カメラを向けやすいというだけでなく、自分にとってリアルでありきちんと感じ取れる場でもあるからだろう。そうしてそこから入っていって、今という時代を掴みたい、世界を理解したいという切実な思いに貫かれている。
 『ヒノサト』は、画家であり教師であった祖父の作品が残されている場所を巡りながら、彼の暮らした町、見ていただろう山や田園を撮しとっていく。差し挟まれる日記の断片がその人と時代も浮き上がらせる。静止した絵画的な構図のなかにおさまる風景、でもそこを今を生きる人が横切っていき、光は差し込んでくる。親密さに満ち、緑の樹々なかを吹き抜ける風が皮膚に感じられるほどなのは、祖父の残したタブローのなかにいた少女もまたその風と光を抜けて今に至っていることが重なっているからだろう。
 長谷川多実『ふつうの家』は解放運動に邁進してきた両親、特に父親との、カメラをとおしてのシビアで愛情溢れる対話になっている。あまりにも違う時代や環境を生きてきた親子は、時には涙でことばにつまりながら、とまどい打ちひしがれながらも父と娘として会話を続ける。「フツー」なんてどこにもないこともみえてくる。
 「新しい教科書を作る会」会員の父親とのやりとりをコミカルに辛辣に描いた清水浩之の『GO!GO!fanta-G』も家族の窓を通して広がっていこうとする。
 積極的な自主上映活動を続けてきたREEL OUTは、残念ながら六月十二、十三日の杉本信昭特集が最後の上映となる。 

 

ドキュメンタリーの現在--ありふれたことがらのなかから

 先日の福岡市総合図書館ホールでのイメージフォーラム・フェスティバルの上映作品にも含まれていたし、映像教育機関の卒業制作などでもドキュメンタリー映像をみる機会は多く、その生々しいまでの力に引きつけられるけれど、いったどこからその力は生まれてくるのだろうか。これまでの、社会の現実を見据える、真実をニュートラルな視点で切り取る記録映画といったものとはかなりちがっている。
 ヴィデオやDVDの機材が簡単に手にはいるようになって、映像による表現のすそ野は急速に広がっている。フィルム映像と比較にならない低予算で、多様な試みができる。手軽だから自在に扱えるし、長々と撮り続けることができる、それが凝縮力を欠かせることがあるにしても。中国にもみられるように実に様々な人が、今まで考えられなかったような対象を撮り始めている。ドキュメンタリーという概念それ自体も変化していく。
 そういうなかで、自分を表現しようとする、「自分探し」とも言われた、自身のアイデンティティー確認に向かった若い表現者も少なくはなかった。『につつまれて』(河瀬直美)、『ファザーレス』(村上雅也・茂野良弥)、『アンニョンキムチ』(松江哲明)、『ふつうの家』(長谷川多実)=写真、などでも、身近な関係から出発し、肉親や出自を探り、それらを問い返す形で始められている。撮る側の甘えや怒りも含んだ激しい肉声をカメラの側から直に投げかけていくから、撮る側の存在も剥き出しになり、画面のなかに取り込まれていく。撮られている対象も、身近な場からの追求にあたふたしつつも、既成のことばでのおざなりな対応でなく、嫌でも真摯に受け止めて共に考える姿勢になっていき、驚くほど率直な表情や声が返ってくる。撮り始めた側が自分も振り回されながら、表現するという立場すら捨てて対象に迫りのしかかり抱きついていく、そんな噴きだすような切迫感によって掴み取られたものなのだろう。
 方法論がないとか、私的に過ぎ社会性を持たないといった批判もあるけれど、わたしたちがほんとに自分の抜き差しならないこととして感じ、持続して考え続けられることがらは限られている。そこから始めて手放さず、少しずつ進めていくしかない。
 七月二日から始まる第一八回アジア映画祭でも各国のドキュメンタリーが上映される。

 

