菜園便り

旧正月
菜園便り351
2月15日
 今年は旧の正月が2月5日だった。父が必ず祝っていたので、ぼくも旧正月の元旦だけはお雑煮をつくる。父が正月や盆のあれこれにうるさかったのは、自分の出自である東郷の実家が季節の行事をきちんと祝っていたからだろう。それを引き継ぐ気持ちがあり、それは養子に来た安部家に新しい伝統をつなぐことであり、どこかに対抗意識もあったのかもしれない。それはずいぶんと父の手が入れられた、父の様式になっているものなのだろう。ぼくは儀式や家庭内の行事にどこかでうっとりするところがあって、それで正月や盆は父の流れを受け継いだのかもしれない。
 餅が好きなこともあって正月3が日は必ずみんなで雑煮を食べるという習慣は、先ず、父だけは3ヶ日食べる、になり、父なき後はぼくは元旦だけいただく、になった。おせち料理の数もだんだん少なくなり、今年は黒豆といただいた数の子だけになった。雑煮も、当日に出汁をとり、具材も鶏肉と大根、人参だけだった。
 1月に、認知症の妻とそれを看る95歳の夫を撮ったドキュメンタリー映画に感動しせつなくなったせいか、いろいろに父のこと、介護のことなどが思いだされてしまう。ほんとはどこかにしまい込まれたままだんだん消えていってほしいことだけれど、やっぱり大きなできごとだったのだろう、いつもどこかに見え隠れしていて、こういう時にどっと溢れてくる。
 なにをどうやっていいのかもわからず、行政のやる講座などにも通ったけれど、先ずいわれたのは「完璧な介護などはないし、そういったことを目指さないでください、介護する側が倒れてしまいます」というものだった。それはストンと納得できた、ああ、そういうふうに考え対応するのか、と。でも結局どうやっても後悔は残ってしまう。愛が足りなくても深すぎても、十分な介護をしなかった、できなかった、と。もっとやさしくできただろうに、もっとなんでもやらせてあげればよかった、と。1グラム単位でタンパク質を計量して食事を作るより、好きなものをだせばよかった、と。まるで懺悔するように悔い、罪の意識に囚われる、そういうことは介護だけでなく人が生のあらゆる場面ででくわすことだ。愛にも死にも、人が心から納得できることはない。
 いつのまにか沈丁花が開いて、縁側に甘い香を送ってきている。一瞬も止まらずに時は動き、季節は巡っていく。