三里塚 辺田部落』 小川紳介監督

新しい共同性へ
 ドキュメンタリー映画特集が福岡市総合図書館ホールで開催され、小川プロが撮り続けた一連の三里塚農民による成田空港建設反対闘争の映画のひとつ『三里塚 辺田部落』(一九七三年)も上映された。強制執行の後、闘争は長期化し、牧歌的な農村風景のなかに展開される非日常的なことがらの連続のなか、でも日々の農作業、西瓜の収穫、季節の催しごとや祭り、稲刈りなどは維持され、くり返される。
 激しい闘争と人々を追い続けていた映画は、ここでは村落内の会合の長い沈黙や気づかいも写し撮りながら、次第に地域の行事も含めた農村の生活そのもの、個々の人たちをみつめ始める。それは政治的なラディカリズムを映画としても担ってきた小川プロのまなざしが、温かい懐でもありまた厳しい軛でもありうる地域共同体そのものへと向けられていくことに重なっていて、後に小川プロが山形へと移り、「闘争」的でない作品を撮り始めることにもつながっていく。
 地域共同体や家族が崩壊し、<個>という概念が異様に肥大し、今や体(性)も命も個の可処分物だと言いつのるところまで来てしまったようにみえる。しかし人がバラバラの個として、他者を排しつつ生きえるわけはなく、<個>という概念も含めた近代の創りあげた考え方が大きく変わりつつあることの表れでしかないだろう。
 共同で生きていくしかない人が持ち続けてきた愛とか慈しみといったものが、今までの家族や共同体といった形としてでなく、ちがうものとして現われてこようとしている。この映画の人たちのように、わたくしたちも絶えずいろいろなことを選びとりつつ生きていくわけだけれど、その選択の幅は思っている以上にずっと自由で広く可能性に満ちていると思う。楽天的にすぎるのかもしれないけれど、フィルムに定着された人たちをみていると、この勁さや豊かさを人は生みだしてきたんだ、今もその力はどこかに保たれているはずだと思える。
 他にも『不知火海』、『旅するパオジャンフー』、『老いて生きるために』等を上映。

 

スーパーサイズ・ミー

巨悪に立ち向かう正義の騎士たち
 マイケル・ムーア監督がジョージ・ブッシュを攻撃するように、この映画の監督モーガン・スパーロックはファーストフードの巨大カンパニー、マクドナルドに立ち向かう。彼らは命を賭け、体を張って、データや数字、インタビューや記録映像を駆使して闘い続ける。そういう率直で強い対抗が存在することが、アメリカ合衆国の健全さを示すとも言われてきたが、ついてまわるこの違和感はなんだろうか。
 肥満の原因としてマクドナルドを提訴して棄却された少女たちへの裁判所の文書内にある、食べ続けることの影響は証明されていないという部分に刺激され、監督は三十日間、毎日三食、マクドナルドで買えるものだけを食べ続ける実験を始める、実験台は彼自身。過食、極端な肥満、食べ物への敬意や愛を全く失った現代が剥き出しになる。
 三人の医者の監視の下、一日五〇〇〇カロリーにもなる高脂肪食によって、体重の急増、肝臓の異常、コレステロール値の高騰、精神的不安定などが起こるなか、果敢に挑戦し続ける監督。医師や教授、社会活動家による否定的インタビューが挿まれ、学校や給食にも進出して、子どもたちに圧倒的な影響を与えているファーストフードや甘い清涼ドリンクなどの巨大食品会社が攻撃される。
 音楽をつけ、ユーモアと真摯さを交互に繰り返して刺激し飽きさせない構成をとり、わかりやすい批判や攻撃、専門家による統計数値を使った解説、普通の人々の本音、無垢で無知な子どもたちなどが、編集によってひとつながりに効率よくまとめられていく。しかしその向こうにある生活、望ましい食事や栄養、ましてや良質のタンパク質や新鮮な野菜なんて考慮もできない貧しさや環境、テレビも含めた圧倒的なメディアの影響に曝された自立できようもない生活は取り出されない。
 巨悪に対抗し、抗議の声を上げ力を組織して攻撃し闘い続けることが、社会をよくしていくという信念が常に底にあり、それは正しくみえるし、それ以外の方法を誰も即答できない。しかし、緻密に分析し数値を掲げ効率よく、<正義>を掲げ、強さで押しとおそうとする発想そのものは、彼らが対抗している相手と全く同じであり、そういった考え方が米国や世界を今のような場所に連れてきたのではないだろうか。現在の在り方をほんとに考え直すのなら、わたくしたちは血肉化してしまっているそういった発想の型そのものを徹底して問い返し、そこから抜け出ていくおぼつかない闘いを、方向すら見えないまま自分ひとりで始めるしかない。福岡市、シネテリエ天神で上映中。

 

ベルリン・フィルと子どもたち

弱さへと集中する世界の歪み
 二〇〇三年に行われた、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による、音楽と二百人を超す子どもたちのダンスからなる教育プロジェクトのドキュメント。芸術監督サイモン・ラトル指揮によるストラヴィンスキーのバレー音楽『春の祭典』のリハーサルや、共演した8才から20才くらいまでの約240人もの年少者によるダンスの練習風景が続き、間にそれに関わった人々への長いインタビューが挿まれている。緊迫感やおかしみもある生き生きとした練習過程そのものや、成功した公演の力強さも刺激的だが、そこに浮きあがって見えてくるのは、この困難な時代をやっとの思いで生き延びていく子どもたちの、そしてそれをとりまく大人たちのささやかな、でも諦めることのない物語でもある。
 内戦で両親も親族もなくしアルジェリアから奨学金を頼りにひとりでドイツに来た聡明で孤独な少年、シニカルなことばやふざけた態度で自分をガードしつつ、すがるような目でまっすぐに見つめる少女、貧しく複雑な家庭に育ち今も劣悪な環境に放り込まれ、心身共に問題を抱え込んでいる子どもたち、なんとかしてそういった子どもたちの側に立とうとする教師、大人たち。映画のなかでも、誰もが傷ついたり挫折したりしながらも諦めずに何かを求め、でも多くは望まず、ささやかな自分と世界の幸せを夢想している。
 いつの社会でも最も脆い部分に重圧がかかっていく。世界の悪意や憎悪が柔らかい部分に向けられるというだけでなく、人々の無意識の圧力も、世界の構造の仕組みとしてどうしても弱い環へと集中してしまうからだろう。これまでもそういう在り方だったけれど、全体でバランスをとる力を内に持ち得てきた。今、多様な役割を持つはずの<弱さ>や<異質さ>が全くの負の要素として否定され、隔離・排除され、社会の構造それ自体が悪意に拮抗してバランスを取れないまでに歪んでしまっている。そういうなかで生きていかなければならない子どもたちのつらさだけでなく、その他の障害者、貧困層、女性、マイノリティ等々の難しい状況にある人々にも思いはつながっていく。

 

新たな映画との出会い2005
生きることを見つめて
 二〇〇四年は実験映像などの上映会場REEL OUT(残念ながら活動停止)でみた映画から始まり、『珈琲時光』、『息子のまなざし』などの作品と出会うことができたが、なんといっても、九時間のドキュメンタリー『鉄西区』(王兵監督)は圧倒的だった。中国の現在と人々が、きっちりとした細部とがっちりした全体として描き抜かれていて、小さなデジタルビデオカメラ一個で、世界が丸ごと掴めるのだと教えられた。
 映画学校の卒業制作や「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」等のフェスティバルでのドキュメンタリー作品の力にも惹きつけられた。家族や地域へのささやかな視点から出発することだけが、<弱さ>とか狭さこそが、世界を掴むための唯一の可能性ではないかとさえ思わせられた。わたしたちが持ってしまっている、よりよくしなければという発想や向上心そのものが、世界をこんなふうにしてしまったのではないか、<善>や<正しさ>の追求でなく、先ずそういった概念それ自体を問い直すことから始めなければならないのではないか。
 DVDなどでみたものも多く、アニエス・ヴァルダ監督『落穂拾い』(二〇〇〇年)もそのひとつ。フランスでの、田園の落ち穂拾いから、都市で生ゴミも含めた捨てられたものを拾い食べる人までが撮られ、人の勁さ・弱さ、頑なさ・柔軟さ、そしておかしさや哀しさが重層的に見えてくる。
 年の最後にみたのは、布団の打直し、下駄の鼻緒といった日常生活の描写に満ちた小津安二郎の『麦秋』(一九五一年)。『東京物語』と対をなしていて、バラバラになっていく家族を都市部の息子夫婦世代の視点から描いている。戦後六年、帰還しない息子・兄を慕う母と妹はラジオの帰国者情報゛尋ね人の時間゛をかすかな期待でまだ聞いている。
 戦争というものがその過酷で悲惨な現場だけでなく、何世代にもわたる深い傷を与えることも、もっと真摯に考えられるべきだろう。戦争や闘い、競うといったことそのものをもっとリアルに感じ考え、生きることを、人を、改めて丁寧に見つめ直すことから始め、そうしてその地点に繰り返し立ち戻らなければならないことを、映画も静かなことばで語り続ける。

 

東京物語小津安二郎監督


ありふれて深い生のかたち
 今年も暮れようとしている。人為的な区切りだけれど、人々の培ってきたこういう知恵に救われることもある。年を忘れるという形で、抱えていくにはあまりにも難しい辛いことがらを、力を再び取り戻せるまで、去年へとそっと押しやり折り畳み、巡ってくる新しい年へと思いを馳せる。二〇〇四年の師走、小津安二郎の常に新しい「旧い物語」のひとつ『東京物語』(一九五三年)が上映された。
 戦争が終わって8年、帰還しない息子を、夫を、思い続ける母と妻。それは強引に死者を忘れ今を生きることで突き進む戦後という時代への哀しみとささやかな抵抗でもあるのだろう。過酷な戦争のなか、生と死の分水嶺はどこにあったのか、今ここにいる自分と、喪われてしまった人とを分かつものはなんだったのか。そういう問いを繰り返しつつ、生き延びた自分が負わなければならない死者への責務を誰もがまだ考えようとしていた頃。
 自分にとってもっとも切実であり、より明確に感じ考えられることだけを、愚直なまでに真摯に掴み描き続けた小津の、新しい時代への決意と諦めが正面からはっきりと語られた映画だろう。老夫婦が訪ねる、東京で「成功」した子どもたち、そこでの齟齬や寂しさ、喜び。帰郷直後に老妻は亡くなり、葬儀でもう一度家族は顔を会わせる。生きていくのはたいへんだから、丁寧に時間をかけてつながりをつくりあげることはしたくてもできないんだと、そそくさと席を立つ人々。穏やかな尾道の港の風景から始まった映画は、静かな光り溢れる港の情景で終わる。
 もう半世紀以上も前の映画であり、実に綿密に描かれている生活の細部のなか、例えば水枕や氷嚢とかのように消えていったものも多いけれど、でも生そのものは全く同じままにしか見えない。古き良き時代とか、自然への回帰といったことでなく、人の営みがありふれていてそしてかけがえのないこと、あたりまえでそうして恐いほど深いことが、平板なことばでさらさらと語られていて、呆然とさせられてしまう。

 

フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白』

ことばの無力
 自分がいちばん強いとか、いちばん賢いとか、誰よりも成功しているとか思うことに、痺れるほどの快感を感じる人が確かにいる。そういった価値観は時代や状況、つまり考え方や見方によってまるで変わるものだという相対的な冷静な視点を持たないと、例えば国家予算に関わる人間が自分が国家をつくっていると錯覚してしまう滑稽さに落ち込んでいく。巨大であればあるほど、それを動かしている自分という思いこみも巨大化する。わたしたち誰もが、そういった思いこみに巻きこまれてもいる。
 アメリカ合衆国は異様に見えるけれど、今の世界を貫いている考え方のひとつの凝縮された形であり、現在の世界のシステムの原形となってしまっている。誰もがそこからうまく抜け出せなく感じてしまうのは、その強引なシステムの強制に抗うことの困難を思い、効率性や即効性の魔力に引きずられるからだろう。そういったこともまた相対的なこと、しかもかなり短いタームのことだと思いつつも、眼前に瞬く間に広がる富や力の進行に同調し取り込まれてしまう。とり残されることの不利益だけでなく、もっと根源的な、ひとりになる恐怖が人を駆り立てる、どこまでも際限なく。
 『フォッグ・オブ・・・』はケネディ、ジョンソン大統領の下、ヴェトナム戦争時の国防長官だった、ロバート・マクナマラへのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー映画。嫌になるぐらいあくの強い人間ばかりでてくるのに、社会的役割(役職)を剥ぎ取った後の顔が漠としていて、どこにも個としての、誰かが誰かに向かって発するほんとに切実な、生のなかで掴まれた唯一のことばや表情がみえない。
 頻発される理性(rationality)ということばは、人が歴史のなかで培った生きる知恵のことでなく、システムのなかでいかに的確に分析判断しいかに効率的に説得、獲得するかの能力のこととしか聞こえてこない。だから、マクナマラノ言う、人は何度も同じ過ちを犯し、過去からすらけして学ばない、人の本質は変えられない、好戦的で常軌も逸脱してしまう、戦争がなくなると信じるほどわたしはナイーブではない、といったことばも、何かの引用みたいにしか響かず、長い時と苦悩、諦念が生んだ、かろうじて個から個へとだけ届く声には聞こえない。

 

らくだの涙
平原を渡る風 喪われていくもの
 モンゴルが描かれた映画としては、広大な平原、ゆっくりと移っていく太陽、その下をひとり機材と共にらくだで巡回する、映画と観客を愛する移動上映技師を撮った『ゴビを渡るフィルム』が思い起こされる。
 今回の『らくだの涙』は平原でらくだを飼い羊を育て、パオに4世代で暮らす家族が中心になっている。あたたかで強いつながり、平原での厳しい生活が生む生気に満ちた表情。薪を集める曾お祖父さんがらくだにまつわる神話をひとつ語って映画は始まる。できごとをそのまま記録したフィルムと、本人たちに再度演技してもらったフィルムとで編集してある。
 かけがえのないものとしてどんなに残念に思っても、過ぎて去ってしまうしかない、永遠に懐かしいおとぎ話にも見えてしまう世界だけれど、そこにある動物やミルク、子どもの匂い、毛皮の感触、砂、日々の暮らしの細部、そうしてその重なりがつくりだす時間の厚みはくっきりと写しとられている。
 その年の最後に生まれたのは白いらくだで、難産だった母らくだは子どもを疎み、乳も与えなくなる。時として起こるらしいそのできごとに、一家は音楽による治療で対処しようとする。街までらくだを駆って馬頭琴の先生を呼びに行くのは子どもたち。無口でしっかりした兄、やんちゃで歌も歌う弟、まるで童話の世界そのままに。
 そこにも「新しい」時代の荒波は押し寄せ、牧歌的なきずなは消えつつある。最後に、弟に一家全員が押し切られたのだろう、とうとうテレビがパオにやってくる。体ほども大きなアンテナを調節している兄に、なかから「きれいに写ったよ」と弟が叫ぶシーンで映画は終わる。どうなるのだろう。喪われたら二度と手に入らないだろう、過不足のない完結したある生の形は消える。そうして「グローバル」に蔓延し続ける、人をけして満足させない飢渇感やさっと取り替えのきく表情、つまり無表情に、全てはたちまちに覆われていく、のだろうか。わたしたちはもう映らなくなった鏡にただ問いかけるしかない、「鏡よ鏡・・・・」。

 

『落穂拾い』(DVD) アニエス・ヴァルダ監督

身を屈めてつかむもの
 美術作品と図録の写真とのちがいほどではないにしても、映画とビデオやDVDもずいぶんとちがうし、映画としてつくられたものは当然にも大きなスクリーンでみられるべきだろう。でも時代や地域的な制約も小さくはないし、簡便さや繰り返しみることができるよさも捨てがたく、つい手に取ってしまう。
 ミレーの絵画『落穂拾い』から始まるこのドキュメンタリーは、畑での果実や野菜などの収穫物の摘み残し、規格外で山と捨てられた馬鈴薯、都市での家具や家電の廃棄物、さらに市場での野菜や魚肉、パンなどの食品までも拾う人たちを撮しとっていく。拾う理由や目的も様々で、生きていくためにゴミ箱を開いて拾う人、主義として、今の社会への抗議行動として拾ったものを食べて生活する人、楽しみで田園の果実を拾う人、仕事として拾って料理したり売ったりする人、海岸の養殖網から落ちた牡蠣を拾う人など多様だ。
 そうしてそういう人やできごとを丹念にカメラで拾い集める監督。彼女は老いた自分の生活や皺だらけの手のクローズアップを挟み込むことで、撮している側も映画のなかに取り込んでいく。その手に、衰退し疲弊しつつも、まだ生の勁さや喜びを抱えている今の世界の比喩を読みとる人もいるだろうか。
 カメラのぶしつけな視線にはたじろがない人たちが、でも隠しようもなくみせる、痛めつけられた者としてのつらい表情や仕草も多くを語る。この映画に、「人は狩猟動物なんだ、自分の食い扶持をそうやって手に入れているんだ」という感想を持った人もいたように、そのなかには強さや大胆さも確かにある。
 生きることはほんとにたいへんなことだけれど、でも同じくらい楽しさも喜びもある、そんなふうにもみえる。子どもの頃の「創意工夫しなさい」を思いださせられたりもする。それぞれが工夫し自助努力しつつ、大地そのものの恵み、収穫物を受けとり、都市を流動するものを拾って受け継ぎ、世界を画一化して覆い尽くすようにみえる大波に抗い弾かれ、助けあって生き延びていく、時にはほくそ笑みつつ。スクリーンに時として広がる痛々しさや怒りを覆すほどの、登場する人たちのみせるユーモアや皮肉、肯定的な姿勢や積極性、人なつっこさは、どこかで自由や希望ということばさえ思い起こさせる。だからまたみてしまう。